「ソウ〜! ちょっと来て〜!」


 三匹目の引き渡し先が見つかった日から、一ヶ月が経った平日の夜。

 明日提出する宿題をしていたら、母に呼ばれた。階段を下りてリビングのドアを開ける。


「はーい。何?」
「大事な話があるからこっちに来て」


 手招きする母。奥には、父がタマを抱えて椅子に座っていた。足元にやってきたマルを抱っこし、ダイニングテーブルに移動する。

 大事な話? 学校のこと? でも何もやらかしてなかったと思うんだけど……。


「さっき市瀬さんから連絡が来てな。最後の猫は、自分たちが引き取ることにしたそうだ」


 全員着席すると、おもむろに父が話を切り出した。

 笹森さん一家が選んだのは女の子と聞いたから、引き取るのは男の子か。


「なんで? 欲しい人が出てこなかったから?」
「いや、今まで希望者は何人かいたんだ。だが、対面するたびに嫌がってて……」


 両親いわく、同行した際、明らかに人に会うのを嫌がっていた猫が一匹いたという。残ってしまったのは、恐らくその子だろうと。


「『来月に去勢手術をする予定だから、良かったら会いに来てくれませんか』と言われた」
「それ……俺も行っていいの?」
「いいのって、むしろソウが行かないとだろう。第一発見者なんだし。お父さんはこの子たちと留守番してるから行ってきなさい」


 タマを撫でながら穏やかな顔で答えた父。


「十二月に入ってすぐの日曜日だそうだ。空けときな」
「……わかった」


 席を立ち、マルを床に下ろしてリビングを後にする。

 良かった。今年中に行き先が見つかって。市瀬家なら、きっと心から愛してくれる。ずっと願ってた見送りも叶うんだ。


「……最後、か」


 ポツリと呟いた自身の声が階段に響く。

 親同士が繋がっているから、完全に縁がなくなるわけではない。同じ町内に住んでいるのだから、会おうと思えば会える。


『次は……トラちゃんたちのお昼寝ショット!』
『須川くん! これ見て!』


 喜ばしい。おめでたい。頭の中では祝福の言葉が花火のように打ち上がっているのに。

 あの眩しい笑顔としばしの間お別れになるのかと思うと、口角が上がらなかった。


◇◇


「こんにちは。お久しぶりです」
「こちらこそ。久しぶり」


 十二月上旬の日曜日。病院の駐車場にて市瀬一家と顔を合わせた。


「大きくなりましたね」
「もう丸七ヶ月、八ヶ月近いからね。須川くんもまた伸びたんじゃない?」
「こないだ保健室で測ったらまた伸びてました」


 彼女に抱えられているトラ猫くんに近づき、ゆっくりまばたきをしてご挨拶。

 初対面から半年以上経っていたため、威嚇されないか心配だったが、手のにおいを嗅がせたからかおとなしい。この人は安全だって思ってくれたのかな。


「あのね、須川くんにお願いしたいことがあるんだけど……」


 成長したトラ猫くんを目に焼き付けていると、市瀬さんが口を開いた。


「この子に名前をつけてほしいの」
「えっ、いいんですか?」
「最初に見つけたから。みんな名前を貰ったから、この子にもつけてあげたいなって」


 なるほど。だから俺が呼ばれたのか。

 どうしよう。まさかこんな重要な役割を任されるなんて思ってもなかった。

 面食らう中、頭をフル回転させる。

 『体を寄せ合って眠る姿が、サッカーボールの色合いに似ていた』という理由で、タマとマルはどちらも俺が命名した。

 けれど、人様の猫に単調な名前を提案するのは若干抵抗がある。

 引き取られていった子猫たちを脳内に並べる。

 漢字では虎太郎と虎次郎と表記する、コタロウくんとコジロウくん。猫についてみっちり勉強した笹森さん一家の猫は、トラ美ちゃんと聞いた。


「……トラ吉、は、どうでしょうか。吉はおみくじの吉で、いいことがありますようにって意味です」


 家族と離れ離れになり、兄弟たちが次から次へと選ばれていくのを見送ってきた彼に、幸運が訪れますように。

 また、市瀬さんは彼らをトラちゃんと呼んでいた。

 いきなり呼び名が変わると混乱しそうだから、少し足すくらいがちょうどいいかもしれない。そう考えた結果、この名前にたどり着いた。


「おみくじの吉かぁ。いいね! よし、今日から君はトラ吉くんだ!」
「にゃあ」


 市瀬さんが呼びかけると、まるで返事をするかのように鳴いた。もしかして気に入ってくれたのかな?


「素敵な名前をありがとう」
「いえ。喜んでもらえて良かったです。トラ吉をよろしくお願いします」
「はい。心から大切にします」


 深々と頭を下げ合うと、市瀬さんのスマホからアラーム音が鳴った。

 どうやらお別れの時間が来たようだ。


「じゃあね、トラ吉。元気でね」
「にゃあー」


 顎の下をそっと撫でたら、また返事をしてくれた。

 あぁ、どうしよう。泣きそう。


「市瀬さん、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。たくさん協力してくれて本当にありがとう。短い間だったけど楽しかったよ。また会おうね」


 目を細める彼女の顔が、涙で滲んでいく。こぼれないよう必死にこらえて、笑顔で見送った。

 次に会う時は、タマとマルを紹介するね。俺のこと、覚えててくれてたら嬉しいな。

 幸せになるんだよ。


◇◇


 数ヶ月後。新しい季節の訪れとともに、我が家の愛猫たちは一歳を迎えた。

 同時にベルちゃんも一歳になったと、写真付きで母から知らされた。

 春休みに入ってしばらくすると、定期健診のお知らせが届いたのだが、部活が忙しく、付き添いに行けず。

 そのまま二年生に進級した。


「須川! おはよう!」
「おはようございます」


 新学期が始まって二週間。毎度のごとく、校門で高倉先生と挨拶を交わした。


「いきなりで悪いが、昼休みに生徒指導室に来てくれないか?」
「何かお話ですか?」
「こないだコタロウの誕生日パーティーをしてな。その時の写真をあげたいと思って」
「わかりました。お昼ご飯食べた後に伺います」


 先生は相変わらず、顔を合わせる度にコタロウくんの話をしてくる。

 張り紙事件の後、指導がより厳しくなり、おかげで平和が戻りつつあるそう。問題行動の報告も、徐々に減ってきているらしい。

 校内新聞と掲示板を一目見て校舎に入り、教室へ向かう。


「おはよう」
「おはよう須川! 昨日の写真ありがとな!」
「いえいえ。綺麗に撮れてたでしょ?」


 友達と挨拶を交わし、席に着く。

 年が明けた冬休み。念願のスマホデビューを果たした俺は、タマとマルの写真を撮っては友達に送っている。

 従兄弟からもコジロウくんの写真を時々貰っていて、部屋で一人、「可愛いー!」って叫ぶこともしばしば。

 その後の中学時代は、毎日愛猫たちに癒やされながら部活と勉強に励む日々を送り続け、彼女と一度も会うことなく過ごしたのだった。