十六歳でデビューした俺、筆名・古宵カズサの『羽子突津雲の学校事情』は1巻だけで五十万部を突破した。
数字だけ見れば、目指した場所には届いてないが、創作者として生計を立てる道筋があの時見えた。
レーベルカラーをあまり気にせず、全力で書きたいものをぶつけた応募作は、編集部でも賛否両論あったらしい。
あの時から関わってもらっている担当者は、古宵カズサの創作活動を今もサポートしてくれている。
軽妙な会話劇、颯爽と活躍する主人公コンビ、難解なパズルが紐解けるような読後感。
読書記録アプリなどでも好評を博したおかげか、シリーズ続刊の売上も順調である。
コミカライズもふくめた累計売上はニ百万部を突破する勢いだ。
電子書籍の印税だけでも高校生のお小遣いとしてもらえる額じゃない。
学園を舞台にしたミステリーは多くある。読者を惹きつける作品を生み出すには、机上の空想だけではまるで足りない。
新たなひらめきを求めて、気になった場所へ通い、実際にこの目で見て体験していかなければ、発想だって枯渇する。
話し相手と食事の同席、撮影や資料整理を任せたって、鴻崎はそれなりに役に立ってくれた。
呼び出さなくても、すり寄ってくる腹ぺこの暇人は、作家・古宵カズサの活動を支えていたりする。
「古宵センセイって、冷たいのあんまり好きじゃないんですか?」
年上の俺に鴻崎は丁寧語で話しかけてくるが、「す」と「か」のアクセントが強めなので「なんっすか?」となれなれしく呼びかけられている感じになる。
こいつはマネージャーでも仕事のパートナーでもない。
俺に愛想を振りまいて、時には好意があるようなことも言って、タダ飯をゲットしようと画策する鴻崎とは今後何か起こりそうもないのに、交際中だと勘違いするやつもたまにいる。
たった二つしか違わないせいか、敬意や遠慮がこいつからは感じられない。
入学から一度しか図書館に足を踏み入れてない鴻崎は、人気作家という肩書に何の憧れも持っていないのだろう。
自由に使える金があるという認識は正しいので、そこは訂正の必要はない。
「そういうわけじゃないが、どういう推理だ?」
配膳ロボットではなく、穏やかな年配のスタッフが運んできた熱々のドリアはぷすぷすと表面がうごめいている。
チーズの焦げ具合、耐熱皿にとどまる熱気。このままフォークで口に運べば火傷は確実だろう。
ひとつひとつを頭の中で実況しながら、俺はカトラリーケースからフォークを取り出す。
目の前のすべてや感覚を文字として並べていく作業はとても楽しい。
今すぐ言語化しなくても、いずれ何かの場面で役立ちそうだとドリアをスマホのカメラで撮影している間、鴻崎は自分の前に置かれたクリームパスタを黙々と口に運んでいた。
崩れかけたアボガド、散りばめたオリーブ。グリーンの色を加えるために乗せられていたバジルはもう彼の胃の中へいってしまった。
銀のフォークに巻き付けられていくパスタは色味通りレモンの風味が強いのだろうか。
ドリアとパスタをひとりで完食せずに済むのは、同行者のおかげだ。
日常に転がっている不思議やデザインを取り込むことで、作家としての感性が豊かになっていく。
ギブアンドテイクが成立する下級生との出会いを感謝しながら、俺は画像を1枚『ひとくちコミュ』に投稿した。
口コミサイト『ひとくちコミュ』に掲載される情報に、ポイントや割引特典などの見返りはない。
お気に入りのお店について、画像やレビューをぽんぽん投げ込むだけの気軽さと正直さが俺にはちょうどよかった。
「カフェとかでセンセイにオーダー任せるとだいたいオレに冷たいの買ってきますよね。今日だって、オレのはフレッシュレモンの冷製パスタじゃないですか」
目のつけどころは悪くない。
そろそろ指摘されるのはわかっていたので、こちらの手の内を多少さらしておく。
「君って猫舌っぽいから、熱いの頼むとちょっとずつ食べるだろ? 俺は小鳥みたいな子に同席してもらうより、豪快に皿を空にする君みたいなタイプを見ていたいんだ」
全部が嘘ではないが、伝えてないこともある。
俺は鴻崎が立てる咀嚼音に、何故だか惹かれているらしい。
世間ではその音を楽しむためのASMRもあると言う。
人の食事の様子なんて、何が楽しいんだかと疑念を持っていたけれど、こいつの食事は適度にワイルドで品もある。
うまく文章に落とし込むには、もう少し観察が必要だが、とにかく鴻崎を見ていると言葉が次々わいてくる。
「センセイのおごりなんですから、文句は言いませんよ。オレはアンタの好みなんだって確信してるだけです」
自信過剰な後輩は、俺の言葉を都合よく切り取って調子の良いことを言う。
見た目だけじゃなく、中身にも隠し玉が詰まっているところが面白い。
俺がもう少し恋愛脳なら、ころりと落ちて一生金づるにされていたことだろう。
「見た目と食いっぷりだけだろ。君のいいトコ」
「それ結構、重要じゃないですか? あ、この前、歌もいいねって褒めてくれましたよね」
ほんのちょっとの照れをスパイス程度に入れて笑う鴻崎は、腹が立つほどあざとい。
骨の髄までむしり取る気かよとにらみつけると形のいい唇が『そういうとこ、好きです』とミュートで囁く。
そんなものでよろめくようでは、鴻崎と行動を共になんかしていられない。
食事の手を止め、スマホの創作用アプリを立ち上げた俺は、頭に浮かんでくる雑多なイメージが消えないうちに書きとめる。
鴻崎を伴うことによって得られるネタは多岐多様だ。
本当ならバイト代を払ってやってもいいくらいなのである。
『オレってセンセイのミューズですよね』
そんなこっ恥ずかしいことを真顔で言ってのける図々しさときらきらしい笑顔の破壊力。
こんな素晴らしい素材が俺の前に現れたのは創作者への天啓に違いない。
古宵先生と呼ぶくせに、鴻崎はおそらく俺の著書を1行だって読んでいない。
創作で大金を手に入れた上級生が、こいつにとって魅力的なだけだ。
こいつにメロって独占欲をむき出しにするバカな奴らより、全力で仕事に取り組む俺の方が扱いやすい。
そんな風に軽んじられているとしても別に構わなかった。


