夏休みに入るとバスケ部の練習が毎日のようにあった。
 暑い体育館での練習はキツく、何度も弱音を吐きそうになるが何も言わずに黙々とこなしている良樹を見習って我慢した。
 練習が終わって学校を出ると良樹は必ず俺の家に寄り、お菓子やアイスを食べながらゲームをしたり映画を見たりして二人で過ごした。

 ある日、俺が自分の部屋にゲームソフトを探しに行っている間に、良樹はソファに横になって寝ていた。
 ウチのソファはかなりな大きさだが、良樹が横になると小さく見える。
 ゴールデン・レトリバーが寝ている。

 俺は正面に回って寝ている良樹の顔を見た。
 濃い眉毛に睫毛が以外と長い。いつも笑っている唇はよく見るとハート型で小さい。
 可愛くて格好いい顔……
 静かに寝息を立てている良樹の顔に手を伸ばし、ハート型の唇を指でなぞる。
 その瞬間、良樹の目が開き俺を真正面に捉えた。

 俺はやばいと思い立ち上がろうとするが良樹が俺の腕を強く掴んで離さない。
 怒っている。こんなことされて怒らないわけがない。

「ごめん、良樹。ごめん……」

 良樹は俺の腕を掴んだまま起き上がる。

「どうして謝るんだよ」
「い、痛いよ……良樹」
「なんで逃げるんだよ」

 良樹に問い詰められるが答えられるわけがない。だって……

「晴矢!」
「ごめん……もうしないから」
「言わないのかよ?」
「何を?」
「俺の事を好きって言わないのかよ!」
「え……」

 俺が呆然としていると良樹の唇が俺の唇と重なった。

「!!」

 俺は腕を掴まれたまま良樹にキスをされていた。
 良樹の唇は指で触った時よりも柔らかく暖かかった。
 初めてのキスを良樹と……二人とも身動きもせずただ唇を重ねていた。
 何秒たったのだろう、いきなり良樹が乱暴に腕を離すと、俺は後ろにのけぞった。

「……帰るわ」

 俺の顔を見ないまま良樹は乱暴にリュックを掴むと部屋を出て行った。
 残された俺は今起こったことが信じられなかった。
 良樹とキスをした……しかも良樹から……
 触れ合った唇がまだ熱い。

🔸🔸🔸

 良樹とキスをしてから部活の練習で会っても互いに距離をとってしまう。
 良樹が毎日練習帰りに家に来ることもなく、電話もLINEもしなかった。
 正直、寂しかったがどうすればいいかわからなかった。
 どっちかというと避けているのは良樹の方で、俺は今日こそは話をするという意気込みで行くのに上手く交わされてしまう。
 自分でキスしておいて避けるって何だよ。
 俺の事ずっと見てくれるんじゃないのかよ。
 段々良樹の態度に怒りが沸いてきていたが、対処のしようがなかった。

 あの時、良樹が言っていた
 ――俺の事を好きって言わないのかよ
 という言葉が常に頭に浮かぶ。
 俺はいつから良樹の事が好きだったんだろう。
 中一の時のバスケの練習の時か?俺のために弁当を持ってきてくれた時か?母さんが家を出て行った日か?
 たぶん、俺たちに声をかけてゴールデン・レトリバーの笑顔を向けてきてくれた日からだ。
 あの笑顔にずっと惹かれていた。
 周りも笑顔にしてしまう。愛されて育ってきた人にしか出せない笑顔。
 でも子供だったからわからなかった。この気持ちが何なのか……
 良樹はいつから気が付いていたんだろう、俺の気持ちを。
 そしてその気持ちを受け入れてくれるのだろうか。

🔸🔸🔸

「久々じゃん」

 夏休みの塾通いで忙しくしているブチから夜の公園に呼び出された。
 夏休みに入ってから初めて会う。

「焼けているなー。バスケって体育館でやるんじゃないの?」
「でも、ランニングとかするしさ。お前相変わらず真っ白だな。塾楽しい?」
「楽しいわけないじゃん!ってこともないかなー」

 なんだか珍しくウキウキしているように見える。

「なに?イイことあった?」
「俺、好きな子できた!」

 ブチが恋愛?嘘だろ!

「まさか……」
「マジ、マジ。同じ塾の子でさ、小さくて可愛いんだよ。ちょっと地味なんだけどそこが清楚で俺はグッとくる!」

 俺や良樹よりもずっと精神年齢が下だと思っていたブチが女の子に夢中になるだと?

「お前も青春か!」
「おお、ど真ん中だよ!」
「で、付き合っているの?」
「まさか!やっと好きだなーって自覚したところ。でも塾に行くのが楽しくて仕方ない。やっぱりウチの学校は野郎しかいないからさあ。女子居ると世界が変わるぞ!ぱぁーっと花があっちこっちで咲いているぞ」

 口にすることがいちいち大げさだが、こういうブチを見るのも悪くはない。

「いいな、幸せそうで。で、今日はその話をしたくて呼び出したわけ?」

 ウキウキしていたブチが急に真顔モードに変わる。

「違う。良樹のこと」
「えっ?どうして」

 ブチは良樹と俺のことを知っているのか?

