「あれ? 今日は遠藤一人じゃないの?」
部室の扉が開いて、男子生徒が一人、入ってきた。
見覚えがあると思ったら、三年生の浅沼涼貴だ。
「浅沼先輩、お疲れ様です。前から気になってたレイヤーを、遥先輩に見てもらってました」
「誰かと思ったら、植野か。来てくれたんだ。去年より背が伸びた? ちょっと見違えて、一瞬わからなかったよ」
「伸びましたよ。三センチくらいですけどね」
三センチ伸びてようやく一六六センチになった。やっと身長が一六〇台後半に乗った。
ただでさえ女みたいな顔をしていると小馬鹿にされるから、身長くらい伸びてほしいものだ。
浅沼に対しては、朝陽に声を掛けられた時に一緒にいたなぁ程度の認識しかない。一年前の話だし、記憶が曖昧なのはお互い様だ。
「先輩こそ、髪、切りました? 去年は、もっと長かったですよね?」
必死に一年の頃の記憶を手繰り寄せる。
それなりに長めのウルフカットみたいな髪を緩く結んでいた、ような気がする。
「随分前にね。けど、切ったら切ったで、首筋が寒い。去年の秋頃切ったんだけどね。夏になってから切れば良かったよ」
「結構、前っすね。慣れましょうよ。なんなら、もう春ですよ」
線が細いイメージの人だから、短髪にしても美人だし、綺麗だ。
シネマトグラフの被写体には持って来いの人物だと思う。
「それで、レイヤーの謎は解けた?」
浅沼がパソコンを覗き見た。
「まだ、わかりません。だけど、これから探そうと思います」
圭吾が意気揚々と気合を表明している。
常に話し方が淡々としているから、一見すると普通に話しているだけみたいだが。本人は気合が入っている。
気が付いてしまう己が憎い。
同時に、面倒だなと思う。
「そっか。植野は、どう思う?」
「どう、と言われても。背景っぽい写真が二枚あるとしか、今はまだ」
「だよね。俺もお手上げ。けど、別に困ってないから、そのままでいいんだけどね」
浅沼がテーブルに荷物を置いて、棚に仕舞ってあるカメラを取り出した。
「部員もいなくなっちゃったし、写真部は廃部だろうから。朝陽が寄贈してくれた機材は勿体ないけど、仕方ないよね」
仕方ないとかいう割に、とても丁寧にカメラを磨いている。
「何で部員、辞めちゃったんですか?」
ちょっと聞きづらかったけど、思い切って聞いてみた。
普通に十人以上いた部員が、浅沼一人を残してやめてしまうのは、違和感がある。
一年生も圭吾だけだ。四月の部活紹介でも、写真部は積極的な勧誘をしていなかった。
浅沼と圭吾が、目を合わせた。
「あのですね。この部屋、オバケが出るんです」
三人しかいないのに、圭吾がこそっと答えた。
誰に対して顰めているのか、わからない。
「オバケ? オバケって、どんな?」
「髪の長い女性の幽霊だって。ベタだよねぇ。俺は一度も見たことないよ」
浅沼が、ケタケタと笑っている。
「そんな理由で、皆して辞めちゃったんですか?」
理由が幼稚すぎて呆れる。
「幽霊騒動と併せて、その背景レイヤーが消えないのも、朝陽の呪いだとか言われてさ。怖がって辞めちゃったんだよ」
「いや、朝陽さん、死んでないでしょ。幽霊は女性なんだし」
思わずツッコんだ。
海外に転校しただけで呪いだとか噂されるのも心外だろう。
「理由は、何でも良かったんじゃないかな。朝陽に嫌がらせしていた奴らには、居づらい場所でしかなくなったんだろうね」
「嫌がらせか。はっきり言うんですね」
「だって、酷かったから。コンクール用に作ってた作品も、レイヤー消されて壊されちゃったりしてさ。メインレイヤーが一枚消えたらどれだけ大変か、植野ならわかるでしょ?」
「それは、まぁ。見つけ出してボコボコにしても、飽き足らないですね」
通常、3Dシネマトグラフは、メインレイヤーが最低三枚は必要になる。
写真を加工して作る場合が多いから、元の写真さえ残っていれば再加工はできるのだが。最も時間と手間がかかる工程がメインレイヤーの加工だから、加工後の写真を壊されると、作業が振出しに戻る。
更に、原画を消されでもしたら、ゼロから作り直しだ。
仮に、カメラからも写真が消えていたら、撮影からやり直しになる。
シネマトグラフは素材探しから写真家が行う場合が多いので、フリー素材を使うという発想が界隈にない。世界に一つだけの写真を加工して、何枚も組み合わせて、最高の「世界に一つだけ」を作る作業だ。
