訳あり後輩君と10秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

※月島朔視点です※

 朝七時五十分。俺は、小日向先輩と裏門近くで風紀強化月間とやらの活動を行っている。
 と言っても、まだ小日向先輩は来ていない。きっと寝坊だろう。連絡先を知らないので連絡できない。
「朔! 悪い! 遅れた!」
 噂をすれば、息を切らせながら小日向先輩が食べかけの食パンを片手にやってきた。
「先輩、パンを食べながらの登校は控えて下さい」
「げ、俺も注意される側かよ」
「風紀強化月間なんで。てか、持ってきてから食べるとか出来ないんですか?」
「だってさ、今食べたいし。何かに入れるの面倒だし」
 ぷくっと頬を膨らませながら文句を言うところは、うちの五歳の妹にそっくりだ。ついでに、顔の可愛さも似てるかもしれない。
 当の本人である小日向先輩は気付いていないが、メガネを取ったら目がくりくりで、まるで女の子のような可愛らしさ。自身で鏡を見る時は眉間に皺を寄せながら目を細めて見るらしく、その可愛さを知らずに生きてきたようだ。完全に損をしている。
「はいはい。誰か来る前に食べきっちゃってください」
「はぁい」
 いつもの……二週間前の小日向先輩に戻っており、ホッとする。
 昨日なんて、初めて委員会の資料作りをした時のようなよそよそしい喋り方をされて、それはもう不愉快極まりなかった。
 とはいえ、この二週間俺が小日向先輩を避けていたのも原因だと自覚しているので、あまり強くは言えないが。
 ――小日向先輩を避けていたのは、言わずもがな星名が関わっている。
 俺と知り合う一週間前から、星名は小日向先輩と知り合っていた。しかも、家にまで招く仲だ。
 小日向先輩が星名に生徒手帳を届けに行った時のこと。
『星名の嫌がることはしないからさ』
『あれは、嫌だったわけじゃなくて、むしろもっと触って欲しいって思ってしまって……』
『ボディビルダーあるある的な?』
『あー、ちょっと違いますけど……またお家、行っても良』
 もう、これは完全に家に連れ込んで、いかがわしいことをやっているようにしか聞こえない。
 俺と十秒見つめ合っても恋に落ちなかったくせに、星名とはちゃっかり愛を育んでいるのだ。嫉妬せずにはいられない。
 『十秒見つめ合うと人は恋に落ちるのか』という実験の後、まさか俺の方が恋に落ちてしまったなんて、小日向先輩には口が裂けても言えない。それに、俺は自分から恋に溺れるなんてしたくない。母親のように――――。
 しかし、一度溺れかけてしまった。
 どうしても小日向先輩を自分のモノにしたくて……今ならまだ間に合うんじゃないかと思って、二回目の十秒チャレンジを試みた。
 運が良いのか悪いのか、視聴覚室で抱き合いながらのチャレンジ。これなら落ちる、落ちてくれる……そう思ったのは俺だけで、諦めきれなくて十秒以上粘ってもみたが、結局小日向先輩は俺に恋をしてくれなかった。むしろ、俺だけが想いを募らせている。
 その後、小日向先輩は星名と付き合っているし、これ以上溺れてはいけないと避けるようになった。
 それでも、小日向先輩が熱を出して休んでいるという情報を得た時は、心配になり、体育祭をサボってまでお見舞いに行ってしまった。
 あの時の小日向先輩ときたら、無防備で……あのまま襲っておけば良かったのだろうか。襲っていれば、こんなに苛立つこともなく、愛する星名との邪魔が出来て悦に浸れたのだろうか。
「なぁ、朔。風紀委員のくせに、この寝ぐせヤバいかな?」
 ぴょこんと跳ねた寝ぐせを触って見せる小日向先輩は、俺のことを名前で呼ぶようになった。俺がそうするように仕向けたのだが、なんらダメージを喰らっていなさそうで腹が立つ。
 そもそも名前で呼ばせたのも、星名と付き合っているにも関わらず、他の男を名前で呼ぶなんて……みたいな罪悪感に苛まれ、且つこんな俺の言いなりになって屈辱的な気分になれば良いと思ったからだ。それなのに小日向先輩ときたら……。
 俺は、その頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「こうすれば目立ちませんよ」
「うわ! 無事な毛まで滅茶苦茶じゃねーかよ!」
「寝ぐせ直してこないからですよ」
「そんな時間あったら、家で飯食ってるよ」
