高校生になると父さんが家に居ることが多くなった。
俺は見知らぬ人が家に居るようで落ち着かなかったが、父さんは何かと俺に話しかけてくる。
物心着く頃から放っておかれていた身としては、まだ学校の先生との距離の方が近い。
「バスケの試合はいつだ?父さん見に行きたいよ」
「いいよ、来なくて」
「どうして?父さん晴矢がシュートうつところ見たいよ」
馴れ馴れしく名前を呼ばれるのも違和感があるし、こんなに良く話す人だとは思ってもいなかった。
父さんが家に居るようになると、今度は母さんが家に帰ってこなくなった。
結局、どっちも好き勝手に生きていて都合が良い時だけ俺を構うということはよくわかっていた。
高校一年で俺は180センチになった。ただ、良樹はその上をいって既に190センチ近い。
ブチは中学生の時よりも痩せて背も170センチ台の標準的な体型になっていた。
元々愛嬌のある顔だったがシュッとしたせいで少し大人っぽくなった。でも口数が多いところは変わらずにいつもブチブチ言っている。
高校一年で良樹とはクラスが別になった。
「マトリョーシカ兄弟も今日で解散か」
深刻な顔でブチが言うが俺も良樹も相手にしない。
「残念だなー。ずっと三人で弁当喰えると思っていたのに」
良樹は一人だけ別のクラスになることを嘆いていた。
「弁当ぐらい、一緒に喰えるだろ」
「そうだよ。帰りだって良樹と晴矢は部活一緒だから変わらないだろ。で、その部活が終わるのを待っている俺」
中学の時、ブチは天文部の部活が終わると俺たちのことを待っていた。
「お前、高校は何部に入るんだ?」
「俺は帰宅部。高校では部活はやんない」
ブチの言葉に俺も良樹も驚く。
「マジ?お前天文部好きだったじゃん」
「勉強しないと」
俺たちは内部進学で大学は入れる。余程成績が悪いか素行が悪くない限り希望する内進者は誰でも行ける。そのため、高校に上がっても塾に通う人自体少ない。
ブチはより偏差値が高い大学進学を考えているようだ。
「本気で外部受験するのか?」
良樹が信じられないという表情で聞く。
「うん、まあ。親は好きにしなさいって感じだけど、勉強嫌いじゃないし」
ブチは中学三年間常に学年でトップだった。だから難易度が高い大学に行きたいと思うことは不思議ではない。
「大学でバラバラになったらホントにマトリョーシカ兄弟解散じゃん」
良樹までそれを持ち出したか……
「お前らはとりあえず、バスケでの全国大会出場に向けて頑張れ!特に良樹は期待されているんだから」
中学とは違い高校の部活のレベルは高いと聞いた。
良樹はともかく、俺は付いていけるのか?
