訳あり後輩君と10秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

 それから何だかんだ二週間の時が過ぎ、体育祭当日の朝。
「悠ちゃん、熱どう?」
「うん、まだ三十八度あった」
 運が良いのか悪いのか、俺は熱を出してしまった。
 運動は苦手なので、学校中に無様な俺を曝け出さなく良いのは有難いが、学校のイベントは大事にしたかったりもする。
 高校を卒業したら進学するか就職するか……そこら辺の進路はまだ不明瞭ではあるものの、貴重な高校生活の体育祭に参加出来るのが残り一回になってしまった。
「解熱剤飲んで行ったらバレないかな?」
「ダメに決まってるでしょ!? お友達に移したらどうするの!」
「はぁい」
 珍しく母に叱られてしまった。
 俺は大人しく母が持ってきた卵スープと風邪薬を飲んでから寝ることにした。
「母さん、学校に連絡よろしく」
「来年は行けると良いわね」
 母が自室を出るなり、ピロン♪とスマホの通知音が鳴った。
「星名かな」
 連絡先を交換してからは、毎日のように連絡が来るようになった。図体はでかいのに仔犬のように懐いてくる星名は、俺にとって可愛い後輩だ。
 通知をタップすれば、予想通り星名からだった。
【先輩、熱下がりました? 今日行けそうですか?】
「悪い、三十八度あるから今日も休む……っと」
 ポチリと返信すれば、秒で返ってきた。
【僕も休みます! 休んで先輩の看病に行きます!】
「はは、何言ってんだよ」
 しかし、星名には悪いことをしたと思っている。
『絵は下手でも、運動は得意なので僕の勇姿を見て下さい!』
 と、ここ最近毎日のように言われ続けていたのだ。
 それなのに、その勇姿を見届けてやれないとは……。
「体育祭頑張れ! 騎馬戦負けんなよ! 来年は必ず見るからな」
 そう送れば、メッセージではなく電話がかかってきた。
「もしもし。星名?」
【先輩! 終わったら、絶対にお見舞い行きますから!】
「はは、良いって。明日の美術館までには治すから」
【いえ、それはまた今度でも大丈夫です! それよりも先輩の体の方が大事ですから!】
「ありがとな。心配してくれて」
【もちろんです! 先輩、愛してます】
「はは、俺も愛してるぞ」
【もう、僕は本気なのに、いつになったら分かってくれるんですか!】
 実は、好きだの愛してるだのを星名から連日言われるようになった。陽キャは、それが挨拶のようだ。
「じゃ、頑張れよ」
【はい。先輩はゆっくり休んで下さい】
 ——ツー、ツー。
 通話が終われば、俺は少し冷めた卵スープを飲んだ。
「月島……どうしてるかな」
 ポツリと呟き、机に置かれたスマホを眺めた。
 この中には、月島はいない。月島とは、連絡先を交換していないから、何か用事がある時は本人に直接会いに行くしか手段がない。
 けれど、用事がないのだ。
 週四で会うには会うが、委員会の集まりでも、さして月島と二人で話すこともなく、部活でも挨拶を交わす程度。俺以外とは仲良く話しているのに、俺にだけそっけない。
 そのくせ、目だけは合う。異様に何度も合うので、声をかけてみようと近づけば、フイッとどこかに行ってしまうのだ。猫のように。
「はぁ……」
 熱で月島のことしか考えられなくなってしまったようだ。俺は薬を飲んで、一旦眠ることにした——。

