あの日以来、高木の姿は見かけなくなった。
 俺との写真や良樹に向けて撮っていた動画がSNSにアップされることもなく、何事もなく日々が過ぎていく。
 ただ、俺は高木のスマホを壊してしまったことや、俺に貸しが出来たと言われたことが気になって仕方なかった。
 ブチにも高木の事は話していた。
 ブチの後輩からなにか情報が得られるのではないかとも思っていた。

「まだ気にしている?」

 良樹は事あるごとに俺に聞いてくる。
 俺が部活にイマイチ気合が入っていないのも気になるようだ。

「だってスマホ壊しちゃったし」
「あれは不可抗力だろ?」
「でもさ……俺に貸しが出来たって言われたし」
「俺はお前が襲われないかそれだけが心配」

 最近、歩いて帰ることを止めてバスに乗っている。
 またいつ高木に付いて来られるかわからないからだ。
 貴重な三十分のデートがあいつのせいで潰れた。

「今日も家に寄ってよ……もっと一緒に居たい」
「うん。ちゃんとお前を送り届けなきゃ」

 バスの中でも手は繋いでいる。
 相変わらず俺は人に見られるのではないかとドキドキしているけど、良樹はそれすらも楽しんでいるようだ。

「夏休みどこか遠出しようか、二人で」
「ホントに?」

 突然の良樹の言葉に驚く。
 二人だけでどこかに行ける?

「もう十八だし、いい加減二人で旅行しても誰にも怒られないだろ?」
「少なくともウチの父さんは何も言わないよ」
 
 俺は嬉しくて顔がニヤけてしまう。
 良樹は俺の顔を見るとすかさずつっこむ。

「嫌らしいこと考えていただろ?」
「な!そんなことないよ!俺はただ嬉しくて……」
「ホントに可愛い」

 良樹が俺の耳元でそう囁いた。
 顔が赤くなる……席の前に立っている生徒がいなくて良かった。
 俺の赤くなった顔を見た良樹はあの笑みを浮かべた。

 🔸🔸🔸

 家に着くまでどこに行こうか二人で候補を出していた。
 二人でならどこに行っても楽しめるけど、なるべく人が居ない場所が良いということで意見は一致していた。

 門を開き、ドアを開けると玄関に見たことが無いローファーがあった。
 今日はキーちゃんが家に居る日ではあるけれど、どう見ても彼の靴とは思えなかった。

「誰か来ているみたいだ」
「お客さんか?」

 リビングから笑い声が聞こえる。
 キーちゃんのお客さんかな?とリビングに入ると高木がいた。

「おかえりなさいー。晴矢くん!あ、良樹くんもこんばんは。彼、晴矢くんの事ずっと待っていたのよ。約束していたんでしょ?」

 俺は腰が抜けそうになり、良樹が咄嗟に支えた。

「お帰りなさい!予定より早く着いちゃって、門の前に立っていたら入れてくれました」

 どうして、高木が家に居るんだ!?

「何しているんだよ!約束なんてしてない!それにどうして家がわかったんだよ!」
「えー?何言っているんですかー。渡したい物があるから家においでって言ったの先野先輩じゃないですかー。あ、手島先輩の手前、そう言わなくちゃいけないのかな?」

 俺は高木が怖くて怖くて仕方なかった。
 ストーカーか?

「大丈夫?晴矢くん。ちょっと落ち着いて。どういう状況なのかしら?」
「先野先輩が僕のスマホを壊してしまって。ちょっとじゃれていたら僕が取りそこなったのがいけないんですけど。そしたら先輩が買ってあげるって。だから今日それを取りに来ました」

 嘘が次から次へと垂れ流されている。
 マトモな神経じゃない……

「そこまで嘘を吐き続けて気持ち良いか?」

 良樹の今まで聞いたことがないほど低く冷たい声が響く。

「えー?手島先輩には関係ないじゃないですか。今日は僕と先野先輩との約束なのになんで家に来るんですか?」
「お前が何をしたいか知らないが、晴矢の神経が持っているうちに消えろよ」
「あなたにそんな事言われる覚えはないです!僕と先野先輩との問題なんだから」
「だから、晴矢はお前とは一切関係ない。お前が勝手にストーカーになっているだけだろ!」
「ひどい!僕をストーカーとか。先野先輩、ひどくないですか?」