季節ものの、例えば花や風景などを使用する場合も多いから、元の写真が消えたら取り返しがつかない。
「朝陽はボコボコにしないで、諦めちゃったんだよね。だから、去年の夏休みのコンクールは三位だった」
「その状況で三位って、かなりの快挙ですけどね」
それでも、榛葉朝陽の功績としては、お粗末だろう。
元の写真があったら、優勝できる実力の持ち主だ。
「馬鹿らしいよね。同じ高校の同じ部活で足の引っ張り合いなんて。くだらなすぎて、怒る気にもならない」
カメラを拭く布を持つ手に、一瞬、力が入って見えた。
「浅沼先輩は、残ったんですね」
「朝陽が残してくれたものを守りたかったから。今年は遠藤が入ってくれたけど、このままだと継続は難しいかな。顧問の先生には、何とか部員を集めて存続してくれって言われてるけど。植野も入る気、ないでしょ」
思わず口を引き結んだ。
入部の意志はない。だが、そういう言い回しをされると「ないっすね」とも言いづらい。
「入らなくていいよ。また部員が増えたら、きっと植野も朝陽と同じ目に遭う。そういうの、俺は嫌だからさ」
「その点は問題ないです。遥先輩に手を出すゴミは俺が排除しますから」
圭吾が脇に手を入れて、むんずと掴むと俺の体を持ち挙げた。
「馬鹿! やめろ、持ち上げんな! デカいからって調子乗んなよ! チビ舐めんな!」
「遥先輩は、やられたらやり返す精神の人だから、大丈夫です」
「俺を図太い馬鹿みたいに言うな!」
「強い人って言っただけですよ」
圭吾はいつでも、ああ言えばこう言うだ。
背も高いし口達者だから、余計にムカつく。
「二人、仲良しなんだね。そういえば同中なんだっけ。先輩後輩というか、兄弟みたい」
浅沼が無邪気に笑う。
兄弟じゃなくて、俺としては恋人希望なんだが。しかも、浅沼の目線は、どう考えても俺が弟だ。先輩なのに、悔しい。
「俺が守ります、お兄ちゃん」
圭吾の台詞に、悲鳴を上げそうになった。
急激に顔が熱い。きっと真っ赤になっている顔を見られたくなくて、手を振りかざす。
「そういうセリフは、恋人とかに言え!」
思いっきり圭吾の頭をぶん殴った。
お兄ちゃんとか呼ばれたのに、恋人って何だよ。と、心の中で自分にツッコんだ。
部室の扉が開いて、男子生徒が一人、入ってきた。
見覚えがあると思ったら、三年生の浅沼涼貴だ。
「浅沼先輩、お疲れ様です。前から気になってたレイヤーを、遥先輩に見てもらってました」
「誰かと思ったら、植野か。来てくれたんだ。去年より背が伸びた? ちょっと見違えて、一瞬わからなかったよ」
「伸びましたよ。三センチくらいですけどね」
三センチ伸びてようやく一六六センチになった。やっと身長が一六〇台後半に乗った。
ただでさえ女みたいな顔をしていると小馬鹿にされるから、身長くらい伸びてほしいものだ。
浅沼に対しては、朝陽に声を掛けられた時に一緒にいたなぁ程度の認識しかない。一年前の話だし、記憶が曖昧なのはお互い様だ。
「先輩こそ、髪、切りました? 去年は、もっと長かったですよね?」
必死に一年の頃の記憶を手繰り寄せる。
それなりに長めのウルフカットみたいな髪を緩く結んでいた、ような気がする。
「随分前にね。けど、切ったら切ったで、首筋が寒い。去年の秋頃切ったんだけどね。夏になってから切れば良かったよ」
「結構、前っすね。慣れましょうよ。なんなら、もう春ですよ」
線が細いイメージの人だから、短髪にしても美人だし、綺麗だ。
シネマトグラフの被写体には持って来いの人物だと思う。
「それで、レイヤーの謎は解けた?」
浅沼がパソコンを覗き見た。
「まだ、わかりません。だけど、これから探そうと思います」
圭吾が意気揚々と気合を表明している。
常に話し方が淡々としているから、一見すると普通に話しているだけみたいだが。本人は気合が入っている。
気が付いてしまう己が憎い。
同時に、面倒だなと思う。
「そっか。植野は、どう思う?」
「どう、と言われても。背景っぽい写真が二枚あるとしか、今はまだ」
「だよね。俺もお手上げ。けど、別に困ってないから、そのままでいいんだけどね」
浅沼がテーブルに荷物を置いて、棚に仕舞ってあるカメラを取り出した。
「部員もいなくなっちゃったし、写真部は廃部だろうから。朝陽が寄贈してくれた機材は勿体ないけど、仕方ないよね」
仕方ないとかいう割に、とても丁寧にカメラを磨いている。