◇◇◇◇

 一時間後。
「眠れない……」
 布団の中で横になっているが、頭の中が月島でいっぱいで眠れない。考えないようにすればするほど考えてしまい、ドツボにハマってしまった。
「今度、文句言いに行くか」
「誰に文句言いに行くんですか?」
「そりゃ、もちろん……え!?」
 メガネをしていないので見えないが、この声は月島だ。絶対に月島だ。でも、何故月島が?
 俺は、その顔を確認すべくガバッと起き上がった。
「痛ッ——」
 勢いよく起き上がったせいか、頭痛がした。頭を押さえて痛みに堪えていると、月島が冷んやりとした手を額に当ててきた。
「先輩、まだ熱下がってないじゃないですか。ちゃんと寝ないと」
「誰のせいで眠れないと……」
 月島の顔がすぐそこにあり、ドキリとした。メガネがなくとも見える距離に月島の顔、そして、その手は俺の額に押し当てられている。
「誰のせいなんですか?」
「それは……ってか、何でこんなとこいんだよ。学校は?」
「サボりました」
「何で」
「先輩がいないから」
 意味が分からない。
 今まで俺たちは週四で顔を合わせていたのに、会話すらしなかった。それなのに、俺がいないから学校をサボる? その言い訳に苛立ちを覚える。
「そんなこと言うなら、何で学校で無視すんだよ」
「無視まではしてませんよ。それに、先輩が言ったんですよ『俺に構うな』って」
「そんなこと……言ったかも」
 いつぞやの公園で十秒見つめ合った時に、半分冗談のつもりで言った。
『これで俺が恋に落ちなかったら、あんま俺に構うなよ』
 あれを律儀に守ってくれたのか?
「い、言ったかもだけど、でもどうして俺の家知ってんだよ。教えてねーだろ」
「それは……」
 珍しく月島が黙ってしまった。
 同時に、その手も離れて行く。
 その手が恋しくて、つい掴んでしまった。
「え……」
 驚く月島を他所に、俺はそれを自身の頬に当てた。
「月島の手。冷たくて気持ち良い……から」
 目を逸らしながら言えば、フッと笑われた。
「先輩、熱が出ると甘えん坊になっちゃうんですか?」
「うるさい。冷えピタの代わり」
「そうですか。じゃあ、こっちも」
 ポケットに入っていた左手も、反対の頬に当てられた。
「こっちはそうでもない」
「贅沢ですね」
 ムニムニと頬を引っ張られた。
「俺の顔が不細工になって結婚出来なかったら、責任取ってもらうぞ」
「良いですよ。お嫁にもらってあげます」
 ムニムニする手が激しくなり、しまいにはタコみたいな口にさせられた。
「ほひ(おい!)」
 ムッと睨めば、やっとその手が離れた。
「ッたく、やりすぎだって。てか、母さんは?」
「買い物行きましたよ。学校サボったって言ったら、叱られました」
「だろうな」
 僅かに痛む頬をさすりながら言えば、月島に両肩を押されてベッドに寝かされた。そして、掛け布団を丁寧に肩までかけられた。
「でも、『サボったなら戻りにくいだろうから、悠ちゃんお願い』って、お願いされました。だから、寝て下さい」
「眠れない」
「眠れなくても。目を瞑ったら眠れますから」
「眠れなかったらどうする?」
 俺はどうしてこうも月島に突っかかっているのか。これではまるで、駄々をこねている子供だ。月島も呆れかえっている。
「はぁ……眠れなかったら、そうですね。先輩の言うこと何でも一つ聞いてあげます」
「何でも……」
 何でもと言われると困るが、もしもここで眠らなかったらお願いを聞いてくれるわけで、眠らない方が俺にメリットがある。そしてこの勝負、完全に俺が有利だ。
「約束だかんな」
「でも、先輩が眠ったら、俺の言うこと聞いてくださいよ」
「臨むところだ!」
「ったく……何を競ってるんだか。早く寝て、元気になって下さい」
 月島が頭をクシャっと撫でてきた。
 その顔はぼやけて見えないけれど、確かに月島がそこにいるのだと思うと、何故か無性にホッとした。
「月島。冷えピタして」
「はいはい」
 ひんやりとした月島の手が、俺の額に当たった。
 そして俺は、月島との勝負に呆気なく負けた――――。