「お、須川! おはよう!」
「おはようございます」
八月上旬。校門の前に立つ高倉先生と挨拶を交わした。登校中の生徒がチラチラとこちらを見ながら通り過ぎていく中、堂々と話しかける。
「コタロウくんは元気ですか?」
「もちろん! 毎日ご飯モリモリ食べてるぞ。ただ、子どもが宿題放棄してずっと遊んでるのが少し困ってるかな」
若干眉尻を下げつつも、「わっはっは〜!」と豪快に笑っている。
コタロウくんもご家族も、楽しく過ごしてるようで一安心。したいところだけど……指導力落ちてませんか⁉
可愛いのはわかるよ。俺も叱られるくらい夢中になってたから。
「先生、しっかりしてください」
「わかってるよ。これでも宿題は一切手伝わないって決めてるからね」
任せとけと言わんばかりに自身の胸を叩いた先生。
大丈夫かなぁ……。怪しい気がする。
厳格な先生が甘々になってしまうなんて。恐るべし猫パワー。俺も気をつけないと。
学校が終わり、帰宅して昼食を取った後、自転車で本屋さんへ。動物関連の売り場に向かい、棚から猫の本を手に取る。
理科の自由研究でタマとマルの観察日記を書いているんだけど、もう少し詳しく書きたいんだよね。
「あれ? 須川くん?」
「はい? え、市瀬さん!?」
目新しい情報を求めて本をめくっていると、制服姿の彼女に遭遇した。
「学校帰りですか?」
「うん。今日登校日だったの」
「そうなんですか? 僕も今日登校日だったんですよ」
「奇遇ですね〜」と返しながら、顔から服に視線を移す。
白シャツに黒のスカートと、首元の赤いネクタイ。綺麗めでかっこよさがある制服。
前回も前々回もパーカーにデニムパンツとラフな格好だったから、一瞬誰だかわからなかった。
「市瀬さんって、黒金だったんですね」
「うん。そんなに意外?」
「はい。お嬢様学校に通ってるイメージでした」
地元の中心部にある黒金高校。生徒数が多く部活動も盛んで、校内の施設も充実しており、地元以外の人にも広く名が知られている。
穏やかだし話し方も優しいし、猫四匹を預かる余裕があったから、てっきりお金持ちの人なのかなと思ってた。
そう付け加えると、「あははっ!」と口を開けて思い切り笑われた。
「違うよ〜! 私庶民! 一般家庭育ち! それよりも、背伸びたね〜」
「えっ、そうですか?」
お互いに頭の上に手を置いて比べてみる。彼女いわく、前回よりも目線が少し上がったらしい。
今のところ成長痛はないけれど、目に見えるくらい変わってたのか。あの時は救助で頭いっぱいだったから考えもしなかった。
「って、勉強中だったのに邪魔しちゃってごめんね」
「いえいえ。猫の情報が知りたいなと思って見てただけなので」
「猫ちゃんの生態を調べるの?」
「はい。自由研究で、タマとマルの観察日記を出そうかなと思いまして」
話が盛り上がってきたため、場所を変えて話すことに。小腹も空いていたので、近くのハンバーガー屋さんに移動し、フルーツシェイクを注文した。
「タマちゃんとマルちゃんは元気?」
「はい。ピョンピョン飛び跳ねてます。トラ猫ちゃんたちも元気ですか?」
「すごく元気だよ。ベルちゃんに負けないくらいはしゃぎ回ってる」
頼んだ品物を持って、二人掛けの席に座った。
「お母さんから聞いたんだけど、確か今週末に対面らしいね。従兄弟なんだっけ?」
「はい。動物大好き家族が伺います」
先月に連絡をくれた従兄弟家族とは、今週末の土曜日に対面することが決まった。もちろん今回もタマとマルとお留守番。
本音を言うなら、俺も行きたい。
どんなふうに引き渡してるのかも見たいけど、一番は直接お別れの挨拶がしたい。
「元気でね」って、笑顔で送り出してあげたい。
フルーツシェイクを飲んでいると、市瀬さんと同じ制服を着た女子二人組が店内に入ってきた。
「高校ってどんな感じですか? やっぱ授業は難しいですか?」
「教科によるけど、ちゃんと勉強してたらそこまで難しくはないよ。最初は人の多さに慣れなくて大変だったな〜」
人気校の様子が気になって尋ねてみたら、人酔いするほど生徒が多いのだと。購買は授業が終わってダッシュで行かないと売り切れてしまうそう。
「須川くんは、ここに行きたいなって学校はある?」
「まだわかんないですね。でも、黒金に行きたいって人は結構多いです」
