カリッの後でサクッやモチッも味わうことができたので、たいやきの実食は有意義なものとなった。
アタマでもシッポでも好きなようにしてくれと分配を任せたら、鴻崎は当たり前のように大きな方を渡してくれる。
腹いっぱいだと断るのも悪い気がして、俺は気遣いをありがたく受けとめた。
モニターを前に一人で考えこむより、誰かと会話し行動を共にすることで得られる学びは多い。
鴻崎を伴うようになってから、俺の行動範囲は広がったし、思考だってクリアになった気がする。
現役高校生作家ということを公表する前、学校には事情を説明してあった。
特定されるような情報をお気楽に発信するほど危機管理能力は低くない。
だけど、一枚だけ掲載された顔写真とペンネームのせいですぐに学校は特定されてしまった。
告知などの広報は編集部が管理するアカウントに任せている。自分の感情が乗っかりやすく、作品に変なフィルターがかかりそうだと思い、個人アカウントの運用は今のところしていない。
ネットに散らばる作品への評判が気になることもあるが、小説投稿サイトや編集部宛に感想を送る手段は残してある。
SNSの波に揺られていると心地いいが、時間ばかりを食いつぶしてしまうのが難点だ。文字を読み書きするのが好きでたまらない作家には相性が悪すぎる。
高校生作家の俺と縁をつなごうと近寄ってくる人間の心理は様々だった。
本を買ってくれたからと言って読んだとは限らないし、ファンかどうかも見極められない。
サインが欲しいとか、業界の話が聞きたいとか、彼らの願いがささやかであったとしてもすべてを叶えるのは難しかった。
対応をひとつ間違えれば妙な形で炎上する。
そういう毎日に疲れて、俺は周りと少しずつ距離を置くようになった。
忙しさと睡眠不足からくる協調性の欠落をクラスメイトは許容してくれているようだ。
その中でも中学校が同じだった名嶋と八槻は面倒見がよく、余計なことも話さない。一緒にいて気負わず疲れないのは彼らくらいのものだった。
マナーモードから切り替えておいたのでスマホの通知音が続けて鳴った。
担当からの連絡やアプリのお知らせか何かだろう。
手に取って確認するとそのひとつは鴻崎からのメッセージだった。
『次は白あんもチャレンジしてみてください。食わず嫌いかもしれませんよ?』
こんばんは、の挨拶もなく挑戦的なことだけ言い捨てるのが彼らしい。
添えられた画像には、過去に撮ったものと思われるたいやきがドンと映されていた。
好みを押しつけられると親にさえ反論していたのに、鴻崎の図々しさに感化されてきている。
『クリームも美味かっただろ? 生地とのバランスが天才的だったし』
『思ったより、悪くなかったですね。でもあの店の評価四つ星は白あんが健闘してるおかげなんで』
『俺と半分こして食べたクリームが思い出補正も含めて最高だろ?』
文章入力にスマホとパソコンを併用しているせいで俺の操作に無駄は少ないし、レスポンスも早い方だと思う。
なのにスタンプをぽんと送るより早く返答が返ってくる。
俺の前で鴻崎はあまりスマホに触らないけれど、2つ下だと文字を書くより打つ方に得意なのかもしれなかった。
小説の公募で大賞に選ばれ書籍化作家となったのは1年生の秋くらいだ。
スマホでメッセージをやり取りする相手はその頃から、数名しか増えていない。
ひとつを得るために、いくつかは取りこぼす。
それは仕方がないことなのだが、高校生らしい交流を体験しておきたい気持ちはあった。
青春や友情を体感させてくれる鴻崎の存在は貴重で、失ってしまったら立て直しに時間がかかりそうだった。
「いや、でもそれじゃ……」
特別なポジションに収まっている相手を何と呼ぶか俺だって知っている。
たいやき半分をぺろりと平らげたビジュの良い下級生は、恋愛というものに向き合ってこなかった俺をゴールに据えて、順調にコマを進めていた。
ぱくりと唇に食いつかれる想像をして目をつぶると新着のメッセージが届く。
タップして文字での会話を続けながら、まだ知らない接触の妄想に灼かれた脳を再起動させる。
それは、なかなか厄介な作業だった。
鬱蒼と茂った植物で建物はまったく見えない。
参道らしき小道もなければ看板もないので、私有地だと言われればそうなのかもしれなかった。
「古宵センセイ、ここはやめときましょうよ」
スマホのマップはこの場所に神社があると表示してくれないし、ネットや地域の図書館で調べても欲しい答えは得られなかった。
それでも、あまりにイメージ通りすぎて、AIが生み出したんじゃないかと見間違う外観に足は引き寄せられていく。
「ちょっとだけだ。周りにカメラは見当たらないし、録画の恐れがある車もこの時間には通らない。お前が見張ってくれてる間に中へ入って何枚か写真を撮ってくるだけだ」
「不法侵入すぎるでしょ。ここが本当に神社だったらいいんですけど、そんな情報どこにもなかったんでしょ? 持ち主不明の廃墟訪問なんてヤバすぎですって! センセイ自分が有名人だってこと自覚してます?」
めずらしく本気で止めにかかってきた鴻崎の論拠に勢いをくじかれる。