「頑張ろうぜ、晴矢」
良樹の大きな腕で肩を抱かれた。
もう……慣れている自分がいる。
毎度心臓はドキドキと鳴るし、微妙な表情になるけど、でもこの手を離されたくはない。
目の前にいるブチは何でもわかっているかのように大きく頷いた。
🔸🔸🔸
次の日から夏休みという日に母さんは家を出て行った。
終業式は午前中で終わり、良樹とブチとマックに寄って家に帰るとテーブルの上に手書きのメモがあった。
「晴矢、元気に過ごしてください。これからはお父さんが学校の行事には参加してくれます。さようなら」
母さんの部屋に行くと洋服も化粧品も何もかも無くなっていた。
意味がわからずスマホを取り出すと母さんに電話を掛け、LINEも送り、メールまで出した。
でも何の返信もない。
常に居るようで居ない人ではあったけど、でもこれで完全に自分は捨てられたと悟った。
悲しかった。すごく悲しくて、悔しくて、俺は大泣きしていた。
全然愛されている実感はなかったけど、でも良い成績を取れば褒めてくれたし、興味が無くても学校の行事には参加してくれていた。
家で顔を合わすことはほとんどなかったけど、でも母さんが同じ家の中に居るという安心感はあった。
でも、もう居ない。
立ったまま大声で泣いていると電話が鳴った。
俺は表示も確認せずに出た。
「母さん!母さん!今どこ?母さん……」
「晴矢?どうしたんだ?お母さんいないのか?」
電話をしてきたのは母さんではなく良樹だった。
俺は思わず電話を切った。
こんな泣き声を良樹に聞かれたくなかった……
電話が鳴る。
表示されたのは良樹の名前。
「晴矢、大丈夫か?今どこ?家?」
「……良樹……助けて……俺を……」
最後は言葉にならなかった。息を吸うのも辛いほど涙があふれて止まらなかった。
「待っていて」
🔸🔸🔸
いきなりドアが開いた音がする。
俺は泣き疲れてリビングの床で丸まっていたが、起き上がり玄関に向かう。
そこには大惨事に遭ったかのような顔をした良樹が立っていた。
「晴矢!」
俺は大股で近づいてきた良樹にいきなり抱きしめられた。
「……え」
10センチしか違わないはずなのに、俺は覆いかぶさるように抱きしめられて良樹の胸の中にすっぽりと入っている。
暖かい……人の温もりを感じる。
母さんにも父さんにもこんな風に抱きしめられたことはない。
安心する……俺は自分の腕を良樹の身体に回した。
「大丈夫。俺がいるから」
良樹の声で止まっていた涙がまた流れ出すと声を出して泣いた。
散々泣いたせいで声は枯れているけど、でも止まることがない。
俺が鳴き声を上げるたびに良樹が俺を抱きしめる力が強くなる。
「泣くなよ……晴矢。俺も悲しくなる」
いつからか、良樹も泣いていた。
抱き合ったまま二人して号泣していた。
🔸🔸🔸
リビングのソファに二人で座る。
良樹は部屋の中を物珍しそうに見ている。
「よく場所がわかったな」
俺は冷蔵庫に向かうと中から出したコーラを良樹に渡す。
二人とも泣き疲れて喉がカラカラだった。
「ブチに聞いた。駅は知っていたけど道がわからなかったから。でもすぐにわかったよ。こんな大きな家他に無いもん」
「……うん」
「いつもこんなに広い家に一人なのか?」
「そうだよ。朝も夜もサワさんが用意してくれたご飯を一人で喰っている」
良樹にずっと隠していた事実。
こんな風に知られてしまうとは思ってもいなかった。
良樹は俺から目を離そうとしない。
「そんなに珍しい?」
「俺、全然お前のこと知らなかったなって反省している」
「なんで?俺が言わなかっただけだよ。恥ずかしくて」
本音だった。恥ずかしい。普通の家庭ではないことが恥ずかしかった。
「恥ずかしくなんてないよ!お母さんが晴矢のこと褒めていただろ。すごく育ちが良いって」
「それは……」
「俺決めた!」
「なに?」
「俺が今日からお前の家族になってやる。だからもう一人じゃないよ」
満面の笑みで良樹は俺に言う。
「どういうことだよ」
「俺はずっとお前と一緒にいる。何があっても絶対離れない」
試合に勝って喜んでいるようなノリで楽しげに話す良樹が理解できなかった。
からかっているのか?ずっと一緒って……?
「何言っているか全然わかんないよ。家族ってなんだよ?お前にはあんなに優しいおばさんがいるじゃん、阪神大好きなノリのいいおじさんも」
「でもお前も俺にとっては家族だよ」
いきなり真顔で俺に問いかける。
「だから、何も隠すな。全部俺に言え。俺が力になるし助ける。一人で抱え込むな。俺はお前の事ずっと見ているから」
俺の事をずっと見ていてくれるの?
