しょうもない。
僕だって健吾のこと言えなくて笑えてくる。
興奮して鼻血を出した。
そんな事実が胸をひどく痛めつける。しかも、相手は嶋本くんなんだから。
「鼻にティッシュ詰めとけば、自然と止まるわ。図書委員の業務をするだけでしょ? 大丈夫」
「……いや、業務云々っていうか。このまま図書室に戻れないんですけど」
「大丈夫よ。上條くんは可愛いから」
「可愛いってなんですか……」
ニコッと微笑む保健医。これ以上は何も言わないまま、保健室から出て行った。
高校3年の男子に向かって『可愛い』とはなんだ。と、つい心の中で騒ぎ立てる。でも、大人から見たら高校生なんて子供であり、可愛いと思える対象なんだろうな、とも考える。
健吾は女子から『可愛い!』って言われるけれど、それについてはよくわからないから、これ以上考えることを止める。
そのとき、保健室の扉が控えめに開いた。
極力音を立てないようにしているのか、ゆっくりと開く扉。僕はそれに視線を向ける。
「……上條先輩」
「……嶋本くん?」
僕が名前を呼ぶと、扉は一気に開く。
全身を真っ赤にした嶋本くんは、「あっ」と呟きながら中に入ってきた。
目を潤ませて軽く頭を下げ、「ごめんなさい、佐倉先生から聞きました」と言って、そのままポロポロと涙を零していたのだった。
「い、いや、なんで泣いてるんですか……?」
「保健室まで押しかけて、ごめんなさい」
相変わらず、回答になっていない。
つくづく不思議な子だと思った。
嶋本くんは泣きながらゆっくりと僕に近寄ってくる。涙を制服の裾で拭いながら唇を噛みしめた。
「……先輩、好きです」
「……」
悲しそうな嶋本くんは、また一歩踏み出し、僕に近づいてくる。
「好きすぎて、どうしようもないです」
そう呟きながら距離を詰めてくるけれど——
「ちょ、っと、待って」
僕は何よりも、鼻に詰めたティッシュが気がかりだった。
こんなものを刺しているところ、見られたくないに決まっている!
しかも——鼻血の間接的な原因は嶋本くんだ。
原因が目の前にいるのが、いちばんタチが悪い。その事実を認めた瞬間、胸の奥が嫌なほど跳ねた。
「あの、鼻血出てティッシュを詰めてるところ、見られたくないんで。今は、勘弁してもらっていいですか?」
「なぜですか?」
「……え?」
肩に伸ばされた彼の手は驚くほど震えていたけれど、先に息を飲んだのは僕の方だった。
その眼差しは、ただ真っ直ぐで、逃げ道がなかった。
そして「なぜですか?」ともう一度、息が触れる距離で呟く。
至近距離で合った視線を、逸らすことができなかった。
「どんな上條先輩も……可愛いです。先輩は、可愛いです。可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い——」
「うわぁっ!!!!」
耐えきれなくなって、嶋本くんの口を両手で塞ぐ。
声に合わせて、心臓が勝手に跳ねた。
全身が熱くなるのを感じる。それにより、鼻に詰めたティッシュがより濡れるのを感じた。ダメだ。血圧が上がると、より一層の鼻血が出てくる。
「お願い、これ以上はやめてっ」
「……あ、先輩。やっとタメ口で話してくれました」
「え?」
「先輩に敬語で話されると、距離を感じて寂しかったんです」
嶋本くんの言葉が胸の奥に落ちた瞬間、僕の中の何かが、きゅっと揺れた。
「……」
一歩下がると、嶋本くんも近づく。
さらに下がると、嶋本くんはもっと近づいてくる。
背中が壁に触れて、もう逃げられなかった——けれど。ほんとうはもう、逃げる理由もわからなかった。
「先輩、先輩」
「し、嶋本くん……ほんとに……」
「先輩、好きです」
「嶋本く——」
軽く体を屈めた嶋本くんは、僕に向かってそっと顔を近づけてくる。
そしてそのまま、優しく唇を重ねた。
その瞬間、時が止まってしまったかのようだった。
「……え?」
唇が触れた瞬間、世界の音が全部、遠ざかった気がした。



