「ふふっ、懐かしい」
翌日の昼下がり。駅前の広場で、スマホの中のトラ猫たちを眺めながら思い出に浸る。
今日はこれから才木さんと猫カフェに行く予定。進級すると遊ぶ時間が取りづらくなるため、二年生のうちに楽しんでおこうと思い、俺から誘った。
「みんな、元気かな」
画面をスワイプしたら、去年のトラ吉の写真が表示された。
市瀬家とは現在も連絡を取り合っており、毎年トラ吉とベルちゃんの近況をとびきり可愛い写真付きで教えてくれる。
しかし、彼女とは直接やり取りはしていない。
スマホを買ってもらった時に交換したかったのだけど、好意を寄せていることを知られるのではと尻込みしてしまい、言い出せず。写真は母親経由でもらい続けている。
思春期真っ盛りだったから仕方なかったとはいえ、なんてもったいないことをしたんだろう。勇気を出していれば、今も交流していたかもしれないのに。
二人で会ってた時に番号だけでも聞いておけば良かったな。あぁダメだダメだ。これ以上は女々しいからやめとこう。
首を横に振り、再び画面をスワイプしようとした、その時。
「須川くん……?」
恐る恐る名前を呼ぶ声に顔を上げた瞬間、目を見張った。
それもそのはず。視線の先にいたのは、つい先ほどまで脳内に思い浮かべていた人物──市瀬さんだったからだ。
「久しぶりだね〜! 元気だった?」
「っ、はい。お久しぶり、です」
友好的に声をかけてきた彼女に、途切れ途切れに返答する。
偶然にしてはあまりにも不意打ちすぎる登場。嬉しさと驚きが交じり合って、頭が追いつかない。
「須川くんも誰かと待ち合わせしてるの?」
「はい。友達とです」
「そっか。私もここで待ち合わせしてるの。お互いに待ち人が来るまで少し話さない?」
「は、はいっ。もちろん」
ストレートだった髪はゆるい巻き髪に。唇はほんのり赤く、目元にはラメが乗っている。
あの時は高一だったから……二十歳? 大学二年生の年齢か。
当時も大人っぽかったけれど、今は化粧をしているのも相まってか、色気を感じる。屋外にいるのに湯気が出ているんじゃないかと思ってしまうくらい、顔が熱くてたまらない。
すると、彼女が微笑みながら俺の頭上に手を伸ばしてきた。
「本当大きくなったね。最初は私より低かったのに。二十センチは確実に伸びたよね?」
「はい。市瀬さんも、少しは伸びたんじゃないんですか?」
「一センチだけね!」
久しぶりに聞くセリフに、こちらも笑みが漏れる。外見は変わっても、中身はいい意味で昔のままで安心した。
「そうだ、連絡先交換しようよ! 直接写真送れるし!」
「はいっ! もちろん!」
ちょうど言い出そうとしていたセリフを先に言われ、さらに心が弾む。
わかってる。市瀬さんはただ交流を深めたいだけだって。あっちは大学生か社会人。大人がお子ちゃまを相手にするはずがないんだから。そもそも背比べされてる時点で俺のことなんか眼中にない。
だけど、俺もあと二年ちょっとで二十歳。
大人になったら、少しは意識してくれるかな……?
近い未来に期待を寄せたのもつかの間──。
「せーらちゃん。遅れてごめんね」
「あ、零士くん!」
切れ長の大きな目が特徴的な男の人が、市瀬さんに話しかけた。服装と立ち姿から大人の雰囲気が感じられる。
彼らの間に流れる空気を瞬時に読み取り、背筋を伸ばすと、黒目がちの瞳がゆっくりとこちらに向く。
「えーと……君は世蘭ちゃんのお友達?」
「はいっ。猫友達の須川といいます」
誤解を招かれないよう、強調して名乗った。といっても俺だけ学生感丸出しの服装だから、後輩や従弟みたいにしか見られなさそうだけど、一応ね。
「零士くん、この子がトラ吉とトラ美ちゃんを見つけたんだよ!」
「そうなの⁉ はじめましてー! イチノセです! トラたちを見つけてくれて、ほんっっとうにありがとうございます!」
「あぁ……いえいえ、そんな」
予想の斜め上をいく反応に拍子抜けする。
感謝されちゃった。しかも握手まで。
トラ吉はもちろん、トラ美ちゃんも知っているのならば、笹森さんとも交流があるのか。高校が同じなのかな?