「そっか。私の中学もクラスメイトの半数が希望してたよ」
部活の先輩から高校の話は時折聞いていたので、ぼんやり考えたことはあった。
黒金は平均よりやや上の偏差値。家からもバスで行ける距離で、高倉先生いわく、第一志望の常連校とのこと。
しかし、人気な分、競争率が高い。
運良く合格したとしても、成績の変動が激しそうだから、油断したらあっという間に下位に落ちてしまいそうだ。
「スポーツ掛け持ちしてるくせにビビってるの?」と突っ込まれそうだけど……。毎日癒やしがないとやっていけない自分には、少し勇気がいる。
「市瀬さんはメンタルが強いんですね」
「ええ〜、そうかな?」
「そうですよ。看護師さん呼ぶ時も冷静でしたし。かっこいいです」
「いやいやそんな。私だって内心慌ててたし……」
顔の前で手を振りながらも、嬉しそうに口角を上げている。
照れると耳が赤くなるタイプなのか。見た目は清楚で上品な優等生タイプだけれど、笑うとまた雰囲気が変わるな。天真爛漫なあどけない少女って感じ。
傍から見たら、カップルに思われてたりして。
「ありがとう。じゃあお礼に、ベルちゃんの可愛い写真を見せるね」
「あっ、ありがとうございます」
ハッと我に返る。
いやいや、現実的に考えろ。高校生が、数ヶ月前までランドセル背負ってた子どもを相手にするわけがない。
ここに来たのはあくまでも猫の話をするため。デートじゃないんだから。
「これ、ちょうどあくびしてる時に撮れたの」
「思いっ切り口開けてますね。可愛い」
「でしょでしょ! 次は……トラちゃんたちのお昼寝ショット!」
画面の中のトラ猫たちに焦点を当てて、高鳴る胸を落ち着かせる。
お腹を出して熟睡するトラ猫たち。コタロウくんが引き取られる前日に撮ったという。
「いつもは全然起きないのに、コタロウくんを抱えたら一斉に起きたんだよね」
「お別れするって感じたんでしょうかね……」
切ない眼差しで画面を眺める市瀬さん。
お世話は大変そうだけど、毎日賑やかで楽しいだろうなと思っていた。
……まだお子ちゃまだな。楽しければ楽しい分、別れが辛くなるって、どうして頭になかったんだろう。
自分の未熟さに嫌気が差した。
「おはようございます」
八月上旬。校門の前に立つ高倉先生と挨拶を交わした。登校中の生徒がチラチラとこちらを見ながら通り過ぎていく中、堂々と話しかける。
「コタロウくんは元気ですか?」
「もちろん! 毎日ご飯モリモリ食べてるぞ。ただ、子どもが宿題放棄してずっと遊んでるのが少し困ってるかな」
若干眉尻を下げつつも、「わっはっは〜!」と豪快に笑っている。
コタロウくんもご家族も、楽しく過ごしてるようで一安心。したいところだけど……指導力落ちてませんか⁉
可愛いのはわかるよ。俺も叱られるくらい夢中になってたから。
「先生、しっかりしてください」
「わかってるよ。これでも宿題は一切手伝わないって決めてるからね」
任せとけと言わんばかりに自身の胸を叩いた先生。
大丈夫かなぁ……。怪しい気がする。
厳格な先生が甘々になってしまうなんて。恐るべし猫パワー。俺も気をつけないと。
学校が終わり、帰宅して昼食を取った後、自転車で本屋さんへ。動物関連の売り場に向かい、棚から猫の本を手に取る。
理科の自由研究でタマとマルの観察日記を書いているんだけど、もう少し詳しく書きたいんだよね。
「あれ? 須川くん?」
「はい? え、市瀬さん!?」
目新しい情報を求めて本をめくっていると、制服姿の彼女に遭遇した。
「学校帰りですか?」
「うん。今日登校日だったの」
「そうなんですか? 僕も今日登校日だったんですよ」
「奇遇ですね〜」と返しながら、顔から服に視線を移す。
白シャツに黒のスカートと、首元の赤いネクタイ。綺麗めでかっこよさがある制服。
前回も前々回もパーカーにデニムパンツとラフな格好だったから、一瞬誰だかわからなかった。
「市瀬さんって、黒金だったんですね」
「うん。そんなに意外?」
「はい。お嬢様学校に通ってるイメージでした」
地元の中心部にある黒金高校。生徒数が多く部活動も盛んで、校内の施設も充実しており、地元以外の人にも広く名が知られている。
穏やかだし話し方も優しいし、猫四匹を預かる余裕があったから、てっきりお金持ちの人なのかなと思ってた。
そう付け加えると、「あははっ!」と口を開けて思い切り笑われた。
