訳あり後輩君と10秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

 体育祭の振替休日で月曜日は休み。
 本日、火曜日からの登校で、俺は至極ホッとしている。
 何故なら、火曜日は部活がない。星名と会わなくて良い。
 星名が嫌いなわけでは決してない。けれど、あんなことがあった後だ。顔を合わせづらいのは当たり前だ。
 星名からはメッセージが何度か届いた。
【先輩、今日はすみませんでした】【もうしませんから、連絡……欲しいです】【先輩……好きです】
 メッセージからも好きが滲み出ており、俺は返信出来ないでいる。
 キッパリとお断りすれば良いのだろうが、前にも言ったが俺は誰かに嫌われるのは苦手だ。
 全員が全員、俺のことを好いてくれるとは思ってはいない。そんなことは分かっているが、回避できるのならしたい。ただ、それだけだ。
 何て言えば星名を傷つけることなく、且つ俺も傷付かず、今の現状を打破できるのか。
 いくら考えても分からない。そもそも恋愛未経験の俺に分かるはずがないのだ。ここは恋愛豊富な人に聞くのが一番かもしれない——。

「え? 僕って、彼女いたことあるように見える?」
「むしろ紹介してくれ」
 佐竹と北条も俺と同じで恋愛未経験のようだ。分かってはいたが……。
 古谷も付き合ったことないと言っていたし、ここは思い切ってクラスの一軍メンバーに……。
「ん? 何か用?」
「あ、いや、何でもない」
 話しかけるのすら困難だ。
 そうこうしている内に昼休憩も終わってしまった。
 明日の部活が始まる前までには、対処法を考えなければ!
 
