「ふむ。飼い主だからと贔屓目にみても、特別仕事が出来ないという訳ではないだろう」

「そうかな……? 怒られてばかりだし、仕事は溜まるし、いつも残業時間ギリギリまで残って帰ってきてるんだけど……」

「その仕事でミスはしてるのか?」

 トラに言われて思い返すと、特別ミスを侵している訳では無いことに気づく。

「ミス、してないかも……。じゃあ、なんで……」

「私が思うに、琴子は自信が無いだけなんじゃないか?」

「いや、まさか。そんなことくらいで、仕事に追い詰められるわけないでしょ」

 やはり、猫。と侮っていると、トラは私の肩から降り、じっとりとした眼差しで私を見つめた。

「残業が多いのは、無理な納期で丸め込まれているんじゃないか。仕事をが溜まるのは、押し付けられているんじゃないか。怒られるのは、琴子のキャパシティを越えた仕事をこなせないからじゃないのか?」

 全て、トラの言う通りだった。

 断ることが出来なくて、仕事はどんどん溜まっていって、誰にも助けを求めることも出来なくて、上司にはいつも怒られていた。

「琴子。要するに、お前は人間どもに侮られているのだ」

 図星だからこそ、恥ずかしくて腹が立った。

(トラ)に何が分かるって……っ」

「分かるさ。お前も私を侮っただろう。猫だからと、侮っただろう」

 ギクリ、と背筋に嫌な汗をかいた。
 ビー玉みたいなトラのつぶらな瞳が、全てを見透かしているようで、私は押し黙った。

「責めてはいないぞ。己よりも劣る者を侮ってしまうのは仕方がないことだからな」

 そのことにトラは怒るわけでも諭すわけでもなく、受け入れていた。そんなトラの言葉だから、私も素直に聞けたのかもしれない。

 毎日毎日、私がトラに聞かせていた仕事の愚痴から、私の会社での立ち位置を当ててみせる。

「琴子。人の目ばかり気にして、怯えながらいい顔をしようとしてみたところで意味はないぞ。一時は波風が立たなくとも、侮られ、良いように使い捨てられる。だから、もっと自信を持て!」

「自信なんか、もてないよ。それに……、人の視線が怖いの」

「琴子、お前は偉い。凄いんだ! 私のご飯の準備を忘れたことは一度もないだろう! 無理やり抱っこしたりしないだろう!」

「そんなの、誰だって出来るよ」

「そうでは無い。琴子は大切なことは忘れない。相手の嫌がることはしないし、変化にだって気づけるはずだ。私にやってることを、仕事でもやればいいのだ」

 力強くトラに言われると、なんだかそんな気がしてきた。その言葉に励まされて、私は気合を入れて仕事へと向かった。



 ◇ ◇ ◇



「遅いぞ、琴子。今、何時だと思っているんだ」

 終電に乗って家に帰ると、リビングのソファでくつろぎながら、テレビを見る飼い猫の姿があった。
 トラは牛乳をパックごと傾けて飲み干すと、私の帰りに振り返った。

「……お父さんみたいなこと言わないでよ」

「その顔、この時間、上手くはいかなかったか」

「…………ごめん」

 何となく気まずくて視線を逸らすと、トラは呆れたように、優しい声で言った。

「そんな顔をするな、琴子。なに、最初から上手くいくわけがないだろう」

 この猫は、どこで人生経験を積んできたんだろう。
 おいで、と言われるままトラの元に向かうと、小さな腕に抱きしめられて、私はトラのお腹を吸った。

(やだ、なんか……情けなくて、泣きそう)

 私の気持ちを知ってか知らずか、トラは短い腕を組んでパタパタと長いしっぽをソファに叩きつける。

「とは言っても、私の見ていないところでの琴子か……。いや、そうか。分かったぞ!」

 トラの耳がピンッ、と跳ねる。

「これだ、琴子! 明日は()()を持って会社に行け。これで離れていても、私がサポート出来るぞ」

「これって……」

 そう言って、自信満々にトラが差し出したのは、ペットカメラだった。



 ◇ ◇ ◇



「なんでこんな事になってるんだろう……」

 早朝のオフィスで自席につくと、私はペットカメラを自分の顔が写るように設置した。

 ペットカメラでペットに観察される。なんとも不思議なシチュエーションだ。

『これでいいの?』

 私は家で待っているトラにメッセージを打つ。
 昔使っていたスマホをワイファイに繋いで、メッセージを出来るようにしたのだ。

 あんな肉球でふにふにの手でスマホなんて使えるのかと不思議だったが、案外器用に使いこなしているようだ。
 思えば、猫がスマホゲームする動画とか見たことあるな……なんて考えていると、トラから早速返事が届いた。

『じょうできだ。ことこがみえるぞ』

 流石に変換はまだ使えないようで、必死でポチポチと打ち込んでる茶トラ猫の姿を思い浮かべると、笑いが込み上げる。

 なんだか、本当にもう一人お父さんが出来たみたいで、私は小さな声で笑ってしまった。