「……お前がここに似た場所を見つけてくれるなら考え直す」
「冷静になってくれて何よりです。中に入らなくてもこうやって写真を撮って画像検索すれば、お目当ての情報が引っかかってきますよ。古宵センセイだって、この機能多用してるでしょう?」
慣れた様子でスマホを操作する鴻崎は、複雑化する最新機種を使いこなしているようだった。
「いや、全然。便利すぎるものに頼ると感覚が鈍る。何もかも使わないのは無理だとしても俺は自分で見て探す、その過程を大切にしたい」
「まぁ、それはそれとしてタイパも重視してくださいね。ただでさえ、ノってくると目にクマ作ってきちゃいますもん。センセイみたいな人には担当だけじゃなく、マネージャーがつくべきですよ」
自薦のつもりかと思ったけれど、鴻崎の言葉は心配から生まれたものらしい。
傍に誰かを必要とするタイプでなくても、創作以外の労苦を引き受けるバディのおかげで才能を羽ばたかせた先人はいる。
目の前の神社っぽい場所を再現したような画像を見せてもらっている間、鴻崎のスマホに通知は一度も来なかった。
交友関係や趣味、嗜好など、携帯端末の中にすべて収まっている。
これほど会話もしているのに、通知からそれらを読み取ろうなんて欲が深い。
「あ、ここなら電車かバスで行けそうですよ」
市内にはこことよく似た神社があるらしい。いつがいいですかとスケジュールを確認する鴻崎は今でも充分マネージャーぽくて俺はそれに何故か安堵していた。
プロになってから、投稿サイトの更新はあまりできていないが、デビュー前から応援してくれる読者のことを忘れてはいない。
ランキング入りの通知や新着感想の通知を一通りチェックした後、俺はふと思い立って感想が並ぶページをスクロールしていく。
ユーザー名「Enjack」からマイページへのリンクはまだ有効だった。
前に見た時より、本棚に作品が増えているくらいで、日々ログなどはあの頃のまま更新されていない。
このページには感想を書きこんだ作品の一覧もないし、閲覧作品への足跡が見える仕様でもなかった。
相互に感想を書きこむような創作仲間はいないし、同期デビューの作家ともつながる術はない。
作者や作品を一方的にブックマークしているだけで、更新通知も切っている俺は、リニューアルを重ねている投稿サイトの機能をしっかり理解できていないユーザーだった。
本棚に入れられた作品のジャンルは色々だが、新着から見つけてきたようなランキング外の新人作家のタイトルが目についた。
人気シリーズやアニメ化作家の作品も入っているけれど、評価やPVだけでブックマークしているように思えない。
まだ世間に知られていない作品に目をつけ、読者に広めようとするスコッパータイプの登録者もいると聞く。
ユーザー「Enjack」もその一人かもしれなかった。
他人が借りた本や薦めてくる本が気になる人間はそれなりにいる。俺もその一人だったのか、好奇心から「Enjack」のお気に入り作品を読みに行くとどれもかなりの良作だった。
ユーザー同士でメッセージを送り合う機能は備わっている。マイページには他のサイトやSNSへのリンクもないので、直接メッセージを送ってみようかと思ったけれど、古宵カズサから連絡が来ると向こうも戸惑うだろう。
今の自分があるのは、努力と熱意のたまものだが、あの時もらったレビューはいつだって背中を押してくれた。
何らかの形で感謝が伝えられないだろうかと思いながら、ブックマークされた作品の感想一覧をのぞくと二週間前に「Enjack」がコメントを残していた。
コピペを少しいじっただけの適当な文章はそこにない。
しっかりと最終章まで読み終えたとわかるメッセージは、過去に自分が受け取ったものと変わらない熱量が宿っている。
古宵カズサにはたくさんの読者がついてくれたし、評価や感想だって昔とは比較にならないくらいもらえている。
それなのに、特別だと思っていたユーザーはもう俺以外の作者を推しているのだと思うと胸がぐっと苦しくなった。
書籍化を経て表現技法を広げた古宵カズサは、デビュー前より成長しているはずだ。
けれど「Enjack」が今、読み支えたいのは、プロになってしまった俺じゃない。
SNSでの距離が近すぎるやりとりは作品の根幹を腐らせる場合もあるし、作家の心を打ち砕く要因にもなる。
だから、その前に交流から身を引いたのにたった一人の反応がもらいたくてたまらなかった。
感想をもらっていた作者のマイページにもリンクはない。タイトルで検索すると作者本人の宣伝や読者による読了報告がSNSに流れていた。
作者本人の更新情報を拡散したアカウントや応援マークをつけたアカウントに「Enjack」らしき人物はいない。
ユーザー検索で「Enjack」を打ちこんでも別人のアカウントしか出てこなかった。こんな簡単に見つかるはずがないと思いながら、俺は「Enjack」と「今宵カズサ」のキーワードを並べて打ちこむ。
その検索結果は、思いもよらないものだった。
@inose 今宵カズサって前にEnjackが推してた作家かぁ。学生同士だから、響くものあったのかも?
