鍵を開けて部室に入る。
手前に撮影用の機材が並んでいる。
奥に小さな撮影スタジオと、その前に写真編集用のパソコンが置かれていた。
「へぇ、高校の部活にしては、悪くない機材、揃ってんだな」
撮影用の一眼レフも、そこまで古くない。
「前にいた先輩が寄贈していってくれたらしいです。浅沼先輩と同じ学年だったそうなんですが。転校して、今はいないそうです」
「まさか、このパソコンも? 高校生が寄贈するには、随分高額な」
「榛葉夕介って、知ってますか? 多分、先輩のお父さんと同業の方です」
「知ってるも何も、有名人じゃん。親父も一緒に仕事してたし、仲良しだよ。今は海外にいるから、一緒にってのは減ったらしいけど。今も、付き合いあるよ」
榛葉夕介といえば、日本における3Dシネマトグラフのパイオニアみたいな人だ。
この界隈で知らなかったらモグリだ。
父親の仕事仲間だから、家でも何度も会った。そのたび、指導してもらった。良い思い出だ。
「その息子さん、榛葉朝陽先輩が、置いていってくれた機材です」
「あー、朝陽さんか。だったら、この豪華な機材も納得だわ。朝陽さんが転校したの、去年の夏か」
父親が仕事の拠点をアメリカに移すから、家族で移住すると話していた。
向こうの高校が九月スタートだから、始業に合わせて転校していた。
「そうみたいですよ。俺は詳しく知らないけど、浅沼先輩なら、よく知ってるかも。遥先輩も知ってます?」
「朝陽さんとは個人的に付き合いあって、知ってるよ。海外に行ったのも知ってたけど。機材のことは知らんかった」
高校入学当時、榛葉朝陽には何度か声を掛けられた。
部活でやる気はないと断って、それきりだった。
だけど、転校前に一度だけ、それらしい誘いを受けた、気がする。
夏休み、移住前に朝陽がウチに遊びに来た時、写真部の話になった。
『俺がいなくなったら写真部は、もしかしたらなくなるかもなぁ。その時は、遥、よろしく頼むよ』
『だから、嫌だって言ってるだろ。俺は一人で作りてぇの』
『3Dシネマトグラフは、素材集めから加工、レイヤーの統合まで、全部一人でやるの、キツいだろ。チームでやったほうが、楽しいって』
『……朝陽さんとなら、作ってもいいけど。海外行っちゃうし』
『何だよ、拗ねてんの? 可愛いじゃん』
『拗ねてねーし! 羨ましいだけだし!』
3Dシネマトグラフをアートとして事業展開している最先端が、アメリカだ。
本場ともいえる市場で写真を学び作れるのは、純粋に羨ましい。
『連れて行けるなら、連れて行きたいんだけどね』
『行けるんなら行きたいけど、朝陽さんみたいに移住はできねぇよ』
『だよなぁ。俺たちまだ、子供だもんな』
自分を子供だという朝陽の横顔は、妙に大人びて見えた。
あの時、本当に連れて行きたいのは、俺じゃないんだろうと何となく思った。
きっと他に、日本に置いていきたくない相手がいたんだろう。
恋人か友人かは、知らないけど。
あの時の朝陽の「よろしく」という言葉が、じわじわと現実になりつつある気がする。
そんな今が、怖い。
(この学校の写真部も、朝陽さんがいた頃はコンテストとか常連だった。朝陽さんがいなくなって急激に廃れすぎだろ。こんな良い機材、残していってくれたのに)
これだけの機材があってスタジオがあって、ある程度のレベルの写真を作れる環境があるのに。使わないでいるのは、勿体ない。
部室内を眺めていたら、不意に圭吾と目が合った。
どこか嬉しそうに俺の顔を眺める圭吾に気が付いて、ちょっと気まずい。
(別に、触ってみたいとか思ってないし。どんな程度か試しに作ってみたいとか、思ってないし!)