それより、今聞いた名前って──。
「もしかして、結婚してるんですか……?」
両者ともはしゃいでいたため、今気づいた。
それぞれの左手の薬指に、金色の指輪がはめられていることを。
「いや……! これはペアリング! ね!」
「う、うんっ! 確かに同じ名字ですけど、俺は別のイチノセなんですよ」
尋ねた途端、二人揃って顔が赤くなった。漢字では一ノ瀬と書くんだそう。
結婚って言っただけでここまで照れるなんて。外見に似つかず、性格は純粋みたい。
「あとでベルとトラ吉の写真送るね!」
「いいなー。俺にもちょうだいよ」
「この前あげたじゃん」
「あの……他のトラ猫たちの写真あるんで、良かったら送りましょうか?」
「いいんですか⁉ なら直接……」
「ちょっと! ごめんね、彼、無類の猫好きなの」
スマホを出そうとする彼を止める市瀬さん。
わかってますよ。自己紹介の時点でほぼ確信してましたから。
「って、いつの間に長話してたね。そろそろ行くね」
「いえいえ。楽しかったです。あとでたくさん写真送りますね」
「お願いします!」
「もうっ! 零士くんってば!」
最後に挨拶し合った後、市瀬さんは彼の腕を引っ張りながら駅の中へと消えていった。
どっちも優雅に現れて、嵐のように去っていったな。……お似合いだったな。
「すーがわっ」
仲睦まじく腕を組んで歩く後ろ姿を眺めていると、才木さんにポンと背中を叩かれた。
「修羅場になるかと思ったら、まさか盛り上がるとはね〜」
「見てたの?」
「うん。大きくなったねって話してたところから」
だとすると、最初から見られてたのか。大丈夫だったかな? ちゃんと笑えてたし、顔に出てなかったよね?
「あのお姉さん、実玖と似てたね」
「ええ? どこが?」
「雰囲気。あと動物が好きなところ。須川の好みがよーくわかったよ」
「ちょっ、何言って……」
言い返そうとするも、にんまりと上がっている口角を見て口をつぐんだ。
浮かれた心を見抜かれた上に、失恋した瞬間までも見られてしまった。
恥ずかしい。才木さんが気づいたのだから、あの二人にも気づかれたかもしれない。
「……そんなに顔に出てた?」
「出てた。でも相手にはバレてないと思うよ。猫の話してたから」
才木さんが言うには、猫の話題で上手くカモフラージュされたっぽい。
ありがとうトラ吉、トラ美ちゃん。あとベルちゃんも。
「泣くなら、背中貸そうか?」
「泣かないよ。それじゃ才木さんが潰れちゃう」
「……それ、私が小さいって言いたいの?」
「だって三十センチくらい違うじゃん」
「いやいや。私これでも高校に入って二センチ伸びたから。正確には二十八センチ」
「俺も二センチ伸びたんだけど……」
訂正すると、黙り込んでしまった。
上目遣いで見つめる彼女の瞳には、恨めしいの文字が映っている。……これはタブー要素に触れてしまったかもしれない。
「ごめんっ。本当に大丈夫だから。ありがとね」
「もうっ。あとでジュース奢ってよね。そしたら許す」
ふくれっ面を浮かべると、スタスタと広場を出ていった。「はーい」と返事をして後を追う。
「ちなみに何が飲みたい?」
「えええー……コーンポタージュ?」
「それ、ジュースというよりスープじゃない?」
「いいじゃん。どっちも液体なんだから。それ以上つつくなら、トッピング山盛りのコーヒー頼んじゃおっかな〜?」
「そ、それはちょっと……お財布と相談しないことには……」
「冗談だよ。お茶でいいよ、お茶で」
眉根を寄せて考え込む俺に、「ほんと面白いねー、須川は」とケラケラ笑う才木さん。つられて自分も笑みが込み上げ、顔をほころばせる。
ぽっかり空いた心が、優しい温もりで満たされたような感覚がした。
◇◇
その日の夕方。追加されたばかりの連絡先を開き、フリック入力で返事を打ち込む。
【市瀬さん、こんばんは。今日はありがとうございました。あと、成人おめでとうございます。
トラ吉とベルちゃん、元気そうで安心しました。可愛い写真をありがとうございます。
機会があったら、タマとマルとも対面できたらいいですね! ベルちゃんが覚えてるか心配ですけど……。
コタロウくんとコジロウくんの写真、たくさんあるので、一ノ瀬さんによろしく伝えておいてください!