 俺は目の前で繰り広げられている光景が信じられなかった。
 高木は狂っている……

「ストップ!」

 いきなりキーちゃんが立ち上がると大声を上げた。

「この状況は理解しました。ごめんなさいね、僕が勝手にお友達だと思って家に上げてしまったのが間違いだった。さ、帰りましょうか。高木くん」

 キーちゃんは微笑みながら高木の腕を掴む。
 
「い、痛い!痛いだろ!離せよ、オカマ!」
「はいー一発アウト!とっとと出ていけ、このガキが!」

 俺も良樹もキーちゃんのドスの聞いた声に飛び上がった。
 そのまま高木はキーちゃんに引きずられ、家から放り出された。

 俺はその場に座り込んだ。
 
「大丈夫か?」
「大丈夫?晴矢くん」

 良樹とキーちゃんに支えられ、ソファに座った。
 恐怖心と安心感からなのか急に体が震えだした。
 良樹が俺の身体に腕を回し震えるのを抑えようとしてくれるが、止まらない。
 キーちゃんはキッチンに行くと、何かを持ってきた。

「これ飲んで」

 苦そうな匂いがする。

「酒ですか?」
「違う。気付け薬みたいなものだから大丈夫。さ、晴矢くん」
 
 俺は震える手でグラスを持つと一気に飲み干した。
 苦くて甘くて、熱いものが喉から食道を通って胃の中に入っていくのがわかった。

「本当にごめんなさい。僕が浅はかだった。まさかあんなに可愛い顔してこんなにエゲつないことするなんて」
「まさか家にまで来るなんて……っていうかこれってストーカーだよね?」
「そうね、ストーカー。学校に伝えた方がいいんじゃない?あの子自身かなり病んでいる気もするし。宗さんに話しましょうか。こういう場合は親が訴えるのが筋だと思うわ」
「そうしよう、晴矢。おじさんに相談したほうがいいよ。これであいつが諦めるとは思えない」

 俺も次がある気がして怖かった。
 どうして俺なんだろう……

「良樹くん、今日晴矢くんと一緒に居てもらえる?どうしてもお店出なくちゃいけなくて。宗さん今日は早めに帰って来る日だけど」
「はい、ずっと一緒に居るから大丈夫です」
「ありがとう。本当に頼りになる。お夕飯はサワさんが作ってくれているから、食べて。晴矢くん、大丈夫?僕からも宗さんには伝えるけど、晴矢くん自身でも話してね」
「……うん。わかった」

 キーちゃんが出掛けて行くと部屋の中は静まり返った。
 俺はソファから立ち上がれず、ずっと良樹にもたれかかったままだ。

「大丈夫か?何か飲む?」
「いらない……良樹は勝手に冷蔵庫開けて飲んでいいよ。お腹すいたらご飯も食べて。俺は食欲ないから……」
「ちょっと待っていて」

 良樹はソファから立ち上がるとキッチンに向かった。
 俺はソファにそのまま横になり、目をつむった。
 肉体的には元気なはずなのに、精神的に参るとこんなに何もできなくなるものなのか。
 情けなくて、辛かった。

「晴矢、起きられる?」

 良樹が湯気のでているマグカップを持っていた。
 俺は起き上がり、座りなおす。
 その横に良樹が座り俺にマグカップを渡した。
 甘くていい匂いがする。

「牛乳をレンジで温めて、はちみつを入れた。かなり甘いけどお腹にも優しいし温まるよ。飲んで」

 俺はマグカップを両手で持つと覚ましながら一口飲んだ。
 懐かしい味がした。
 甘くて優しくて、心まで温まる。

「美味しい……すごく懐かしい。小さいころ飲んだ気がする」
「風邪を引くとよくお母さんが飲ませてくれた。俺、牛乳大好きだったけど冷たいのはお腹に悪いからって、温めてはちみつで甘くして。美味いだろ」
「良樹は俺のお母さんだね」
「俺は晴矢のためなら何にでもなれるみたいだな」
「一緒に居てくれて良かった、ホントに」
「でも、キーちゃんが居てくれなかったら流石の俺でもどうなっていたかわからないよ」
「確かに……キーちゃんは最強だな」
「だな」