俺は何を言えばわからなかった。
良樹の言葉が嬉しくて、幸せで、感動して……心の中で反芻しているといきなり抱きしめられた。
さっきよりも優しく。
「大好きだよ、晴矢」
確かにそう聞こえた。
俺は見知らぬ人が家に居るようで落ち着かなかったが、父さんは何かと俺に話しかけてくる。
物心着く頃から放っておかれていた身としては、まだ学校の先生との距離の方が近い。
「バスケの試合はいつだ?父さん見に行きたいよ」
「いいよ、来なくて」
「どうして?父さん晴矢がシュートうつところ見たいよ」
馴れ馴れしく名前を呼ばれるのも違和感があるし、こんなに良く話す人だとは思ってもいなかった。
父さんが家に居るようになると、今度は母さんが家に帰ってこなくなった。
結局、どっちも好き勝手に生きていて都合が良い時だけ俺を構うということはよくわかっていた。
高校一年で俺は180センチになった。ただ、良樹はその上をいって既に190センチ近い。
ブチは中学生の時よりも痩せて背も170センチ台の標準的な体型になっていた。
元々愛嬌のある顔だったがシュッとしたせいで少し大人っぽくなった。でも口数が多いところは変わらずにいつもブチブチ言っている。
高校一年で良樹とはクラスが別になった。
「マトリョーシカ兄弟も今日で解散か」
深刻な顔でブチが言うが俺も良樹も相手にしない。
「残念だなー。ずっと三人で弁当喰えると思っていたのに」
良樹は一人だけ別のクラスになることを嘆いていた。
「弁当ぐらい、一緒に喰えるだろ」
「そうだよ。帰りだって良樹と晴矢は部活一緒だから変わらないだろ。で、その部活が終わるのを待っている俺」
中学の時、ブチは天文部の部活が終わると俺たちのことを待っていた。
「お前、高校は何部に入るんだ?」
「俺は帰宅部。高校では部活はやんない」
ブチの言葉に俺も良樹も驚く。
「マジ?お前天文部好きだったじゃん」
「勉強しないと」
俺たちは内部進学で大学は入れる。余程成績が悪いか素行が悪くない限り希望する内進者は誰でも行ける。そのため、高校に上がっても塾に通う人自体少ない。
ブチはより偏差値が高い大学進学を考えているようだ。
「本気で外部受験するのか?」
良樹が信じられないという表情で聞く。
「うん、まあ。親は好きにしなさいって感じだけど、勉強嫌いじゃないし」
ブチは中学三年間常に学年でトップだった。だから難易度が高い大学に行きたいと思うことは不思議ではない。
「大学でバラバラになったらホントにマトリョーシカ兄弟解散じゃん」
良樹までそれを持ち出したか……
「お前らはとりあえず、バスケでの全国大会出場に向けて頑張れ!特に良樹は期待されているんだから」
中学とは違い高校の部活のレベルは高いと聞いた。
良樹はともかく、俺は付いていけるのか?
「頑張ろうぜ、晴矢」
良樹の大きな腕で肩を抱かれた。
もう……慣れている自分がいる。
毎度心臓はドキドキと鳴るし、微妙な表情になるけど、でもこの手を離されたくはない。
目の前にいるブチは何でもわかっているかのように大きく頷いた。
🔸🔸🔸
次の日から夏休みという日に母さんは家を出て行った。
終業式は午前中で終わり、良樹とブチとマックに寄って家に帰るとテーブルの上に手書きのメモがあった。
「晴矢、元気に過ごしてください。これからはお父さんが学校の行事には参加してくれます。さようなら」
母さんの部屋に行くと洋服も化粧品も何もかも無くなっていた。
意味がわからずスマホを取り出すと母さんに電話を掛け、LINEも送り、メールまで出した。
でも何の返信もない。
常に居るようで居ない人ではあったけど、でもこれで完全に自分は捨てられたと悟った。
悲しかった。すごく悲しくて、悔しくて、俺は大泣きしていた。