@miliu Enjackがなんで@tsubameになったんだろって思ってたけど、燕雀から来てたのか笑。今宵カズサ推してた頃はまだインフルエンサーじゃなかったんだよね。今、彼、いくつなんだろ?
ネットに入り浸ることは控えているが、情報収集を放棄したわけじゃない。
話題のスポットやメニューだってチェックしているし、読書アカウント@tsubameのことも書店のPOPで見かけて、その場で調べたくらいだ。
レビューした本が売れていく読書アカウント@tsubameは、読書案内インフルエンサーとして名を知られている。
本人が投稿している日常の風景、食事、推している本やお気に入りの楽曲すべてに数千から数万のいいねがつく。
本人を特定されることがないように気を配っているようだが、アカウント名が俺の知り合いと紐づいているせいで、何を見てもそうとしか思えなかった。
作家の観察眼を向こうがなめているとは思えないので、おそらくシンデレラの靴のつもりなんだろう。
本なんて読まないし買わない? 巻き上げてるって投げ銭とかグッズ売り上げとかを含めるのかよ?
ふつふつとわいてくる怒りは生意気な嘘つきに向かっていく。
『子供のころ、幸福の王子が好きだったんです。皆さんに素敵な本を届けるメッセンジャーとして@tsubameと名乗るようになりました』
ボイスチェンジャーで変えられた声に面影はなかった。フォロワーもおそらく大学生くらいだと誤認しているのだろう。
四葉のクローバーの髪留めをつけた紫髪の3DCGアバターは、図々しくて押しが強い本人とは似ても似つかなかった。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。鴻のように大きな鳥の志すところを小鳥には理解できない。
周りを小馬鹿にしたような言葉からアカウントを作るあたりが、性格の悪さを物語っている。
そんな太々しい後輩に言ってやりたいのはこの一言だ。
「鴻崎、お前だったのか……」
「ネットミームに毒されすぎじゃないですか? ネットを徘徊してないでお仕事頑張ってくださいよ、センセイ」
「お前も本出してるだろ? しかも、それなりに売れてるみたいだし」
「古宵センセイの発行部数に比べたら、雀の涙ですよ。関係性を明示せずに宣伝しちゃうとステマになるんで、高校入って声をかけてからは一切宣伝してませんよ。センセイの作品に出会ったのって、オレが事故で怪我して入院してた時なんです。最初に読み終わった後、世界がキラキラして見えました。文章のどこからも才能が光ってて。だから、この人の作品をみんなに伝えなきゃって思ったんです。で、その後、むやみに顔出しなんかしちゃってるから守ってあげないとなって思って志望校決めました」
配信者をしているだけあって長台詞でも聞き取りやすく、話がまとまっていた。
「運命ですよ、オレたち」
「君にとっての運命は俺かもしれないが、俺の運命の人は別かもな」
「ええ? でもセンセイ、オレの顔は気にいってるんでしょ? めでたく両想いじゃないですか!」
「君は俺の本を読んでないとか嘘つくし……、もしかしてネット投稿の無料分しか読んでないとか?」
「ちゃんとお金払ってデジタルデータを購入してますよ。オレ、読むの早いし本で買っていくと本棚が埋まるじゃないですか」
「はあ? お前、よくそれで読書アカウントとかやってるよな」
「媒体が違っても中身は同じですよ。考え方がアナログすぎます」
「あ、そう。じゃあやっぱりお前の運命は俺じゃな……」
「待ってください! じゃあ叔父の書斎の一角はオレに使わせてもらいます」
そこに並べる本が自分の著書だけになるように、たくさん新作書かないとなんて思っている俺はかなりマズイ。
「インフルエンサーと作家の結婚もありですよね。オレたちの関係公表して、カップルチャンネルとか開設しちゃいます?」
「だから、日本の法律では……」
「そのうち世界が変わっていくかもしれませんし」
そんな日が来るか来ないかはまだわからない。
けれど、きっとこいつとの未来は暗くないのだろう。
#青春や#友情に加えて、#恋愛を教えてくれる鴻崎との毎日はひとつひとつが発見の連続だ。
「とりあえず図書館の本は早く返してやれよ」
「いや、あれ他のやつに貸したら、また貸しされちゃってて」
「はぁ? お前、なんでそういうとこ適当なんだよ。図書館の本は公共物だぞ」
眉間に皺を寄せきつく言うと、実は文学寄りの人間だった鴻崎がしっぽを振る犬みたいな顔をしてみせる。
くやしいけれど、確かに俺はこいつの見た目にめろめろなのかもしれない。
腹立たしく思うけれど、ハッピーカラーで点滅している恋愛フラグが目の前にある。
回避への別ルートはあるだろうか。目を泳がせる俺の手をそっと取り唇へと寄せていく勝ちヒーローは、恋の成就を確信してほくそ笑んだ。
#END


