「須川! おはよう!」
「おはようございます」


 二学期初日。校門で高倉先生と挨拶を交わした。


「お、少し背伸びたか?」
「はい。こないだ測ったら四月から五センチ近く伸びてました」
「そっかそっか〜。コタロウもすくすく育ってるぞ〜」


 先月にお試し期間が終わり、コタロウくんは正式に高倉先生の家族になった。それもあってか、いつもに増してご機嫌。

 ルンルン気分の先生の横を、周りの生徒たちは動揺した様子で通り過ぎていく。

 ……もうここまできたら、来年には完全にキャラが変わってしまいそうだ。


「先生、可愛いのは充分わかりますけど……」
「わーかってるって! 猫ちゃんには甘々だが、生徒にはきちんと指導するから。須川も油断するなよ?」
「は、はい……」


 自分で甘々って言っちゃったよ。でも、すごく可愛がられてるみたいで安心した。

 立ち話をした後、「保護猫の件で話したいことがある」と言われ、放課後に生徒指導室へ行くことに。

 新しい里親希望者が見つかったのかな?

 なんて、淡い期待を寄せて訪ねたけれど──部屋に入った途端、浮かれた心は粉々に砕け散った。


「先月の登校日に見つけた物だ」
「っ、嘘……」


 テーブルに置かれたクシャクシャの紙と破かれた紙。校内に貼っていた里親募集の張り紙だった。

 絶句したまま手に取ると、踏みつぶしたのか、裏には靴跡が残っていた。


「須川はまだ一年生だから、あまり耳にしないかもしれないが……実はこの学校、昔から問題児がちらほらいてな」


 おもむろに話を切り出した先生が、学校の裏事情について語り始めた。

 まだ俺が生まれる前、地域の治安が悪く、荒れている生徒が多かった。

 掲示板のポスターをボロボロにされたり、校舎裏にゴミが捨てられるのは日常茶飯事。

 高倉先生が赴任してからは減少傾向にあるらしいのだが、当時は毎日のように怒号が飛び交っており、ひどい時は花壇の花が燃やされていたこともあるそう。


「見かけた時は厳重に注意はしてるんだが、最近は集団で陰口を叩いている話を聞くんだ。目に見えるものじゃないから特定が難しくてな……」


 言葉の暴力、か。

 ストレス発散のつもりなのかは定かではないが、無関係の人からしたら、ただの八つ当たり。そういうのは当事者同士で解決してもらわないと。迷惑にもほどがある。


「許せない……」
「ああ。俺も許せない。だから……」


 声を詰まらせた高倉先生。強面の顔には影が落ち、悔しそうに唇を噛みしめている。

 恐らく、この後に続く言葉は──。


「仮に生徒の中から希望者が現れたとしても、譲渡するのはやめたほうがいい。犯人か明らかになっていない状況では危険だ」


 蒸し暑い空間なのにも関わらず、鳥肌が立った。

 たとえ猫が好きな人だったとしても、もし希望者が問題児だったら。矛先が人間から猫に変わることも、全くないとは言い切れない。


「何かあってからじゃ遅い。小さな命を危険に晒したくないんだ」
「っ……」


 張り紙を握りしめる手が震える。

 捨てられた次は暴力を振るわれてしまう、なんてことは絶対させたくない。

 彼らの未来を守るためにも、やめたほうがいいのは納得している。

 だけど、今まで順調に進んでいた分、ショックが大きすぎて……。


「本当にごめん。須川の気持ちは痛いほどわかるけど……」
「いえ……っ。教えてくれて、ありがとうございます」


 涙声で頭を下げた。

 学校の裏側と、人間の残酷な一面を目の当たりにして、ほんの少しばかり恐怖を抱いた。

 けど、あの子たちの幸せのためだから。知って良かったって前向きに捉えなきゃ。


 重い足取りで帰宅し、両親に説明。話してるうちに涙が出てきてしまったけれど、「よく頑張ったよ」と背中を擦って慰めてくれたのだった。



◇◇