 手櫛を入れながら誰も来ない裏門を気にする小日向先輩は、髪の毛を整えるのを呆気なく諦めた。
「ま、誰も俺なんて興味ないからいっか」
「ッたく、一応は風紀委員なんで、少しくらい直してください」
 自虐的な小日向先輩の髪の毛を丁寧に手櫛で整えていけば、照れたように俯かれた。
(はぁ……まただ。俺のこと、何とも思っていないくせに……)
 まるで俺のことが好きなのでは? と思わせるような仕草をする。
『俺のこと……嫌いにならない?』『避けられたりするの……嫌、だからさ』
 昨日これを言われた時なんて、本気で俺のことを好きになってくれたんじゃないかと錯覚さえした。
 けれども、小日向先輩は星名と付き合っているわけで、これはそういう意味ではないのは確かだ。だから、この胸のモヤモヤが、苛々が増長する。
「小日向先輩。今日の帰り、家にお邪魔して良いですか? この間、忘れ物したんですよね」
 つい、嫌がらせをしたくなってしまう。
 付き合っている相手がいるにも関わらず、他の男が家に上がり込むなんて、絶対に恋人には見られたくないはず。こそこそとしながら、やましい気持ちに苛まれれば良い。
「忘れ物? そんなのあったかな? 何忘れたんだ? 見つけたら明日学校持ってくけど」
 ほら、どうしても俺を家にあげたくないらしい。
「先輩は、目が悪いから分かんないかもです。こんな小さいので」
 指で大きさを言えば、小日向先輩は首を縦に振った。
「確かに、それじゃ見つけらんないかも。それなら、ついでに晩御飯食べていくか?」
「は?」
 いやいやいや、こそこそどころじゃなく堂々としすぎ。
 星名にバレたら、修羅場になるのが分からないのだろうか。分からないのか……。
 こういうところもまた好きだったりするのだが。
「遠慮しときます。妹のお迎えがあるんで」
「妹ちゃんの迎え、朔が行ってんの? ご両親は?」
「父はいません。母も……ほぼ、いないのと一緒ですね」
「なんか、聞いちゃいけないこと聞いちゃった感じ?」
「いえ、別に」
 それだけ言えば大抵の人は黙ってしまうのに、小日向先輩は恐れ知らずなのか、困惑しながらも聞いてきた。
「あのさ……ご飯とか大丈夫なのか?」
「俺が作ってるんで」
「じゃあ、朝も早くからご飯準備して、妹ちゃん送ってから来てんのか?」
「まぁ」
「明日から俺一人でここやるから、朔は来なくて良いからな」
「いや、七時に保育園に連れて行けば、余裕で間に合うんで大丈夫ですよ」
 小日向先輩は、それでも頑として譲らない。
「ダメ! これから一ヵ月はあるんだから。先輩命令。絶対に来んなよ!」
「嫌です。それ、パワハラですよ」
「パワ……」
「俺のことは良いんで、告白された人に返事は出来たんですか?」
 このままでは本当に明日から来なくて良いことになりそうなので、話をすり替える。俺の一ヵ月の楽しみを奪わないで頂きたい。
「あー、それな。今日部活の時にでも言おうかなって」
「美術部の人なんですね」
「だから、余計に拗らせたくないっていうか……」
「まぁ、男女間は拗れますよ。気にしなくて良いんじゃないですか?」
「男女間じゃないって言うか……」
「え、まさか相手、男ですか!?」
 つい大きな声で言えば、小日向先輩は裏門から入ってくる本日一人目の生徒を横目に見ながら、「しー!」と慌てて指を口元に持っていった。
「内緒だぞ」
「でも、美術部の男って、俺たち含めても六人しかいませんよね」
 残る四人の誰か。星名とは既に付き合っているため、残る三人の誰か。
「ま、まぁ良いだろ。そこはさ」
「相談されたんで、最後まで面倒見ますよ」
「どうしたんだよ。急に」
「いや、楽しそうなんで」
「最低なやつだな」
「へへへ」
 笑って誤魔化すが、相手が男となると話は変わってくる。
 小日向先輩は華奢なのだ。
 星名ほどの大柄な男は美術部にいないにしても、こんな小柄で細い腕をした男の子を襲うことなんて容易いことだ。なんなら俺が押し倒したいくらいだが、そこは我慢。恋に溺れるのは御免だ。
 俺のこの気持ちは封印しつつ、あくまでも先輩後輩として小日向先輩と接していきたいと思っている。
 ――そうこうしているうちに、始業のチャイムが鳴る十分前になった。
「そろそろ俺らも教室行くか」
「結局、三人しか通りませんでしたね。しかも三人とも真面目そうで注意することもなかったし」
「だな。だから、明日からは来なくて良いぞ」
「嫌です」