 二人で声を出して笑った。
 笑えたことが嬉しかった。
 良樹が俺のおでこにキスをする。

「ずっと一緒に居るから安心して」

 俺はこくんと頷いた。

 🔸🔸🔸

 九時過ぎに父さんが帰ってきた。
 一階から俺の名前を呼んでいる。
 こんな事は初めてだ。
 俺は良樹と一緒に一階に降りた。

「ああ、晴矢、大丈夫か?手島くんも一緒に居てくれてありがとうね。君が一緒じゃなかったら今頃晴矢がどうなっていたか」
「キーちゃんから聞いたの?」
「ああ、びっくりして。これでも早く帰って来たんだけどな。顔色悪いな?何か食べたか?」

 俺は首を横に振る。

「だと思って、たい焼き買って来た。手島くんも一緒に食べよう」
「た、たい焼き?」
「ああ、お父さん大好きなんだよ。ちょっと手を洗って来るから待っていて」

 父さんはたい焼きが好きなの?
 俺はたい焼きなんてほとんど食べた記憶がないけど……

「たい焼きだって……良樹好き?」
「あんまり食べたことないけど。でもおじさんがせっかく買って来てくれたなら食べようよ」

 たい焼きを食べながら俺は高木の事を詳細に父さんに伝えた。
 その流れで、俺と良樹の関係を話すべきか迷ったけどまだ言いたくはなかった。あくまでも親友という体で話を進めた。
 良樹は堂々と俺たちの関係を伝えて欲しいと思ったかな……ふと頭を過った。

「あまりにも酷い。明日、学校に行って話すことにするよ。流石に見過ごす案件ではないな。万が一晴矢が襲われたりしたら、お父さん生きていけないよ」
「オーバーだな……。でもキーちゃんが居てくれて助かった。キーちゃん最強だった」
「あいつを怒らせたら終わりだからな」
「そうなの?」
「店で絡んでくる客や理不尽な客は一網打尽だよ。スパーッって音がするぐらいキレッキレにやっつけるからな。あいつが居たら世の中平和になるよ」
「……父さんはそういうところが好きなの?」
「まあな。一緒に居て気持ちがイイ奴って知り合える確率はそんなに高くはないからな。お父さんにとっては貴重だよ。お前にとっての手島くんみたいに」

 父さんの発言に俺も良樹も顔を見合わせた。

「まあ、親友も同じだよね。確率的には高くない」
「ん?お前たちは親友の上をいっているだろ?何ぼやかしているんだ?」

 父さんは俺たちの関係を知っている?

「え……それは」
「俺と晴矢は付き合っています。親友でもありますが、恋人です。すみません、もっと早くおじさんには言うべきでした」
「良樹!」
「直人が言っていた通り、手島くんはしっかりしているなー。まだ十七?十八だろ?エラいなー。お父さんはいつ晴矢が言ってくれるか待っていたけどね、良樹くんが言ってくれて嬉しいよ」
「だって……父さんは俺にそもそも興味が無いじゃないか……」
「そう思わせて本当に申し訳ないと思っている。直人にも散々叱られた。お父さんがこんなだから信用ならないのもわかっている。でもな、お父さんはお前がすることは全て受け入れるつもりだよ。お前の事を大切に思っているから」

 良樹は俺をずっと見つめている。
 俺が何を言うのか待っているような顔をして。

「……父さんは良樹と俺の関係を受け入れてくれるってこと?」
「当たり前だろ!手島くんみたいな彼氏が居てくれてお父さんは安心している。ありがとう、手島くん。これからもよろしく」

 父さんは良樹に右手を差し出す。
 良樹は自分の右手を差し出し握手を交わした。
 父さんへの信頼感指数はまだまだ低いけど、でも素直に嬉しかった。

 結局、良樹は家に泊まった。
 父さんとたい焼きを食べながら話していたら午前0時を回っていた。
 今日は高木の乱入から父さんへのカミングアウトまで色々ありすぎて心底疲れていた。
 良樹と同じベッドに横になりながら、さっきの父さんとの会話を良樹が口にする。

「おじさんに認めてもらえて良かったなー。おじさん、ホントにお前の事思ってくれているじゃん。あの時はどうなるかと思ったけど」
「キーちゃんが色々言ってくれているのもありそう。でも良樹が堂々と話していてやっぱり格好いいなって思った。良樹のおばさんたちにもあんな風に話せるの?」
「俺は話せるつもりだけど。お母さんたちがどう思うかは正直わからない」
「……だよな。親友としての俺は好かれているけど、関係が変われば拒否反応があっても不思議じゃないよ」
「でも俺は説得してみせるよ。その覚悟はずっと出来ている。だから心配するな」

 良樹が俺のほほを優しくつねった。