吾輩は猫である。名前はまだない。
 ──と、これが人間界における猫の挨拶なのだろう?

 ふむ、なるほど。
 君が今こうして吾輩の声に耳を貸したということは、どうやらこの認識は間違いではなかったらしい。

 ときに、この『吾輩』という一人称、吾輩は気に入ってしまったようだ。
 僕でも、俺でも、私でも、気分次第で使い分けてきたが──やはり崇高で、いかにも神様らしいとは思わないかね。

 おっと、自己紹介が遅れたな。
 吾輩は猫神である。名前は好きにつけるといい。いつの時代も、人間はまず『名』を与えようとする生き物だからな。
 さあ、どうだね。思いついたかい?


 ──おや。まだ吾輩の名は決まらないのかね?
 タマでもミケでもクリームブリュレでも構わんのだが。

 まあ、猫とはいえ神様に名付けるなど、人間にとってはなかなか難しい儀式なのだろう。
 ならば、考えている間に吾輩のことを少しだけ話そうじゃないか。
 
 吾輩、気まぐれだが困っている人間を放っておけない性分でね。
 人が悩みを手放したときにふわりと漂う『幸福の匂い』を糧に生きる、れっきとした猫神なのだ。

 もっとも、人間の悩みというものは実に多種多様だ。
 恋に敗れた者、仕事に疲れた者、夢を手放した者──匂いだけ嗅げば、おおよその事情はわかるのだが、解決となると話は別だ。

 だが安心したまえ。
 吾輩はただの猫に見えて、長い歳月の間に数えきれぬほどの人間に出会ってきた神様なのだ。
 その中からいくつか、君にも話して聞かせよう。
 
 気まぐれな猫神が、どんなふうに人間の『幸福の匂い』をつまみ食いしてきたのか、を。