誤魔化す言葉を探しながら、何故この部室に連れてこられたのかを思い出した。
「えっと、何だっけ。レイヤーが残ってるんだっけ? パソコンの中?」
「パソコンの中にも、あるんですけど……」
圭吾がパソコンを起動した。
「どのフォルダにあるのかも、最初はわからなかったから。探すのが大変だったんです」
パソコン画面には、ずらっとフォルダが並んでいる。ざっと見ても十以上ある。
その中に何枚の写真が保存されているか知らないが。
「写真なら、フォルダを開かなきゃ、どのみち見らんないじゃん」
「そうだけど、そうじゃないんです。とりあえず、話した写真は、A2ってフォルダにあったんですが……」
圭吾がフォルダ内の画像を開くと、シネマトグラフ作成ソフトが立ち上がった。
同時に、プロジェクターが起動する音がした。
手前に撮影用の機材が並んでいる。
奥に小さな撮影スタジオと、その前に写真編集用のパソコンが置かれていた。
「へぇ、高校の部活にしては、悪くない機材、揃ってんだな」
撮影用の一眼レフも、そこまで古くない。
「前にいた先輩が寄贈していってくれたらしいです。浅沼先輩と同じ学年だったそうなんですが。転校して、今はいないそうです」
「まさか、このパソコンも? 高校生が寄贈するには、随分高額な」
「榛葉夕介って、知ってますか? 多分、先輩のお父さんと同業の方です」
「知ってるも何も、有名人じゃん。親父も一緒に仕事してたし、仲良しだよ。今は海外にいるから、一緒にってのは減ったらしいけど。今も、付き合いあるよ」
榛葉夕介といえば、日本における3Dシネマトグラフのパイオニアみたいな人だ。
この界隈で知らなかったらモグリだ。
父親の仕事仲間だから、家でも何度も会った。そのたび、指導してもらった。良い思い出だ。
「その息子さん、榛葉朝陽先輩が、置いていってくれた機材です」
「あー、朝陽さんか。だったら、この豪華な機材も納得だわ。朝陽さんが転校したの、去年の夏か」
父親が仕事の拠点をアメリカに移すから、家族で移住すると話していた。
向こうの高校が九月スタートだから、始業に合わせて転校していた。
「そうみたいですよ。俺は詳しく知らないけど、浅沼先輩なら、よく知ってるかも。遥先輩も知ってます?」
「朝陽さんとは個人的に付き合いあって、知ってるよ。海外に行ったのも知ってたけど。機材のことは知らんかった」
高校入学当時、榛葉朝陽には何度か声を掛けられた。
部活でやる気はないと断って、それきりだった。
だけど、転校前に一度だけ、それらしい誘いを受けた、気がする。
夏休み、移住前に朝陽がウチに遊びに来た時、写真部の話になった。
『俺がいなくなったら写真部は、もしかしたらなくなるかもなぁ。その時は、遥、よろしく頼むよ』
『だから、嫌だって言ってるだろ。俺は一人で作りてぇの』
『3Dシネマトグラフは、素材集めから加工、レイヤーの統合まで、全部一人でやるの、キツいだろ。チームでやったほうが、楽しいって』
『……朝陽さんとなら、作ってもいいけど。海外行っちゃうし』
『何だよ、拗ねてんの? 可愛いじゃん』
『拗ねてねーし! 羨ましいだけだし!』
3Dシネマトグラフをアートとして事業展開している最先端が、アメリカだ。
本場ともいえる市場で写真を学び作れるのは、純粋に羨ましい。
『連れて行けるなら、連れて行きたいんだけどね』
『行けるんなら行きたいけど、朝陽さんみたいに移住はできねぇよ』
『だよなぁ。俺たちまだ、子供だもんな』
自分を子供だという朝陽の横顔は、妙に大人びて見えた。
あの時、本当に連れて行きたいのは、俺じゃないんだろうと何となく思った。
きっと他に、日本に置いていきたくない相手がいたんだろう。
恋人か友人かは、知らないけど。
あの時の朝陽の「よろしく」という言葉が、じわじわと現実になりつつある気がする。
そんな今が、怖い。
(この学校の写真部も、朝陽さんがいた頃はコンテストとか常連だった。朝陽さんがいなくなって急激に廃れすぎだろ。こんな良い機材、残していってくれたのに)
これだけの機材があってスタジオがあって、ある程度のレベルの写真を作れる環境があるのに。使わないでいるのは、勿体ない。
部室内を眺めていたら、不意に圭吾と目が合った。
どこか嬉しそうに俺の顔を眺める圭吾に気が付いて、ちょっと気まずい。
(別に、触ってみたいとか思ってないし。どんな程度か試しに作ってみたいとか、思ってないし!)
誤魔化す言葉を探しながら、何故この部室に連れてこられたのかを思い出した。
「えっと、何だっけ。レイヤーが残ってるんだっけ? パソコンの中?」
「パソコンの中にも、あるんですけど……」
圭吾がパソコンを起動した。
「どのフォルダにあるのかも、最初はわからなかったから。探すのが大変だったんです」
パソコン画面には、ずらっとフォルダが並んでいる。ざっと見ても十以上ある。
その中に何枚の写真が保存されているか知らないが。
「写真なら、フォルダを開かなきゃ、どのみち見らんないじゃん」
「そうだけど、そうじゃないんです。とりあえず、話した写真は、A2ってフォルダにあったんですが……」
圭吾がフォルダ内の画像を開くと、シネマトグラフ作成ソフトが立ち上がった。
同時に、プロジェクターが起動する音がした。

