その一ヶ月後。


「「あっ」」


 二回目のワクチン接種日。またまた病院近くの公園で、市瀬さんとベルちゃんに遭遇した。


「今日はタマちゃんも?」
「はい。怯えちゃって」
「うちもです。バッグに入ってから全然顔見せてくれないんですよ」


 東屋に向かい、横並びで腰を下ろす。

 先月の注射がよほど怖かったのか、キャリーバッグに入った瞬間、不安で震え出したマル。

 さらに今回タマもビクビクしていたので、二匹とも連れてきたのだ。


「心苦しいけど、元気で過ごすためにも打ったほうがいいしね……」
「そうですよね……」


 前回は元気だったベルちゃんも、今日は静かに丸まっている。

 まだ子どもだもんな。

 いきなり知らない場所に連れて行かれて、大勢の動物や人間に囲まれるだけでも怖いのに、さらに痛い注射を打たれるんだ。

 俺ら人間だって注射が苦手な人いるし。そりゃ怖いに決まってるよ。

 会わせたら少しは緊張が解けるかなと思い、網状の側面を向けてみたものの……反応なし。

 それ以前にお互いにお尻を向けているから、顔を合わせる気がそもそもない。

 全然動いてないな。もしかして寝てる? だったら無理に起こすのも悪いか。


「にゃー」
「ん……?」


 すると突然鳴き声が聞こえ、バッグの中を覗いた。

 起きては……なさそう。寝言?

