イメージ通りの木を探すだけで1時間近く平気で費やす俺の努力を奇行だと笑うやつもいるだろう。
 
『あったかい飲み物買ってきましょうか?』
『手分けして見て回った方が効率良さそうですけど、センセイの感覚にぴったりじゃないと意味ないですもんね』
 
 こちらの都合を優先し、作家の気持ちに寄り添ってくれる鴻崎は創作家のバディとして理想的だった。
 ようやく見つけたモデルとなる樹木は、葉の数や枝の具合がちょうどよく、俺は夢でもこの木に会ってたんじゃないかと思ってしまう。

「じゃあ、風船をふくらませて渡すから、お前は木に登ってくれ」
「え?」

 はい、以外の返事はいらないのだが、俺は横暴なご主人様ではない。
 1を聞いて10を知ってくれなんてこちら側のワガママなのだから。
 
「たくさん飛ばしたら、運良く枝に引っかかるってものでもないだろ。そこは人力でイメージに近づいていくしかない」
「ああ、なるほど。制服が汚れるのとかは別にいいんですけど、オレが枝に体重かけたら折れちゃうんじゃないですかね?」

 一度要望を受け止めて、そこから話を他へ展開させる鴻崎は、接客業の基本を前世で学んできたのかもしれない。
 この前まで中学生の制服を着ていたとは思えない可愛げのない体格は、空に向かって伸びた枝木で支えきれそうになかった。

「あの木に配置しなくても、そこらへんの枝に風船をひっかけておいて、レイヤーを数枚重ねる感じで1枚の絵にするのはどうです? センセイの優秀な頭脳なら可能でしょ?」
「……そりゃあ、まあ」
「センセイの貴重な時間を無駄にしちゃいけないですよね。作品、楽しみにしている読者がたくさんいるんでしょう?」

 そんな風に言われてしまえば、リアルにこだわりすぎる自分でも妥協する気が起きる。

「今日は風が冷たいから、スマホいじってるだけでも指が冷えちゃいますよ。サクッと写真撮って、情景描写(スケッチ)したら帰りましょう。たまにはオレがたいやきでもおごってあげますから」
「気前がいいな」
「叔父のとこでバイトしたって言ったでしょ。めずらしく懐があったかいんです」

 ポンポンと財布が入ったポケットあたりを叩いて、鴻崎が微笑む。
 こいつの叔父は仕事で多忙らしく、自宅の掃除や片付けをしてくれる人間を雇っているそうだ。
 溜まっていく書籍や資料の整理も大変なようで、手伝ってくれた甥にバイト代を弾むのも恒例になっているらしい。
 四十代男性の書架に俺の本はあるのか少し気にはなったが、鴻崎は家族や親戚のことをあまり話してくれないので確認はできていなかった。

「たいやきって、外でかじって食べると格別に美味しいですよね」
「君の言うたい焼きはパリッとしたタイプなんだな。俺は手土産としてもらったものを温めて食べるくらいしかしないから、かじるような食感じゃない」

 箱に入っている説明書通りに解凍しても一度冷凍を経たものは、焼きたての味には程遠い。

「へぇ? じゃあ、オレが買ってあげるたいやきが一生の思い出になるかもですね」
「一生は言い過ぎだろ。気持ちはうれしいんだが、さっきのドリアでまだ腹がふくれてる。たいやき分のすき間もないね」
「オレと半分こすれば解決ですね。店までちょっと距離ありますし、早足で行けば歩おなかもすきますよ。アタマとシッポどっち側がいいです?」
「それより中身が問題だろ。俺は大判焼もカスタードクリーム派だ」
「選べるならオレは白あん一択ですね。じいちゃんも母も白あんしか食べないんで」

 鴻崎が家族の話題を口にするのはめずらしい。名前も顔も知らないが、彼らが白あん好きということだけはひそかにインプットしておく。

「王道は黒あんだろ」
「クリーム派の人から、言われたくないですね」

 意見が合わないことはもちろんあるし、俺に従順というわけでもない。
 直球と変化球を投げわけてハートに押し入ろうする鴻崎の作戦は俺以外なら有効だろう。
 学校の図書館は利用してないし、俺の作品もちゃんと読んでくれてはない。
 だけど、鴻崎の成績は学年で上位一桁に入るか入らないかくらいだと信頼できるヤツから聞いている。

「……センセイと半分こイベントやれるなら、ここはオレが譲りますよ。クリームも嫌いじゃないし、パリッと焼けた生地のおいしさも引き立ちそうですよね」

 風船をふくらませる役を鴻崎に押し付けて、俺は満足いくまで写真を撮った。
 機能より画質より、容量とバッテリーにこだわったのはこのためだ。
 本格的なカメラを購入しても良かったけれど、それを担いで飛び回るのは大変そうである。
 フットワークを軽くしていった方が脳内にエネルギーが効率よく届いてくれる。

 空を背景にすると風船はどう見えるか。根元に留めた糸が枝木に絡むとどう揺れるか。
 
 きっと読者は誰も検証しないけど、俺はこのシーンを鮮明に表現したい。
 思いついた言葉や文章をスマホに打ち込んでいる間に十数分は経過していた。
 スマホを触って暇つぶしでもしていたらいいのに、鴻崎は何が楽しいのか創作に取りつかれた俺をじっと観察している。

 書き手が特定の読者に媚びると作品の軸がブレていく。
 1話目に期待してくれた読者のニーズを裏切ってはならないし、テーマから逸れて迷走を始めるのもよくない。
 創作は舵取りが意外と難しいのだ。
 
 AIに助言を求め頼るのも応募規定に反してないならいいのだろう。
 校正やアイデアの修正に誰か力を貸してほしいと願う人にとって、夢のような便利ツールでパートナーにもなり得る。

 だけど俺はシステム化されていく創作に恐れを抱いてしまう。
 語彙への直感や文字を並べた際のリズム感。
 自分がはぐくんできた創作技術が人工知能の礎として吸われて凡庸な何かに変わってしまうのはこわい。
 
「……古宵センセイってわりと横暴なのに、時々なんかはかなげで消えちゃいそうです」

 詩的な表現をしてくる鴻崎には、やはり文系の才能もあるのだろう。

「創作に熱中して高所とかで足を踏み外しそう、ってことか?」

 あえて不吉な解釈を語ると鴻崎は俺の後ろの光が眩しかったのか目を細める。

「この世界にもったいないくらい綺麗って褒めてるんですよ」
「はあ? 綺麗なのは君だろ」
「そういうトコ、めちゃくちゃキュンとします。創作者のキラーパスって怖いですよね」

 冴えた表現をしてきた鴻崎に、俺は次の行動を命じる。

「そろそろ移動しよう。君がおすすめするたいやきの味も気になるからな」
「はいはい」

 同じデザインの制服なのに、1年も着ていない冬服は俺のものより綺麗に見えた。
 卒業しても敷地内の大学へ通うので、きっと俺たちはこのままの関係を維持できる。
 だから、こいつが与えてくれる好意について今すぐ答えを出さなくていい。
 
 紙袋の中身は風船が入っていた包装だけで重さはなく、風にあおられて飛んでいきそうになる。背負っている鞄に折り畳んでいれるべきだった。後からそうしようと考えていたら、鴻崎が持ってくれて俺を手ぶらにしてくれた。
 
 自分のことをよく見てくれて気遣ってくれる存在を嫌いになれるわけがない。
 でもまだこの感情は、恋と呼べるようなものでもない。
 鴻崎と並んで歩きながら、俺はほわほわした幸せな感情を胸の内にしまいこんだ。