訳あり後輩君と十秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

※小日向悠斗視点に戻ります※

 とうとう来てしまった。この時間が。
 放課後、美術室に入る扉の前で、俺は一旦深呼吸をする。
 ――ガラガラ。
「お疲れ様でーす」
 扉を開ければ、既に三年生の先輩が準備を始めていた。
 そこに星名の姿はなくてホッとする。ホッとしたのも束の間、背後から声をかけられた。
「小日向先輩」
「わッ! な、なんだ。朔か」
「なんだとは何ですか。失礼ですね」
「悪い」
 それだけ言えば、朔は美術室の中を一望した。
「例の彼は、まだいないんですか?」
「これからかな」
「まぁ、どのみち今は話せないでしょうし、終わってから俺も残るんで、一緒に話しましょ」
「い、良いのか?」
 いや、でも、朔は妹のお迎えもあるし、その後はご飯を作ったりと忙しいはず。事情を少しだけ知ってしまった手前、迷惑はかけられない。
「大丈夫。俺一人で……あ、でも、朔は俺んち寄って帰るのか」
「そうですよ。結果待つようになるなら、同じことです。ほら、準備しましょ」
「あ、ああ……」
 こんなことに巻き込んで、嫌われないだろうか。この際、星名には嫌われても良いから、朔にだけは……と思ってしまう。
 せっかく前みたいに話してくれるようになったのに、また避けられたら悔やんでしまいそうだ。
 この想いは、やはり恋……。
 首をブンブン横にふる。
 いやいやいや、朔は男だ。いくら名前で呼べるようになって舞い上がっていても、例え一ヶ月間二人きりで風紀委員の仕事が出来ると喜んでいても、男が男に恋なんて——。
(星名は俺に恋してるのか……)
 溜め息を吐いていると、いつものように控えめに星名が部室に入ってきた。
「失礼します」
 そして、いつもは俺を見るなり笑顔で小さく手を振ってくるのだが、本日はバツが悪そうに視線を逸らされた。
 それでも俺は指導者だから、話しかけないわけにはいかない。
「ほ、星名。油絵の準備物、覚えてるか?」
「えっと……もう一度教えてもらっても良いですか?」
「じゃ、荷物置いたら、準備室来て」
「は、はい」
 お互いぎこちないが、何とかやれそうだ。
 しかし、問題は星名をフッた後だ。きっと、もっと気まずくなる。
 この際、思い切って付き合ってみる? 星名とは話も合うし、一緒にいて楽しい。男だからという理由で、俺は星名との未来を考えもしなかった。
 美術準備室に入り、棚から絵具を取り出しながら、星名と手を繋いで街を歩く姿を想像してみる——。
(ダメだ、街は人目が多すぎる。海だ、海を想像してみよう)
 パレットに青い絵の具を絞りだしながら、次は波打ち際でウフフ、アハハと追いかけっこをする様を想像した。
 良い感じになったところで、二人は見つめ合う。
『小日向先輩、好きです』
『お、俺も』
 背伸びをしながら目を瞑れば、互いの唇が重なった。
 そっと唇が離れて目を開ければ……。
『さ、朔!?』
『先輩、俺にとうとう恋しちゃいました?』
 星名から、悪戯な笑みを浮かべる朔に変わっていた。
(ま、まぁ、妄想だからそういうこともある)
「あ、やべ」
 妄想に夢中になりすぎて、青の絵の具を出しすぎてしまった。
 そこへ荷物を置いた星名がやってきた。
「せ、先輩、宜しくお願いします」
「あ、うん。えっと、まず、そこの皿と油を取って……」
「はい」
 星名の横顔を見つめていると、さっきの妄想を思い出す。
 星名のプルンと潤った唇を見つめ、自身の唇を触った。俺の唇は思いのほかカサついており、リップクリームでも買おうかと思った瞬間だった……ではなく、妙な妄想をしたせいで、よけいに星名と二人きりの美術準備室が気まずくなってしまった気がする。多分俺だけだろうが。
「あ、あのさ、部活終わりに話したいことあって」
「……はい」
 星名も覚悟をしていたようで、それ以上は何も言わなかった。
 それからは必要最低限の会話だけして、俺たちは部活動に集中した。
 
◇◇◇◇
 
 部活が終了すれば、俺と星名、朔の三人が美術室に残った。
 朔が星名に聞こえないように耳打ちしてきた。
「先輩、今日話するのやめたんですか?」
「いや、今日話することにしてる。けど……」
「けど……?」
「いっそ、付き合っても良いんじゃないかと思ったりして」
「は? 先輩って、純情そうに見えて、実は遊び人だったんですか。なんか、幻滅です」
 軽蔑の目で見てくる朔は、星名に声をかけた。
「星名君、ちょっと聞いてよ」
「ちょ、朔! まだ、心の準備が出来てないんだから」
 朔のワイシャツの背を引っ張って止めれば、黙ってはくれたが軽蔑の眼差しはそのままだ。
「好きかどうかはさておき、誠実だと思うんだけどなぁ」
 唇を尖らせて呟けば、もう一度「星名君!」と大きな声を出された。
「ちょ、朔! もう、分かったよ。振れば良いんだろ。振れば。自分で言うから」
 そう言って、俺は星名の前に立った。
「え、先輩? それ、恋人に言っちゃったらややこしいことに」
 朔は焦ったように良く分からないことを口にしているが、俺の意思が揺らがない内に言わなければ。
「星名、今良い?」
「は、はい……」
 一度深呼吸をしてから、俺は口を開いた。
「俺も星名の気持ちに応えたかったんだけど……」
 星名が俺の後ろにいる朔を一瞥して、諦めたように笑った。
「付き合うことになったんですか?」
「え?」
「名前で呼んでるし、良かったですね」
「えっと……だから、俺の好きはそういうんじゃ……」
「今回は潔く引きますけど、もし先輩を泣かすようなことがあったら、僕が全力で先輩を奪いに行きますから」
 ニカッと白い歯を見せて笑う星名は、俺の言うことも聞かずに部室から出て行った――。
 取り残された俺と朔は、呆気に取られたように見つめ合う。
「あー、結果オーライ……かな」
「結果オーライなわけないじゃないですか!? バカなんですか!? 追っかけて下さい!」
「え、追っかけるのか? なんで?」
「なんでって……あー、もう!」
 朔は、頭をクシャクシャっと掻いてから、部室から出て行った――。
「俺、何かミスったのか……?」
 分からないまま、ひとまず朔が忘れて行ったカバンと自分のカバンを持ち、部室の戸締りをした。