◇◇◇◇

 そして放課後。
 またもや別の悩みが浮上してしまった。
 週一回の風紀委員の集まり。言わずもがな月島の姿もそこにある。
「えー、この時期になると、新生活に慣れて気が緩む生徒が増えます。そこで、風紀強化月間を設けたいと思います」
 風紀委員長が取り仕切る中、皆が面倒臭そうな顔をする。
 風紀強化月間——それは、スカートの裾の長さからネクタイの緩み、第一ボタンのしめ忘れ、髪色など、全てに置いて注意喚起していく活動。これを一ヶ月間毎朝するのだ。
 注意される方も嫌だが、注意する方なんて朝八時前から校門前や裏門、下駄箱などに二人一組で分かれ、待機しないといけない。
 百歩譲ってここまでは想定内。毎年この時期にすることは事前に知らされていたから。
 俺の悩みは他でもない。
「小日向先輩。宜しくお願いしますね」
「お、おう」
 俺のペアが月島になったということだ。
 内心かなり喜んでいる。だからこそ、俺のこの月島に対する『好き』は、恋愛感情なのではないかと錯覚してしまう。この好きは、あくまでも人として好きなだけであって、この俺が男に恋愛感情を抱くなんてことは決してないはずだ。
 だから、近付きすぎてはダメだ。近付きすぎは、錯覚を助長させる。
「先輩、裏門って人通るんですか?」
「ん……たまに……ですかね」
「俺、裏門行ったことないんで、下見しといて良いですか?」
「えっと、それは……俺もでしょうか」
「小日向先輩以外、誰と行くんですか。他の人は別の場所担当ですよ」
「はは……ですよね」
「てか、先輩、喋り方変ですよ」
「そう? 前からこうですよ。はい」
 ということで、委員会が終わると、俺と月島は中庭を通って裏門までの道のりを歩くことになった。
 そして、これまでの二週間は何だったのかと思うほどに、月島は普通に話しかけてくる。対して俺は、初対面の時同様に変な喋り方になってしまう。近付きすぎないように……というのも勿論あるが、生意気な口を聞いたら、この二週間のように避けられそうな気がして怖いのだ。
 それを悟られまいと、俺は極力喋らないように努力する。
「ねぇ、先輩」
 それなのに月島ときたら、やたらと話しかけてくる。
 裏門への近道である校舎と校舎の間、人一人通れる狭い場所を通りながら返事をする。
「な、何でしょうか」
「俺のこと嫌いなんですか?」
「え!? な、何で?」
 後ろを振り返れば、月島は何とも言えない複雑な表情をしていた。かと思えば、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべる。
「この間の勝負、俺の勝ちですよね?」
「勝負……?」
「忘れちゃったんですか? 一昨日、先輩が眠ったら、俺の言うこと何でも一つ聞いてくれるってやつ」
「あー」
 あれが夢でないのなら、その勝負も有効というわけか。
 場所が場所なだけに、まるでカツアゲでもされそうな雰囲気だ。近道なんて考えず、もう少し開けた場所から向かえば良かったと後悔する。
「えっと……あれは、その……熱があったし」
 どうにか無効にできないか言い訳をしながら、もう少しで狭い通りを抜けるという時だった――。
 月島に腕を掴まれた。
「ちょ、月島」
「簡単なことなんで、お願いします」
「簡単かどうかなんて……あ、そうだ。コンタクトだけは嫌だから」
 以前、勝負に負けたらコンタクトにしろと言われていたのを思い出す。
「コンタクトは良いですから。それより、もっと楽しいこと」
「楽しい……?」
 確かに月島は楽しそうではあるが、月島が楽しいことは俺にとっては地獄だったりしないだろうか。
 不安に思いながら、月島を見上げる。
「えっと、何? 俺にできること?」
「はい。簡単なことなんで」
 月島は、ニコリと笑って続ける。
「俺のこと、名前で呼んで下さい」
「え? 月島」
「違います。(さく)です。朔って呼んで下さい」
「そんなので良いのか?」
 拍子抜けで、他にも何か企んでいるのではないかと勘ぐってしまう。
「あ、じゃあ、それと」
 ほら、やっぱり、本命は違うことなのだ。そう思っていたら――。
「いつも通りに喋って下さい。その変な喋り方は、普通に傷付きますから」
「でも、いつもみたいに喋ったら……」
「いつもみたく喋ったら、何か不都合でもあるんですか?」
「いや、不都合っていうか……」
 俺は伏し目がちに目を逸らしながら、自信無げに言った。
「月島は、俺のこと……嫌いにならない?」
「……え」
「避けられたりするの……嫌、だからさ」
 本心を言えば、月島は背を向けて口元を片手で覆った。
「月島?」
 表情が見えないので、何を考えているのか分からない。不安げに顔を覗きこもうとするものの、顔が見えないように向きを変えられる。
「月島、ごめん。俺、変なこと言った……かな?」
 もう他の人に嫌われても良い。しかし、月島にだけは嫌われたくないと思ってしまう。既に嫌われているのなら、これ以上嫌いにならないように、そう思ってしまうのは何故だろうか。
「月島……」
 そう呟いた時、後ろを向いていた月島がくるりとこちらを向いた。そして、いつぞやにされた壁ドンを再びされた。
 ただ、前のように好奇心旺盛な顔と違って、今回の月島の目は怒りを孕んでいる。はたから見れば、完全にカツアゲされている真っ最中だ。
「先輩はさ、まだ星名のこと、名前で呼んでないんですよね?」
「呼んでない……けど」
「じゃあ、先に俺の名前呼んで」
 その威圧感に萎縮する。
 そして、いざ月島の名前を呼ぼうとすれば、言葉に詰まる。
「さ、さ、さ……」
 顔が熱くなるのが分かった。たったの二文字なのに、どうしてこうも難しいことなのか。
「ほら、呼んで下さいよ。愛しのアイツの名前よりも先に、俺の名前。朔って呼んで」
「愛しのって、どういう……?」
「早く!」
 もうやけくそだ。こんなに責められるように言われて、羞恥もクソもない。 
「朔! 朔! 朔! これで良いんだろ!」
 肩で息をしながら月島を見上げる。その目から怒りは消えていたが、代わりに辛そうな表情の月島の顔がそこにあった。
「どうです? 少しは屈辱を味わえました?」
「屈辱? どういう意味だよ」
「そのまんまです」
「意味分かんねーし」
 屈辱的だとは微塵も思わなかった。むしろご褒美のような……名前で呼べて嬉しいと思ってしまうのは口に出さないでおく。
 月島改め朔は、溜め息を吐きながら、項垂れるように俺の肩に頭を乗せてきた。
「朔? 大丈夫か?」
「俺、何してんだろ……」
 朔は罪悪感に苛まれているようにしか見えない。俺は何故か胸がドキドキしっぱなしだし、この何ともいえない空気をどうしたら良いのか分からず、一つ質問してみた。
「なぁ、朔。ある人に告られたんだけど、どうにか仲を壊さずに振る方法ってない?」
「は?」
 朔が顔をあげたので、ドキリとする。
 今日一で近い。今にも朔の唇が頬を掠めそうな距離だ。
(ん? 今、当たった? 気のせい? 唇が当たったような……でも、朔は普通だし……気のせいか)
「はぁ……」
 またもや溜め息を吐かれた。
「先輩、モテモテですね」
「モテモテ……ではないけど、俺、恋愛経験ゼロじゃん? 初めてで、分かんなくって。お前なら豊富だろ?」
「ゼロ? 先輩、今真っ最中……ですよね? 美術館デートも行ったんですよね?」
「は? 美術館? しかもデートって何だよ。てか、真っ最中って何が?」
 話が噛み合わず、頭の中は疑問符でいっぱいだ。
 朔は興味なさそうに、けれどムスッとしたように応える。
「普通に言えば良いんじゃないですか? 付き合ってる人がいるって。はぁ……それを何で俺に聞くかな。拷問かよ」
 朔は、やれやれといった様子で裏門へと向かった。
「嘘も方便ってやつか」
 俺も朔の後を追った——。