全然愛されている実感はなかったけど、でも良い成績を取れば褒めてくれたし、興味が無くても学校の行事には参加してくれていた。
家で顔を合わすことはほとんどなかったけど、でも母さんが同じ家の中に居るという安心感はあった。
でも、もう居ない。
立ったまま大声で泣いていると電話が鳴った。
俺は表示も確認せずに出た。
「母さん!母さん!今どこ?母さん……」
「晴矢?どうしたんだ?お母さんいないのか?」
電話をしてきたのは母さんではなく良樹だった。
俺は思わず電話を切った。
こんな泣き声を良樹に聞かれたくなかった……
電話が鳴る。
表示されたのは良樹の名前。
「晴矢、大丈夫か?今どこ?家?」
「……良樹……助けて……俺を……」
最後は言葉にならなかった。息を吸うのも辛いほど涙があふれて止まらなかった。
「待っていて」
🔸🔸🔸
いきなりドアが開いた音がする。
俺は泣き疲れてリビングの床で丸まっていたが、起き上がり玄関に向かう。
そこには大惨事に遭ったかのような顔をした良樹が立っていた。
「晴矢!」
俺は大股で近づいてきた良樹にいきなり抱きしめられた。
「……え」
10センチしか違わないはずなのに、俺は覆いかぶさるように抱きしめられて良樹の胸の中にすっぽりと入っている。
暖かい……人の温もりを感じる。
母さんにも父さんにもこんな風に抱きしめられたことはない。
安心する……俺は自分の腕を良樹の身体に回した。
「大丈夫。俺がいるから」
良樹の声で止まっていた涙がまた流れ出すと声を出して泣いた。
散々泣いたせいで声は枯れているけど、でも止まることがない。
俺が鳴き声を上げるたびに良樹が俺を抱きしめる力が強くなる。
「泣くなよ……晴矢。俺も悲しくなる」
いつからか、良樹も泣いていた。
抱き合ったまま二人して号泣していた。
🔸🔸🔸
リビングのソファに二人で座る。
良樹は部屋の中を物珍しそうに見ている。
「よく場所がわかったな」
俺は冷蔵庫に向かうと中から出したコーラを良樹に渡す。
二人とも泣き疲れて喉がカラカラだった。
「ブチに聞いた。駅は知っていたけど道がわからなかったから。でもすぐにわかったよ。こんな大きな家他に無いもん」
「……うん」
「いつもこんなに広い家に一人なのか?」
「そうだよ。朝も夜もサワさんが用意してくれたご飯を一人で喰っている」
良樹にずっと隠していた事実。
こんな風に知られてしまうとは思ってもいなかった。
良樹は俺から目を離そうとしない。
「そんなに珍しい?」
「俺、全然お前のこと知らなかったなって反省している」
「なんで?俺が言わなかっただけだよ。恥ずかしくて」
本音だった。恥ずかしい。普通の家庭ではないことが恥ずかしかった。
「恥ずかしくなんてないよ!お母さんが晴矢のこと褒めていただろ。すごく育ちが良いって」
「それは……」
「俺決めた!」
「なに?」
「俺が今日からお前の家族になってやる。だからもう一人じゃないよ」
満面の笑みで良樹は俺に言う。
「どういうことだよ」
「俺はずっとお前と一緒にいる。何があっても絶対離れない」
試合に勝って喜んでいるようなノリで楽しげに話す良樹が理解できなかった。
からかっているのか?ずっと一緒って……?
「何言っているか全然わかんないよ。家族ってなんだよ?お前にはあんなに優しいおばさんがいるじゃん、阪神大好きなノリのいいおじさんも」
「でもお前も俺にとっては家族だよ」
いきなり真顔で俺に問いかける。
「だから、何も隠すな。全部俺に言え。俺が力になるし助ける。一人で抱え込むな。俺はお前の事ずっと見ているから」
俺の事をずっと見ていてくれるの?
俺は何を言えばわからなかった。
良樹の言葉が嬉しくて、幸せで、感動して……心の中で反芻しているといきなり抱きしめられた。
さっきよりも優しく。
「大好きだよ、晴矢」
確かにそう聞こえた。