「何で部員、辞めちゃったんですか?」
ちょっと聞きづらかったけど、思い切って聞いてみた。
普通に十人以上いた部員が、浅沼一人を残してやめてしまうのは、違和感がある。
一年生も圭吾だけだ。四月の部活紹介でも、写真部は積極的な勧誘をしていなかった。
浅沼と圭吾が、目を合わせた。
「あのですね。この部屋、オバケが出るんです」
三人しかいないのに、圭吾がこそっと答えた。
誰に対して顰めているのか、わからない。
「オバケ? オバケって、どんな?」
「髪の長い女性の幽霊だって。ベタだよねぇ。俺は一度も見たことないよ」
浅沼が、ケタケタと笑っている。
「そんな理由で、皆して辞めちゃったんですか?」
理由が幼稚すぎて呆れる。
「幽霊騒動と併せて、その背景レイヤーが消えないのも、朝陽の呪いだとか言われてさ。怖がって辞めちゃったんだよ」
「いや、朝陽さん、死んでないでしょ。幽霊は女性なんだし」
思わずツッコんだ。
海外に転校しただけで呪いだとか噂されるのも心外だろう。
「理由は、何でも良かったんじゃないかな。朝陽に嫌がらせしていた奴らには、居づらい場所でしかなくなったんだろうね」
「嫌がらせか。はっきり言うんですね」
「だって、酷かったから。コンクール用に作ってた作品も、レイヤー消されて壊されちゃったりしてさ。メインレイヤーが一枚消えたらどれだけ大変か、植野ならわかるでしょ?」
「それは、まぁ。見つけ出してボコボコにしても、飽き足らないですね」
通常、3Dシネマトグラフは、メインレイヤーが最低三枚は必要になる。
写真を加工して作る場合が多いから、元の写真さえ残っていれば再加工はできるのだが。最も時間と手間がかかる工程がメインレイヤーの加工だから、加工後の写真を壊されると、作業が振出しに戻る。
更に、原画を消されでもしたら、ゼロから作り直しだ。
仮に、カメラからも写真が消えていたら、撮影からやり直しになる。
シネマトグラフは素材探しから写真家が行う場合が多いので、フリー素材を使うという発想が界隈にない。世界に一つだけの写真を加工して、何枚も組み合わせて、最高の「世界に一つだけ」を作る作業だ。
季節ものの、例えば花や風景などを使用する場合も多いから、元の写真が消えたら取り返しがつかない。
「朝陽はボコボコにしないで、諦めちゃったんだよね。だから、去年の夏休みのコンクールは三位だった」
「その状況で三位って、かなりの快挙ですけどね」
それでも、榛葉朝陽の功績としては、お粗末だろう。
元の写真があったら、優勝できる実力の持ち主だ。
「馬鹿らしいよね。同じ高校の同じ部活で足の引っ張り合いなんて。くだらなすぎて、怒る気にもならない」
カメラを拭く布を持つ手に、一瞬、力が入って見えた。
「浅沼先輩は、残ったんですね」
「朝陽が残してくれたものを守りたかったから。今年は遠藤が入ってくれたけど、このままだと継続は難しいかな。顧問の先生には、何とか部員を集めて存続してくれって言われてるけど。植野も入る気、ないでしょ」
思わず口を引き結んだ。
入部の意志はない。だが、そういう言い回しをされると「ないっすね」とも言いづらい。
「入らなくていいよ。また部員が増えたら、きっと植野も朝陽と同じ目に遭う。そういうの、俺は嫌だからさ」
「その点は問題ないです。遥先輩に手を出すゴミは俺が排除しますから」
圭吾が脇に手を入れて、むんずと掴むと俺の体を持ち挙げた。
「馬鹿! やめろ、持ち上げんな! デカいからって調子乗んなよ! チビ舐めんな!」
「遥先輩は、やられたらやり返す精神の人だから、大丈夫です」
「俺を図太い馬鹿みたいに言うな!」
「強い人って言っただけですよ」
圭吾はいつでも、ああ言えばこう言うだ。
背も高いし口達者だから、余計にムカつく。
「二人、仲良しなんだね。そういえば同中なんだっけ。先輩後輩というか、兄弟みたい」
浅沼が無邪気に笑う。
兄弟じゃなくて、俺としては恋人希望なんだが。しかも、浅沼の目線は、どう考えても俺が弟だ。先輩なのに、悔しい。
「俺が守ります、お兄ちゃん」
圭吾の台詞に、悲鳴を上げそうになった。
急激に顔が熱い。きっと真っ赤になっている顔を見られたくなくて、手を振りかざす。
「そういうセリフは、恋人とかに言え!」
思いっきり圭吾の頭をぶん殴った。
お兄ちゃんとか呼ばれたのに、恋人って何だよ。と、心の中で自分にツッコんだ。