 でも、寝言にしては結構ハッキリ聞こえた気がする。


「にゃー」


 もう一度聞こえた小さな鳴き声。

 バッグからではないとわかり、彼女と顔を合わせる。


「どこかに猫ちゃんがいるみたいだね」
「ですね。大丈夫かな」


 今日は曇っているが、今月梅雨入りしたので、最近はずっと雨が続いている。

 猫は水が苦手だからなぁ。この辺りは雨避けできる場所もあるけど、湿気が多い季節はやっぱり萎えちゃうよね。

 しばらく談笑していたら、ポツポツと雨音が。まだ診察時間まで三十分以上あるが、ひどくならないうちに戻ることに。


「にゃー」


 キャリーバッグの紐を両肩にかけようとしたその時、雨音に紛れて再び鳴き声が聞こえた。

 寒いのかな。友達か家族を捜してるのかな。

 心配しつつも、猫の姿がないか辺りを見渡す。


「え……?」


 一瞬、何かの見間違いか、幻覚かと思った。

 低木の隙間から見えた白いゴミ袋。目を凝らすと、モゾモゾと不規則に動いている。

 まさか……まさか、そんなことは……。

 バッグを下ろし、恐る恐る近づく。袋の結び目をゆっくり解くと──四匹の子猫が弱々しく鳴いていた。


「えっ……もしかして、捨て猫⁉」
「だと、思います……」


 異変に気づいた市瀬さんが駆けつけてきた。

 片手で抱えられるサイズのキジトラの子猫たち。

 袋はつい先ほど降り始めた雨で濡れており、四匹とも少し震えている。


「……多分、近くに病院があるから、誰かが拾ってくれるだろうと思ったのかもしれないね」
「だからって……」


 唇を噛みしめ、湧き上がってきた感情を抑える。

 ……許せない。こんな小汚い袋に入れて縛るなんて。

 たとえ小さくても、命なのに。


「どうしようか。雨も降ってきたし、さすがにこのままにしておくのも……」
「ですよね。でも……」


 鳴き続ける猫たちの顔を見つめる。

 助けたい。だってこの子たちには何の罪もないんだ。

 だけど……既にうちには二匹いる。それにまだ生まれて三ヶ月。市瀬さんのお家だってベルちゃんがいる。

 保護したからといって、必ずしも引き取らないといけないわけではない。知り合いや学校の友達に頼んで飼ってくれる人を探してもらう方法もある。

 けど……もし見つからなかった場合は、迎え入れる覚悟がないと。

 それができないのなら──。


「……私、お母さんに連絡してみる。できたら、お医者さんに伝えてもらうよう頼んでみるね」
「……っ、お願いします」


 スマホを持っている市瀬さんが急いで電話をかけた。子猫たちの状態と場所を伝えたら、お医者さんと一緒に来てくれるのだそう。

 雨が強くなってきたため、子猫たちが濡れないよう、東屋に避難させた。


「あっ、こっちです!」


 しばらくして、看護師さんと彼女の母親の姿が見えた。

 タオルと毛布で子猫たちを包み、急ぎ足で病院へ。

 いつ捨てられたのかはわからないが、昨日が雨だったのもあってか、体が冷えてひどく衰弱しているという。

 神様、お願いします。

 どうか、あの子たちが無事であってください。



「市瀬さん、須川さん」


 待合室で祈ること数十分。獣医さんに呼ばれ、市瀬さん親子とともに診察室に入った。


「先ほど保護した猫ちゃんですが、震えも収まり、食事も少量ですが取ることができました」
「「良かったぁ……」」


 彼女と顔を合わせ、安堵の声を上げた。

 説明によると、およそ生後二ヶ月。

 全員痩せ細ってはいるものの、ケガはなく、毛並みも比較的綺麗な様子から、捨てられる直前までは家で飼われていたのではないかとのこと。

 確かに虐待されたような痕はなかった。

 だとすると……何かの事情で育てるのが難しくなってしまったのだろうか。同情する気はないけど、尊い命が失われずに済んだのは本当に良かった。

 ……と、安心したいところだが、本題はここからだった。


「猫ちゃんたちの今後についてですが、数も多いため、里親募集をかけたいと思っております。なので、希望者が見つかるまではお預かりしていただく形になります」


 突きつけられた現実。助ける前から予想はしていた。

 しかし、飼ってくれる人が現れるかどうかを考えすぎて、預からないといけないことがすっかり頭から抜け落ちていた。


「あの、病院で預かるのは……難しいですよね」
「そうですね。短時間は可能なのですが、長期間は……」


 母の問いに獣医さんが申し訳なさそうに答える。

 獣医さんも看護師さんも、助けたいのは山々なはず。だけど、他の動物たちのお世話もあるし、子猫たちばかりにかまってはいられない。


「猫ちゃんたちの幸せのためにも、時間をかけて探したほうがいいかと……」
「そう、ですよね……」


 俯いた母を見て、我が家では無理なのだなと察した。

 そうだよ。いくら家族全員猫が大好きでも、預かるならお父さんにも相談しないと。

 だけど、あいにく今日は仕事。昼休憩も過ぎているため、退勤時間にならないと連絡が取れない。

 仮にもし預かれたとしても、先住の猫がいる場合は、感染症にかからないよう隔離しないといけないらしい。

 ……軽い気持ちで関わったわけじゃなかった。

 学校のあちこちに張り紙を貼って、全校生徒に知らせるつもりでいた。

 職員室にいる先生だけじゃなくて、事務室の先生や保健室の先生、校長先生、教頭先生にも相談するつもりでいた。

 小学校の頃からのサッカー仲間と水泳仲間にも声をかけてみようって。

 それくらい、本気で、この子たちを助けようと思ってた。

 けど……それはエゴだった。

 預かるためにも、時間とお金、お世話する労力が必要なのだと。

 拳を握りしめて俯いていると、視界の端で誰かが静かに手を挙げた。


「わかりました。全員、責任を持って我が家で預かります」
「えっ! お父さん本当⁉」
「あぁ。倉庫にまめおのケージがあるから、それを使えばいいだろう」


 すんなり受け入れた父親に目を丸くする市瀬さん。ベルちゃんが暴れていたため、今日は家族全員で来院したらしい。

 話を聞いてみると、以前は犬を飼っていたようで、その時のケージがまだ残っていると。

 うちはタマとマルが初めて飼う動物だから、たとえ犬であれ、動物を飼った経験がある人のほうが適任と言える。


「本当にいいんですか……?」


 とはいえ、ベルちゃんがいる中で四匹のお世話はかなり大変だ。元は自分が見つけたのだから、せめて一匹は面倒を見ないと。市瀬さん達ばかりに負担はかけられない。

 そう話すと、彼女のお父さんは「大丈夫だよ」と目を細め、俺の目線に合わせて膝をかがめた。


「僕、子どもの頃に猫を飼ってたんだ。その子たちも捨て猫で……あの子たちと同じような袋に入れられていたから放って置けなくてね。子猫の扱いには慣れてるから大丈夫だよ」
「そうですか……? でも、四匹はさすがに……」


 申し訳ないです。そう口にしようとする俺を、彼は首を横に振って制止した。


「君の気持ちはわかる。だけど、まだ小さいから引き離すには少し早い。だから、ここは僕らに任せてほしい」


 優しくも力強い眼差し。またも己の考えの甘さに情けなくなった。

 母親がいないだけでも寂しいのに。俺は猫たちの気持ちを考えずに、一匹だけ引き離そうとしてた。

 ……最低だ。これじゃ猫好きと名乗る資格なんてない。むしろ失格だ。


「……わかりました。お願いします」
「本当にすみません。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


 獣医さんも言っていた。飼ってくれる人が早く見つかることよりも、子猫たちの幸せが大切だと。

 時間がかかってでも、彼らを心の底から愛してくれる人を探したほうがいいに決まってる。

 母と一緒に市瀬一家に深く頭を下げた。



「市瀬さん、ありがとう」
「ううん、こちらこそありがとね」

 
 診察室を出て、もう一度彼女にお礼を言った。

 全員を預かってもらう代わりに、保護費用はこちらが負担することになった。

 一匹につき、一万数千円。四匹で四万円以上。

 タマとマルのワクチン代もあったため、財布に残っていたお年玉を全額出した。だってまさかこんなにかかるなんて思ってなかったから。

「いらない」「しまいなさい」と返金されそうになったが、「見つけた責任だから!」と言い張り、押しつける形でバッグの中に入れた。帰ったら貯金箱にある分も渡すつもり。

 欲しい物、そんなにないし。無駄遣いするよりも彼らのために使ったほうがずっといい。


「今年中に引き取ってくれる人が見つかるといいね」
「ですね。周りに猫が好きな人がいるので声かけてみます」


 明日も学校が休みなので、父に協力してもらい、まずは親戚に相談。登校日が来たら担任の先生に伝えて、校内に張り紙を貼らせてもらえないか頼んでみる予定だ。

 見つかるか不安はあるけれど……大丈夫。きっと巡り会えると信じよう。