「違うよ〜! 私庶民! 一般家庭育ち! それよりも、背伸びたね〜」
「えっ、そうですか?」
お互いに頭の上に手を置いて比べてみる。彼女いわく、前回よりも目線が少し上がったらしい。
今のところ成長痛はないけれど、目に見えるくらい変わってたのか。あの時は救助で頭いっぱいだったから考えもしなかった。
「って、勉強中だったのに邪魔しちゃってごめんね」
「いえいえ。猫の情報が知りたいなと思って見てただけなので」
「猫ちゃんの生態を調べるの?」
「はい。自由研究で、タマとマルの観察日記を出そうかなと思いまして」
話が盛り上がってきたため、場所を変えて話すことに。小腹も空いていたので、近くのハンバーガー屋さんに移動し、フルーツシェイクを注文した。
「タマちゃんとマルちゃんは元気?」
「はい。ピョンピョン飛び跳ねてます。トラ猫ちゃんたちも元気ですか?」
「すごく元気だよ。ベルちゃんに負けないくらいはしゃぎ回ってる」
頼んだ品物を持って、二人掛けの席に座った。
「お母さんから聞いたんだけど、確か今週末に対面らしいね。従兄弟なんだっけ?」
「はい。動物大好き家族が伺います」
先月に連絡をくれた従兄弟家族とは、今週末の土曜日に対面することが決まった。もちろん今回もタマとマルとお留守番。
本音を言うなら、俺も行きたい。
どんなふうに引き渡してるのかも見たいけど、一番は直接お別れの挨拶がしたい。
「元気でね」って、笑顔で送り出してあげたい。
フルーツシェイクを飲んでいると、市瀬さんと同じ制服を着た女子二人組が店内に入ってきた。
「高校ってどんな感じですか? やっぱ授業は難しいですか?」
「教科によるけど、ちゃんと勉強してたらそこまで難しくはないよ。最初は人の多さに慣れなくて大変だったな〜」
人気校の様子が気になって尋ねてみたら、人酔いするほど生徒が多いのだと。購買は授業が終わってダッシュで行かないと売り切れてしまうそう。
「須川くんは、ここに行きたいなって学校はある?」
「まだわかんないですね。でも、黒金に行きたいって人は結構多いです」
「そっか。私の中学もクラスメイトの半数が希望してたよ」
部活の先輩から高校の話は時折聞いていたので、ぼんやり考えたことはあった。
黒金は平均よりやや上の偏差値。家からもバスで行ける距離で、高倉先生いわく、第一志望の常連校とのこと。
しかし、人気な分、競争率が高い。
運良く合格したとしても、成績の変動が激しそうだから、油断したらあっという間に下位に落ちてしまいそうだ。
「スポーツ掛け持ちしてるくせにビビってるの?」と突っ込まれそうだけど……。毎日癒やしがないとやっていけない自分には、少し勇気がいる。
「市瀬さんはメンタルが強いんですね」
「ええ〜、そうかな?」
「そうですよ。看護師さん呼ぶ時も冷静でしたし。かっこいいです」
「いやいやそんな。私だって内心慌ててたし……」
顔の前で手を振りながらも、嬉しそうに口角を上げている。
照れると耳が赤くなるタイプなのか。見た目は清楚で上品な優等生タイプだけれど、笑うとまた雰囲気が変わるな。天真爛漫なあどけない少女って感じ。
傍から見たら、カップルに思われてたりして。
「ありがとう。じゃあお礼に、ベルちゃんの可愛い写真を見せるね」
「あっ、ありがとうございます」
ハッと我に返る。
いやいや、現実的に考えろ。高校生が、数ヶ月前までランドセル背負ってた子どもを相手にするわけがない。
ここに来たのはあくまでも猫の話をするため。デートじゃないんだから。
「これ、ちょうどあくびしてる時に撮れたの」
「思いっ切り口開けてますね。可愛い」
「でしょでしょ! 次は……トラちゃんたちのお昼寝ショット!」
画面の中のトラ猫たちに焦点を当てて、高鳴る胸を落ち着かせる。
お腹を出して熟睡するトラ猫たち。コタロウくんが引き取られる前日に撮ったという。
「いつもは全然起きないのに、コタロウくんを抱えたら一斉に起きたんだよね」
「お別れするって感じたんでしょうかね……」
切ない眼差しで画面を眺める市瀬さん。
お世話は大変そうだけど、毎日賑やかで楽しいだろうなと思っていた。
……まだお子ちゃまだな。楽しければ楽しい分、別れが辛くなるって、どうして頭になかったんだろう。
自分の未熟さに嫌気が差した。