もし結婚したら、猫友として式に呼んでくださいね!】
送られてきた写真の下に、トラ猫たちの写真と、タマとマルの写真を。最後に、お茶目な文を添えて返信した。
END
翌日の昼下がり。駅前の広場で、スマホの中のトラ猫たちを眺めながら思い出に浸る。
今日はこれから才木さんと猫カフェに行く予定。進級すると遊ぶ時間が取りづらくなるため、二年生のうちに楽しんでおこうと思い、俺から誘った。
「みんな、元気かな」
画面をスワイプしたら、去年のトラ吉の写真が表示された。
市瀬家とは現在も連絡を取り合っており、毎年トラ吉とベルちゃんの近況をとびきり可愛い写真付きで教えてくれる。
しかし、彼女とは直接やり取りはしていない。
スマホを買ってもらった時に交換したかったのだけど、好意を寄せていることを知られるのではと尻込みしてしまい、言い出せず。写真は母親経由でもらい続けている。
思春期真っ盛りだったから仕方なかったとはいえ、なんてもったいないことをしたんだろう。勇気を出していれば、今も交流していたかもしれないのに。
二人で会ってた時に番号だけでも聞いておけば良かったな。あぁダメだダメだ。これ以上は女々しいからやめとこう。
首を横に振り、再び画面をスワイプしようとした、その時。
「須川くん……?」
恐る恐る名前を呼ぶ声に顔を上げた瞬間、目を見張った。
それもそのはず。視線の先にいたのは、つい先ほどまで脳内に思い浮かべていた人物──市瀬さんだったからだ。
「久しぶりだね〜! 元気だった?」
「っ、はい。お久しぶり、です」
友好的に声をかけてきた彼女に、途切れ途切れに返答する。
偶然にしてはあまりにも不意打ちすぎる登場。嬉しさと驚きが交じり合って、頭が追いつかない。
「須川くんも誰かと待ち合わせしてるの?」
「はい。友達とです」
「そっか。私もここで待ち合わせしてるの。お互いに待ち人が来るまで少し話さない?」
「は、はいっ。もちろん」
ストレートだった髪はゆるい巻き髪に。唇はほんのり赤く、目元にはラメが乗っている。
あの時は高一だったから……二十歳? 大学二年生の年齢か。
当時も大人っぽかったけれど、今は化粧をしているのも相まってか、色気を感じる。屋外にいるのに湯気が出ているんじゃないかと思ってしまうくらい、顔が熱くてたまらない。
すると、彼女が微笑みながら俺の頭上に手を伸ばしてきた。
「本当大きくなったね。最初は私より低かったのに。二十センチは確実に伸びたよね?」
「はい。市瀬さんも、少しは伸びたんじゃないんですか?」
「一センチだけね!」
久しぶりに聞くセリフに、こちらも笑みが漏れる。外見は変わっても、中身はいい意味で昔のままで安心した。
「そうだ、連絡先交換しようよ! 直接写真送れるし!」
「はいっ! もちろん!」
ちょうど言い出そうとしていたセリフを先に言われ、さらに心が弾む。
わかってる。市瀬さんはただ交流を深めたいだけだって。あっちは大学生か社会人。大人がお子ちゃまを相手にするはずがないんだから。そもそも背比べされてる時点で俺のことなんか眼中にない。
だけど、俺もあと二年ちょっとで二十歳。
大人になったら、少しは意識してくれるかな……?
近い未来に期待を寄せたのもつかの間──。
「せーらちゃん。遅れてごめんね」
「あ、零士くん!」
切れ長の大きな目が特徴的な男の人が、市瀬さんに話しかけた。服装と立ち姿から大人の雰囲気が感じられる。
彼らの間に流れる空気を瞬時に読み取り、背筋を伸ばすと、黒目がちの瞳がゆっくりとこちらに向く。
「えーと……君は世蘭ちゃんのお友達?」
「はいっ。猫友達の須川といいます」
誤解を招かれないよう、強調して名乗った。といっても俺だけ学生感丸出しの服装だから、後輩や従弟みたいにしか見られなさそうだけど、一応ね。
「零士くん、この子がトラ吉とトラ美ちゃんを見つけたんだよ!」
「そうなの⁉ はじめましてー! イチノセです! トラたちを見つけてくれて、ほんっっとうにありがとうございます!」
「あぁ……いえいえ、そんな」
予想の斜め上をいく反応に拍子抜けする。
感謝されちゃった。しかも握手まで。
トラ吉はもちろん、トラ美ちゃんも知っているのならば、笹森さんとも交流があるのか。高校が同じなのかな?
