訳あり後輩君と10秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

 意識がぼんやりと浮上し、薄っすらと目を開けた。
 横を見れば、俺と同じ高校の制服を着た誰かがベッドサイドに座っている。そして、俺は眠る前のことを思い出す。
「月島?」
 そこにいたはずの名を呼べば、予想外の声が聞こえてきた。
「先輩。具合どうですか?」
「星名……? あれ? 月島は?」
 その声は、最近よく聞いている声。俺を慕って懐いてくる星名の声だった。
「月島君……来てたんですか? 僕が来た時には、先輩一人でしたけど」
「あー」
 言われてみると、あれは夢だったような気もする。あの月島が来るはずがない。
「夢見てたのかも」
 やけにリアルな夢だった。額に置かれた手の感触も未だに残っている。
「今、何時?」
「十三時です。お昼ご飯食べます? 先輩のお母さんが、起きたら作るからって。僕、言って来ますよ」
「おう、サンキュー」
 星名が部屋から出たと同時に、俺は枕元に置いておいたメガネを掛けて、部屋の中を見渡す。
「夢かぁ……」
 しかし、何故だろう。気分がとても良い。
 眠ったおかげで熱が下がったのもあるかもしれないが、胸のモヤモヤが晴れたような……言葉で言い表すには、語彙力の低い俺には難しいが、とにかく苛々していないのだ。清々しいのだ。
「次学校行ったら揶揄いに行ってみるかな」
 普段は絶対にしないようなことまで考えてしまう。
 これは、逆に熱があがったのだろうか。

 ――トントントン。
 部屋の扉がノックされ、星名と土鍋を持った母が入ってきた。
「先輩、お母さん呼んできましたよ」
「悠ちゃん、具合どう?」
「うん。もう治ったっぽい」
「悠ちゃんは後輩君にモテモテなのね。これで二人目よ」
「「え!?」」
 母は、お盆ごと机の上に置いて土鍋の蓋を開けた。
「ほら、お粥。悠ちゃんの好きな鮭入れといたから」
「ねぇ、母さん。ここに来たもう一人って、どんな奴だった?」
「会ってないの? お母さんが帰って来た時にはもういなかったから、悠ちゃんが寝てると思って帰っちゃったのかしら。すっごいイケメン君だったよ。あ、でも、星名君の方が良い男よ」
「あ、ありがとうございます」
 母は何故か星名へのフォローも忘れないものだから、当の本人は困った顔で笑っている。
 そして、俺は額に手を当て、月島の顔を思い出す。呆れたような、それでいて心配そうにする月島の顔を――。
「じゃあ、星名君。移らない程度に帰るのよ」
「はい!」
 母は部屋を出ていき、星名が小さな机を挟んだ俺の斜め前に座った。
「先輩、食べさせてあげましょうか」
「……」
「先輩?」
 周りの音や声が聞こえない程に考え事をしていたら、星名の声が大きくなった。
「小日向先輩!」
 その声で我に返る。
「わ、悪い。なんだっけ?」
「お粥、食べないんですか?」
「食べる……けど」
 月島のことが頭から離れない。
 何故こんなにも気になってしまうのか。理由は分からない。分からないけれど、気が付けば四六時中考えている。星名が一緒にいる時も、絵を描いている時も、テレビを見ている時も、お風呂に入っている時も、いつも俺は月島のことを考えている。
 そんな月島が、今日ここに来たのだ。俺の額に、頬に触れ、寝かしつけてくれたのだ。俺がいないからと、体育祭を休んでまで――。
 自然と頬が緩む。涙が出そうになる。
「俺、やっぱ体調良くないや」
「先輩……」
「ごめん星名。今日は帰って」
 いつもならすんなり言うことを聞いてくれる星名だが、今日は立ち上がらず、真剣な表情で見つめてくる。
「先輩、好きです」
「ごめん、俺今はそういう気分じゃなくて」
 今は、気軽に好きなんて口にしちゃいけないような気がした。
「先輩は……月島君が好きなんですか?」
「……は? そんな訳」
 否定したいのに、最後まで否定できない。
 その理由が、今やっと分かった気がした。これまでの胸のモヤモヤや苛々、そして月島に会った時の胸の高鳴り。これらは全て——。
「俺……好きなの……かな」
 ぽつりと呟けば、星名が大きなため息を吐いた。
「はぁ……先輩、自覚するの遅すぎですよ」
「え?」
「小日向先輩、ずっと月島君の事しか見てないじゃないですか」
「そんなこと」
「あるんです。だから、僕は月島君に取られる前に奪いたかった」
「それって、まるで星名が俺のことを好きみたいじゃん」
 脳内で『好きみたいじゃん』が連呼する。
 星名の朱色に染まる頬を見て、呆気に取られた。
「マジで?」
「マジです。だから、押し倒して良いですか」
「は? ちょ、まッ」
 星名が俺の横に来たかと思えば、その場に押し倒された。
「ずっと我慢してましたけど、強行突破しないと先輩、僕の方振り向いてくれなさそうなんで」
「振り向くも何も、俺男だぞ」
「知ってますよ」
「星名なら、彼女の一人や二人すぐに出来るだろ? わざわざ男に走らなくても」
「二人もいりませんし、男だの女だの時代錯誤ですよ。先輩だって、月島君が好きなくせに。彼、男ですよ」
「つ、月島のことは、後輩として好きなだけだから。恋愛云々の好きじゃねぇ。絶対に」
 そう思いたい。そう思わないと、俺は耐えられない。だって、月島は俺のことが好きじゃないから。
 もしも俺のことが好きなら、十秒見つめ合う実験の後、すんなり引く訳がない。星名のように俺を慕って近付いてくるはず。それなのに、月島は——。
「月島君のこと好きじゃないなら、良いですよね。もらっちゃっても」
「ま、待て、それとこれとは」
「違いませんよ」
 逃げようにも、星名の筋肉に適うはずがない。
 ここは話し合い……そう、話し合いで解決が一番だ。
「星名、こういうのは好き同士でやるものであってだな」
「先輩だって僕のこと『好き』って何度も言ってましたよ」
「いっ……たな」
 言いました。何度も。
「でも、あれは陽キャの挨拶だろ?」
「僕は先輩にしか言ってません。そして、その陽キャだの隠キャだのの線引きやめて下さい。不愉快です」
「うッ」
 もっともなことを言われ、言葉に詰まる。
「小日向先輩、好きです。大好きです」
 星名の顔が近付いてくる。
 今回ばかりは自業自得だ。星名はずっと愛を伝え続けて来たのに、それに全く気付かなかった俺が悪い。こうなっても仕方ない。
 観念して、俺は目を固く瞑った。
 唇が触れ合う寸前、俺のスマホの着信音が鳴った。
「ほ、星名」
 それだけ言えば、星名は複雑そうな顔をしながら俺の上から退いた。
 起き上がってスマホの画面を見ると、北条からだった。
「もしもし。あ、うん。大丈夫……ありがとう。来週には行けると思う……え、今から!? 来ても良いけど……」
 佐竹と北条がお見舞いに来たいと言うので、星名の方をチラリと見た。それだけで理解したのだろう。星名は荷物を持って立ち上がった。
「僕はこれで失礼します」
 そして、静かに部屋から出ていった——。
 心の中で星名に謝罪し、佐竹と北条には感謝した。