「……良樹から何か聞いたのか?」
「……あいつ、悩みまくってそのうちハゲるぞ」
「どういう意味だよ」

 良樹はブチに相談していたということなのか?
 ブチはわざとらしくため息を吐くと俺の顔をまじまじと見る。

「な、なんだよ。そんなに見るな」
「お前、良樹の気持ち知っていたか?」
「え?気持ちってなんだよ」

 俺はわざとわからないふりをする。
 気持ち……俺に対する気持ちのことだろうか。

「まあ、俺が言うことじゃないな。うん、やめておこう」
「なんだよそれ。何が言いたいんだよお前」
「少なくとも俺はお前の気持ちは知っていたよ。ずっと良樹のことが好きだって」

 いきなりハンマーで頭を叩かれた。
 ブチは気づいていたのか?俺の気持ちを?俺さえも確信していなかった気持ちを?

「どうして……」
「幼馴染のことがわからないわけないだろ。お前が良樹に家の事を隠しているのがわかっていたから。良樹に知られたくないんだろうなって、同情とかされたくないんだろうなって。良樹の目に映っているままの晴矢でいたいんだろうなって。それがわかっちゃったからさ」

 いつもブチブチとくだらない話をしているくせに、誰よりも俺の事を理解してくれていて、誰よりも早く真実に到達できる奴。

「そっか……さすがブチ」

 俺は苦笑いしか出てこなかった。
 恥ずかしいような、嬉しいような、解放されたような複雑な気持ちでいた。

「あいつのどこが好きなんだ?」

 ブチの直球が飛んできた。

「笑顔かな……あの何の悩みもなさそうなゴールデン・レトリバーみたいな笑顔。俺にはないものだからさ。後は優しさ。なんでも包み込んでくれそうな」
「なるほど。確かに俺にもない」
「あたりまえだろ!ブチは俺が良樹を好きだと思って気持ち悪く思わなかったか?」
「なんで」
「だってずっとつるんでいるダチだぞ。しかも男」
「全然。むしろ頑張れって思っていた」

 思いがけない反応に驚く。

「俺が手助け出来ることならしてやるって常に思っていたけど、お前全然頼ってこないし」
「あたりまえだろ。俺だって確信持てなかったし、それに一番お前に頼っちゃだめだろ」
「なんで?」
「フェアじゃない」
「良樹にか?」
「そう」
「アホか……」

 吐き捨てられるようにブチにアホと言われて少しムッときた。

「アホって」
「だって、既に俺は良樹から頼られていたの!」
「へっ?」

 もう一回ハンマーで殴られた。今度は側頭部。
 ブチももう一回わざとらしくため息を吐く。

「良樹にはお前に何をすれば喜んでくれるかなってずっと聞かれていた。お前のことが心配で、でも何も話してくれないって。話して欲しいってお前のこと全て知りたいって俺に訴えてきていたよ」

 良樹が俺の事でブチを頼っていた。

「正直、その勢いにちょっとビビったけど。大型犬がかまって、かまって僕をかまってって言っているみたいでさ」

 ブチが思い出したように笑う。

「で、なんて話したんだよ」
「……何も。だって俺が伝えたところでそれはホントのお前じゃないじゃん。俺のフィルター通した晴矢でしかないもん。だから自分で聞けって、自分で信頼してくれってアピールしろよって言った」

 さっきよりももっとブチが大人に見えた。

「すごいな、ブチ。大人の人みたいだ。しかも恋愛強者」
「まあ、俺頭いいし。恋愛はまだまだだけど」

ブ チの満更でもない返しに笑ってしまう。

『だから、何も隠すな。全部俺に言え。俺が力になるし助ける。一人で抱え込むな。俺はお前の事ずっと見ているから』

 良樹のこの言葉の意味がやっとわかった。
 良樹は俺に気持ちを伝えてくれていたんだ。

「ってことで、良樹がハゲになる前にどうにかしてやれって話」
「いつ良樹と話したんだ?」
「先週かな。俺はもうダメだーっていうデカい絵文字がLINEで着て話を聞いてやった」

 キスの後か……
 いきなりブチが右の手のひらを俺の前に差し出す。

「な、なに?」
「お礼。サーティーワンのトリプルでいいよ」

 やっぱりブチはブチだ。

「ありがとな。俺はブチという親友がいて嬉しい」
「おう、おう、もっと言え、言え」
「恋愛の神様ブチ様」
「いいぞ、もっともっと」

 くだらない会話をしながらサーティーワンへ向かった。