 学校で募集をやめて数日。従兄弟の家庭では、お試し期間が終了した。

 こちらも相性ピッタリだったため、正式に家族の仲間入り。名前はコジロウくんと言うそう。

 コタロウとコジロウ、一文字違いか。

 従兄弟は『二番目にデカかったから』と言っていたけれど、コタロウくんはどんな由来なんだろう。次の登校日に聞いてみようかな。


 それから日は流れて、十月上旬の土曜日。


「遅れてごめんね。説明が長引いちゃって」
「いえいえ。ベルちゃんは今日泊まるんですか?」
「うん。念のためにね。トラちゃんたち寂しがるだろうなぁ」


 病院近くの公園で、市瀬さんと落ち合った。

 今日もお互いに健診……ではなく、ベルちゃんの避妊手術の日。

 じゃあなぜ関係のない俺がここにいるのか。

 さかのぼること先月。出会わせてくれたお礼にと、先生と従兄弟家族から、記録用に撮っていた写真をたくさん貰ったのだ。

 それで彼女と分け合おうと、母を通して連絡したら、ベルちゃんが手術すると聞いて。その日に合わせて会おうかって話が出たわけ。

 ちなみに今日は、お母さんが買い物に行く用事があったため、自転車で来た。

 東屋に移動し、トートバッグから写真が入った封筒を取り出す。


「これが、写真なんですけど」
「分厚っ! 何枚あるの?」
「毎日撮ってたと聞いただけなので、どれくらいかは……」


 どらちも今にもはち切れそうなくらいパンパン。はさみを入れると写真に傷がつきそうだったので、破いて開封した。


「とりあえず、アップと引きので分けてみようか」
「はい」


 まずは高倉家から。写真を半分に分け、テーブルに並べていく。

 さばいてもさばいても、一向に減っている感覚がしない。ベルちゃんの手術が終わるまでには終わらせないと。

 お互い無言で作業に集中し、二時間弱かけてようやく分け終えた。


「終わったぁ〜」


 背伸びをして凝り固まった上半身をほぐす。


「お疲れ様。可愛いの大渋滞だったね」
「はい。ずっと口角が上がりっぱなしでした」


 顔を合わせ、苦笑いをこぼす。

 ピンボケもなく全部鮮明に写っていたのだけれど……ほんの一ミリ視線や体勢が違うだけの、間違い探しみたいな写真ばかりだった。そこは厳選して現像してくれよ。

 でも、可愛すぎて、あれもこれもって絞れなかったのかも。


「須川くん! これ見て!」


 一休みしていたら、興奮気味に肩を叩かれた。

 一瞬ドキッとしつつも、彼女が見せてきたスマホに視線を移す。


「【子猫を引き取りたい】……⁉」


 メッセージアプリのトーク画面に表示されている文を読み上げた。時間を見たら、二十分前。前回の従兄弟家族と似たようなタイミングで来るとはビックリだ。


「やったね〜!」
「は、はいっ」


 満面の笑みを浮かべる彼女とハイタッチする。

 笑った姿は何度も見たことあるけれど、はしゃいでいる姿は初めて見た。コタロウくんとコジロウくんの時も、こんなふうに喜んでいたのかな。


「彼、笹森(ささもり)くんっていって、成績学年トップの人なの。数ヶ月かけて猫を飼ってる人に話を聞いたんだって」
「ええっ⁉ 数ヶ月も⁉」


 写真を分け合いながら、連絡をくれた彼について教えてもらう。

 猫の飼育経験はないが、家族で何度も話し合い、引き取ることを決めたのだと。

 休み時間はスマホで情報収集、昼休みと放課後は猫を飼っている人にインタビュー。夏休み中は開館時間から閉館時間まで連日図書館に入り浸っていたらしい。

 顔は知らないのに、真摯に本を読み込む姿が脳内に浮かんで、胸が熱くなった。


「詳しいことが決まったらまた連絡するね」
「はい。両親に伝えておきます。ありがとうございました」


 写真を分け終え、駐輪場にて解散した。

 譲渡が上手くいけば、あと一匹。残り二ヶ月ちょっと。

 無事に見つかりますようにと祈りながら帰路に就いた。