それより、今聞いた名前って──。
「もしかして、結婚してるんですか……?」
両者ともはしゃいでいたため、今気づいた。
それぞれの左手の薬指に、金色の指輪がはめられていることを。
「いや……! これはペアリング! ね!」
「う、うんっ! 確かに同じ名字ですけど、俺は別のイチノセなんですよ」
尋ねた途端、二人揃って顔が赤くなった。漢字では一ノ瀬と書くんだそう。
結婚って言っただけでここまで照れるなんて。外見に似つかず、性格は純粋みたい。
「あとでベルとトラ吉の写真送るね!」
「いいなー。俺にもちょうだいよ」
「この前あげたじゃん」
「あの……他のトラ猫たちの写真あるんで、良かったら送りましょうか?」
「いいんですか⁉ なら直接……」
「ちょっと! ごめんね、彼、無類の猫好きなの」
スマホを出そうとする彼を止める市瀬さん。
わかってますよ。自己紹介の時点でほぼ確信してましたから。
「って、いつの間に長話してたね。そろそろ行くね」
「いえいえ。楽しかったです。あとでたくさん写真送りますね」
「お願いします!」
「もうっ! 零士くんってば!」
最後に挨拶し合った後、市瀬さんは彼の腕を引っ張りながら駅の中へと消えていった。
どっちも優雅に現れて、嵐のように去っていったな。……お似合いだったな。
「すーがわっ」
仲睦まじく腕を組んで歩く後ろ姿を眺めていると、才木さんにポンと背中を叩かれた。
「修羅場になるかと思ったら、まさか盛り上がるとはね〜」
「見てたの?」
「うん。大きくなったねって話してたところから」
だとすると、最初から見られてたのか。大丈夫だったかな? ちゃんと笑えてたし、顔に出てなかったよね?
「あのお姉さん、実玖と似てたね」
「ええ? どこが?」
「雰囲気。あと動物が好きなところ。須川の好みがよーくわかったよ」
「ちょっ、何言って……」
言い返そうとするも、にんまりと上がっている口角を見て口をつぐんだ。
浮かれた心を見抜かれた上に、失恋した瞬間までも見られてしまった。
恥ずかしい。才木さんが気づいたのだから、あの二人にも気づかれたかもしれない。
「……そんなに顔に出てた?」
「出てた。でも相手にはバレてないと思うよ。猫の話してたから」
才木さんが言うには、猫の話題で上手くカモフラージュされたっぽい。
ありがとうトラ吉、トラ美ちゃん。あとベルちゃんも。
「泣くなら、背中貸そうか?」
「泣かないよ。それじゃ才木さんが潰れちゃう」
「……それ、私が小さいって言いたいの?」
「だって三十センチくらい違うじゃん」
「いやいや。私これでも高校に入って二センチ伸びたから。正確には二十八センチ」
「俺も二センチ伸びたんだけど……」
訂正すると、黙り込んでしまった。
上目遣いで見つめる彼女の瞳には、恨めしいの文字が映っている。……これはタブー要素に触れてしまったかもしれない。
「ごめんっ。本当に大丈夫だから。ありがとね」
「もうっ。あとでジュース奢ってよね。そしたら許す」
ふくれっ面を浮かべると、スタスタと広場を出ていった。「はーい」と返事をして後を追う。
「ちなみに何が飲みたい?」
「えええー……コーンポタージュ?」
「それ、ジュースというよりスープじゃない?」
「いいじゃん。どっちも液体なんだから。それ以上つつくなら、トッピング山盛りのコーヒー頼んじゃおっかな〜?」
「そ、それはちょっと……お財布と相談しないことには……」
「冗談だよ。お茶でいいよ、お茶で」
眉根を寄せて考え込む俺に、「ほんと面白いねー、須川は」とケラケラ笑う才木さん。つられて自分も笑みが込み上げ、顔をほころばせる。
ぽっかり空いた心が、優しい温もりで満たされたような感覚がした。
◇◇
その日の夕方。追加されたばかりの連絡先を開き、フリック入力で返事を打ち込む。
【市瀬さん、こんばんは。今日はありがとうございました。あと、成人おめでとうございます。
トラ吉とベルちゃん、元気そうで安心しました。可愛い写真をありがとうございます。
機会があったら、タマとマルとも対面できたらいいですね! ベルちゃんが覚えてるか心配ですけど……。
コタロウくんとコジロウくんの写真、たくさんあるので、一ノ瀬さんによろしく伝えておいてください!
もし結婚したら、猫友として式に呼んでくださいね!】
送られてきた写真の下に、トラ猫たちの写真と、タマとマルの写真を。最後に、お茶目な文を添えて返信した。
END



