「え、蒼汰。泣いた?」
「……」
「泣いた? なんで目元が赤いん?」
「……」
「俺が慰めてやろうか? とりあえず、今日持ってきたエロ本をだな——」
 心底疲れた。
 その一言に尽きた。
 昨日の疲れがひとつも抜けないまま、それでも朝はやってくる。
 健吾に見抜かれるくらい目が赤いということは、大問題だ。クラスで何か聞かれても困るから、それを隠すために今日は伊達眼鏡を持ってきた。その選択は大正解だった。どのくらい隠せるかは不明だが。
「……蒼汰、なんで隠す? なんかあったやろ。言ってみな」
「いや……別に」
「別にじゃないやろ、だいたい昨日電話したのに、音沙汰なかったし。大急ぎで爆乳について語りたかったのによぉ……!」
 彼女と別れた件については吹っ切れたのか、健吾はそのことに触れなくなった。
 相変わらずのエロ思考はさておき、僕は図星を刺されて言葉に詰まる。
 電話も気づいていたけれど、出る気力がなかった。
 家に帰ってからも、雨の中の出来事が脳内で何十回も再生され、余裕がまったくなかったからだ。
 健吾は「ふぅ……」と息を吐き、僕の肩をつつく。
 納得していないような表情をしていた。
「なぁ蒼汰。前から思っていたけど、最近のお前、ちょっと変じゃね?」
「変じゃない」
「じゃあなんで目がそんなに赤いん? 泣いてないなら、何。花粉?」
「……冬に花粉は飛ばない」
「じゃあ泣いていた」
「泣いてないって」
 否定する声が、自分でも驚くほど弱々しかった。
 言えば言うほど深みにはまっていく。心臓がまたうるさくなる感覚がした。
「……蒼汰。本気で悩んでるなら、遠慮せずに言ってくれ。俺のお気に入りのエロ本、持ってきてやるからよ——」
「もう黙って」
 健吾の言葉を遮ると、彼はすこしだけ不満そうな表情をした。
 そんなくだらない会話の途中、ふいに胸の奥がざわついた。
 昇降口の方を見る。
 そこに見える、背高のっぽ。
 青いネクタイを揺らしながら、囲まれた女子たちと雑談をしながら笑っている——悩みの元凶。
「……健吾、急ごう」
「え?」
 小走りで昇降口に近づき、急いで靴を履き替える。
 嶋本くんに気づかれないように、早くその場から去って行った。



「あれ、逃げたの。例の後輩いたから?」
「……え?」
 教室に入って早々、健吾は小声でそう言った。
 席に座り、不思議そうに腕を組む。
 健吾はどこまで、何を知っているんだっけ。
 考えてもわからないことは、考えること自体を止める。
「付きまとわれてただろ。あれから、なんかあった?」
「……いや、特に」
 あまりにも失礼だが、健吾がこんなふうに気にかけてくれるのは珍しい。
 明日は大雪だろうか。
 そんなこと考えながら、窓の外を見る。
「健吾くんおはよー。今日はティッシュを鼻に詰めてないの?」
「おはよ。今日は鼻血が出てないからねっ」
 近寄ってきた女子たちと、健吾は大盛り上がりし始める。もう僕のことなど気にも留めず、健吾は楽しそうに騒いでいた。
 騒がしい親友の声を聞きながら、小さく息を吐く。
 ほんとうはもう、自分の気持ちに答えは出ていた。
 それを認めたくないという、頑固な自分がいるだけ。
 わかっている。嫌ってくらい、わかっている。
 中途半端な行動で、嶋本くんを苦しめていること。恋愛対象は女性だといいつつ、嶋本くんのことが気になり、気づいたら意識してしまっていること。
 すべてわかっている。
 だからこそ、次に僕がやるべき行動が——ほんとうは手に取るようにわかっていた。
 これ以上、適当なことはしてはいけない。
「……はぁ」
 そう思い、腹を括った。