訳あり後輩君と十秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

 部室の鍵を職員室に戻した俺は、ひとまず下駄箱の方に歩いた。すると、ちょうど朔も外から戻ってきたところだった。
「朔、カバン」
「ありがとうございます」
 感謝を述べる朔は、全然有難くなさそうに乱暴にカバンを奪い取った。
「ご、ごめん……なんか、俺、怒らせた?」
「別に。星名君とは、結局話せませんでした。今頃泣いてますよ」
「泣いてるって……朔が振れって言ったんだろ」
 朔のしたいことが分からず、俺も苛々してきた。しかし、朔はそれ以上に怒っている。
「振る相手が明らかに違うでしょう! しかも、あの感じじゃ、最初から星名君も知ってたんですよね?」
「最初からって……そりゃ」
 告白してきた当の本人だから、知るも何もないような気がする。
「何をそんなに怒ってんだよ」
 靴を履いて朔の後ろを追いかけるように早足で歩く。
「怒ってなんてないです」
「怒ってんじゃん!」
 そんな言い合いをしながらも、結局俺たちは一緒に帰り、いつの間にか俺の家に辿り着いた。

 ——俺の部屋に入った朔のご機嫌は、まだ斜めのようで、不機嫌そうにベッドの端に座って脚を組んだ。
 どこぞの社長のようにふんぞり返る朔を横目に、俺は机やベッドの下を覗く。
「なぁ、朔の忘れ物って何?」
「んー、鍵?」
「なんで疑問系なんだよ。てか、俺の視力が悪いから、自分で探すんじゃなかったのかよ」
「先輩が見つけられなかったら探します」
「なんだよそれ」
 さほど広くもなく、物で溢れかえっている部屋でもないので、五分もしない内に捜索は終わってしまう。
「ギブ、朔が探して」
 朔の横にドカッと座り、俺も朔に倣って組んだこともない脚を組んでみる。
「先輩が脚組むの、似合わないですね」
「うッ」
 そっと脚を元に戻し、両膝を合わせる。
「良いから、早く探せよ。日が暮れるぞ」
「はいはい」
 朔はやる気の無さそうに立ち上がり、のんびりと部屋の中を探し始める。
「んー、無いですね」
「真面目に探してんのか?」
「探してますよ。もしかして、ベッドの上かも」
 ベッドの下を覗いていた朔が、ベッドの上を探し始める。
「って、おい!」
「ん? ありました?」
「ないけど、探し方! 俺の上に乗るな!」
 俺をベッドに押し倒しながら、わざと馬乗り状態でベッドの上を探しているのだ。
 怒りながらも、何故か心臓は早鐘を打つ。
 鍵を探しているだけなのは分かっている。分かってはいるのだが、俺の顔の前には朔の大きな胸板があり、妙に良い匂いがして、早く退いて欲しい反面、ずっとこのままいたいと思ってしまう。
「もしかして、先輩の下かも」
 朔の手が、俺の背中の下に入ってきた。
「ちょ、退けるから! 立つから、それから探してくれ!」
 俺とベッドの間を探す朔の手は、どんどん下に下りて行き、腰の辺りを捜索される。同時に、その綺麗な顔面も目の前に来た。メガネがズレてしまっているのに、朔の顔がハッキリ見える。そんな距離にいるのだ。
「んー、ないですね」
「あったら分かる……だろ」
 視聴覚室で抱きしめられた時のことを思い出す。正確に言えば、俺が転んで抱き留められただけだが、それでも、このゼロ距離はドキドキが止まらない。
「先輩、そんなに顔真っ赤にさせて、誘ってるんですか?」
「は、は? 誘うって、な、何を」 
「動揺しちゃって。そうやって何人もの男を虜にさせてきたんですか?」
「は? んなわけ」
 朔の捜索の手が止まり、メガネをすっと奪われた。メガネはどこか頭の上の方に置かれ、その細くて長い指は、俺の左手の指に絡みついてきた。
「なッ、何を」
 困惑する俺の額に、チュッとキスを落とされた。火照る顔に、更に熱を帯びたのが分かった。
 もしかして、これって……星名の時と一緒? 俺、今、朔に貞操奪われそうな感じ?
「まるで初めてのような反応やめてもらえません? 煽ってるんでしょうけど、逆に萎えますよ」
「……」
 初めてなのに……手を繋ぐのも、額にキスされるのも、全部全部初めてなのに……その言葉の端々に怒りを感じ、俺は何も言い返せない。
「先輩。星名君を振ったってことは、もう一人の誰かと、こういうことする予定だったんですよね?」
「もう一人の誰か……?」
 どういう意味だろうか。もう一人の誰か……いつか結婚するであろう未来の彼女? 
「惚けちゃって。俺、そういうの大っ嫌いなんで、いっそここで滅茶苦茶にしてあげますよ」
 朔の空いた方の手が、俺のネクタイを緩めていく。
 外は日が落ちかけているようで、カーテンの隙間からはオレンジ色の光が差し込んできた。
「朔……お迎え」
「先輩は、そういうことしないって思ってたのに……」
 俺の言葉は聞こえていないのか、ワイシャツのボタンを外す手は止まる様子がない。
 そして、襲われている俺より、朔の方が辛そうなのは何故だろうか。怒りに満ちたその顔に、陰が射しているのは何故だろうか。今にも泣きそうなのは何故だろうか。
「朔、ごめん」
「謝ったって、もう遅いですよ」
「ごめん……」
 俺はただ謝るしかできなかった。
 何が悪かったかなんて分からない。分からないけれど、今の朔に何を言ってもダメなような気がした。
「でも……俺のせいで、お迎え、間に合わなかったら困るだろ」
 朔は静かに俺から離れた。
「俺、謝りませんからね」
 ぼんやりと見える朔のシルエットが、部屋を出ていくのが分かった。
 シンと静まり返ったその部屋で、俺は目元を腕で覆った。
「朔……ごめん」
 この気持ちを誤魔化し続けてきたけれど、もう嘘を吐き続けるのは限界だ。
「こんな俺、嫌いかもだけど……十秒見つめ合ったら恋に落ちる……あれ、本当みたい」
 俺の声は、静寂の中へと溶け込んだ――。