隣にいたい片想い ーシネマトグラフに残した想いー

「簡単に返すかよ。あれは、浅沼との取引用だ」
「取引って、何だよ。こっちから木島先輩に何かするなんて、絶対にないぜ」

 夏彦にギロリと睨まれた。
 かなり怒っている顔だ。

「彬人は既に、あの女みてぇな男に狂わされてんだよ。迷惑してんだ」
「迷惑してんのは、こっちだ。浅沼先輩は、はっきり断ってんだぞ」
「そういうことじゃねぇんだよ! おかしいだろ、男が男を好きになるとかっ」

 瞬発的に、怒りが頭を突き抜けた。
 男が男を好きになって、何が悪い。
 恋愛は自由だ。簡単におかしいなんて、決めつけんな。
 そう言ってやるつもりだったのに。俺は無意識に言葉を飲み込んでいた。

 夏彦が吐いたセリフは差別的で、酷い。
 まるで後悔を滲ませた表情をして、夏彦が黙り込んだ。
 夏彦の辛そうな顔に気付いたら、何も言えなくなった。

「今時、そういう偏見は視野が狭いと思います」

 そんな俺とは違って、圭吾は至極真っ当な正論を夏彦に投げた。

「視野が狭かろうが、何だろうが! そんなのは、綺麗事だろ。現実は受け入れちゃくれねぇんだよ。少なくとも彬人の親は絶対、認めねぇ! どうにかするしか、ねぇだろ!」

 夏彦が怒鳴りつけた。
 心なしか、さっきより勢いが弱い気がする。

「親? なんで親が出てくんだよ」

 夏彦が息を吐いた。

「浅沼が階段から転倒した事件が、生徒だけで片付くわけねぇだろ。顧問と担任に親まで呼び出されて、彬人は尋問されてんだよ。彬人が浅沼に一方的な想いを押し付けたせいで起きた事故にされたんだ」
「されたっていうか、事実だからな」
「あんなん、いくらでも誤魔化せたんだよ。浅沼が彬人に、あんな風に怒鳴ったりしなきゃな」
「それって、恋人にはならないって、アレか」

『お前の恋人になるくらいなら、死んでやる。また朝陽に何かしたら、俺がお前を殺すからな』

 中々に強い言葉だと思う。
 それくらい浅沼は切羽詰まっていたし、怒り心頭だったんだろう。

「浅沼が怒鳴ってる声を、通りかかった生徒が階段下で聞いてた。そいつらが慌てて教師を呼びに行って、証言したから。彬人は話すしかなかった」
「良かったし、自業自得だろ」

 浅沼は大怪我をしていた。
 第三者が気が付いて教師を呼んだのなら、搬送が早まって良かったと思う。

「それだけ大事になったのなら、木島彬人先輩が浅沼先輩にしていた嫌がらせ全部、バレたでしょうね」

 圭吾の指摘はもっともだ。

 親まで呼ぶような事態だ。
 教師が写真部の部員に事情を聴く面談くらいしただろう。
 田村の話通りなら、その上で緘口令を敷いた。
 内容が内容だし、学校の対策としても間違っていない。

「写真部の奴らも、木島が榛葉をライバル視してたとか、浅沼に言い寄ってたとか、証言しやがったからな。何も知らねぇ、関係ねぇ奴らまで」

 当時のことを、俺は詳しく知らない。
 けれど、彬人が追い詰められていったことだけは、何となく想像がついた。

(だから夏彦は、浅沼先輩も写真部も大嫌いだし、許さねぇんだな)

 この件は、明らかに彬人が悪い。
 けれど、誰一人、木島彬人を庇う証言をしなかった。
 その事実が悔しくて、腹立たしいんだろう。
 
 深く考えていなかった彬人側の事情が、少しだけ垣間見えた。

(それでも夏彦は彬人の味方で、彬人を本気で心配してんだ)

 彬人の行動は、写真部にとっては大迷惑だ。
 けれど、夏彦の必死さは感じ取れる。

(誰も味方がいなくて、自分の全部を否定されたら。居場所がなくて、とても辛くて、痛い)

 木島彬人を擁護する気はない。だけど、夏彦一人でも味方がいて良かった。
 そう思ったら、俺の中で怒る気持ちが冷めた。

「夏彦が心配する気持ち、わからなくはねぇよ。けど、木島先輩が自分で乗り越えるしかねぇよ。どうにかしてやれるもんじゃねぇし、自分で解決しなきゃダメだろ」

 浅沼に対して暴走した想いも。してしまった過ちも。
 その結果、暴露されたセクシャリティを否定した親との関係も。
 自分で解決しなければ、きっと前に進めない。

「まずは、浅沼先輩と彬人先輩の親を、切り離して考えねぇと。根本的に別問題だ」
「偉そうに説教してくんなよ。手前ぇの意見なんざ、聴いてねぇ」
「浅沼先輩の件は、ちゃんと反省してもらわなきゃ、俺たちだって迷惑だからな。親との向き合い方は、その後だ。大変だろうけど、そん時は傍にいてやれよ。今だって夏彦は、こんなに彬人先輩を心配して、支えてんだからさ」

 夏彦が口を引き結んだ。
 わずかに見開いた目が、宙を見詰めた。

「例えば、彬人先輩が浅沼先輩を諦めた後、また男の人を好きになったらゲイだろうし。女の人を好きになったら、バイかもだし。それは今後次第っていうか。本人しか、わかんねぇよ。本人が親との向き合い方、考えるしかねぇよな」

 夏彦は顔を背けたが、俺の話をちゃんと聞いていた。

「そのためにも今は、浅沼先輩への想いにケリをつけなきゃ、ダメなんじゃねぇの。その手助けくらいなら、俺らだってしてやれるぜ」
「お前らに何が、できるってんだよ」

 夏彦が、ぽそりと呟いた。
 さっきまでの威勢のいい声とは、比べ物にならないほど小さい。

「浅沼先輩には、他に好きな人がいる。その人と両想いになってもらう」
「榛葉朝陽だろ。あの二人、付き合ってねぇのかよ」
「まだ恋人じゃねぇよ。けど、きっと恋人になるから」

 シネマトグラフが完成したら。
 木島彬人の事件の真相を、二人が知ったら。
 お互いを守るために隠していた本音を、打ち明けられる。
 想いを伝えられる。

「朝陽さんと浅沼先輩が恋人になって、浅沼先輩がロスまで朝陽さんを追いかけたら、物理的にも距離が開くだろ。だから諦めてくれって、突き付けられる」
「ある意味、残酷ですが。それが一番、効果ありそうですね」

 圭吾が言う通り、彬人にとっては、きっと残酷だ。だけど、現実だ。

「それくらいのほうが、いい。彬人の浅沼への執着を断ち切るには、それくらいしねぇと」

 意外にも夏彦が素直に同意した。
 俺は夏彦に手を伸ばした。