「ぬんっ!」「ぬんっ!」「ぬんっ!」

 静まり返った森の中で、おっさんの掛け声のみが響く。

 俺の名はボクレン。どこにでもいる、36歳のしがないおっさんだ。

 今はただ、ひたすらに木刀を振っている。

 なんでこんな森で素振りなんかやっているかって?
 俺の家がこの森の中にあるからだ。

 森の名前は、たしかビーストフォレスト? いや、魔の森? だっけか。だが仰々しい名前の割にたいした魔物はいない。おっさんの俺ですら一撃で倒せるやつばかりだからな。

 そして素振りはいつもの日課だ。
 オヤジが毎日やれと課した俺の鍛錬のひとつ。

 オヤジは俺が孤児だったのを拾って育ててくれた。「東の果ての国」のブシとかいう騎士だったらしいが、わけあって王国のこの森に流れついたらしい。詳しい事は言わないので俺も聞いていない。

 人と関わるのが嫌いだったのか、こんな辺境の森にポツンと家を構えていた。

 そんな唯一の肉親であるオヤジも、数年前に亡くなってしまった。

 ―――と、そんなことを思い出しつつも、木刀を振り続けているとなにかの音が微かに俺の耳に入ってきた。

 女の子の悲鳴のような? 

 気配を感じた方角へ足を運ぶと、1人の少女が魔物に襲われていた。

 「グルルルル」
 「ギュロオオ」

 犬型か……その名の通り犬のような魔物で、すばしっこいのが特徴だ。
 少女は一本の大木を背に魔物に取り囲まれており、魔物たちの攻撃を光の壁のようなもので防いでいたが……こりゃいかんな。


 俺は大きく息を吸い込み―――


 「――――――いぬぅううううう!!」


 森が揺れんばかりの大声を魔物たちに浴びせる。

 「ギャルウウウ!」
 「グルアァアア!」

 一瞬ビクりと怯んだ魔物たちだったが、牙をむき出しに吠え返してきた。
 数匹程度ならさっきの声で逃げ出すんだが……群れてるから強気になってやがる。

 だが、やつらの注意は俺に向いたぞ。

 魔物たちが唸り声をあげて、俺に突進してきた。
 俺は一歩も動かず、ストーンと木刀を振りおろす。いつも振っている素振りのごとく。

 「ぬんっ!」

 シュッという空気を裂く音とともに――――――木刀が唸りを上げた。

 「ギャンっ!」

 先頭の魔物がひと声漏らして、グシャっという音とともに地面に叩きつけられた。

 二体、三体……次々に犬型魔物が地面に打ちつけられる。
 にしてもちと多いな……もうちょい速度をあげるか。

 「ぬんっ!」「ぬんっ!」「ぬんっ!」

 ちょっと速度をあげただけで、呻き声すらあげられず沈んでいく魔物たち。
 呼吸ひとつ乱さず、俺は木刀をいつもどおり振るっていく。

 「ほい、これで最後っと」

 俺が木刀の埃を払うと、周囲は静寂に包まれていた。
 おっさんの足元には、土煙と崩れた魔物の残骸が転がっている。

 「大丈夫か?」

 俺は少女に声をかけたが、反応がない。

 ここら辺では見ない顔だな。

 小柄な体に、さらさらの銀髪が肩に流れ、その奥に見える信じられないほど整った顔立ち。―――これがいわゆる美少女というやつか……。
 服装はかわいらしい町娘と言う表現がぴったりなもの。
 ちなみに年齢には似つかわしくほどの大きな山が2つ、微かに揺れている。

 綺麗な銀髪の奥から、放心したような表情を覗かせる美少女。

 「お~~い。もう魔物はいないぞ?」

 再び声をかけると、その綺麗な翡翠色の瞳にようやく光が戻ってきた。

 「ふあぁ……ぼ、木刀で魔物を……ふあぁぁ」

 お、口をひらいたか。だが、まだ混乱しているようだ。
 呼吸も激しく乱れている。とりあえず落ち着かせよう。

 えっと……とりあえずこの光の壁みたいなのを何とかするか。
 見たところ、先ほどの魔物たちの襲撃で所々ヒビが入っている。

 良さげな裂けめに指を入れてと……

 「よっと……!」

 パリっ……

 お、簡単に剥がせるぞ。それそれ~~なんだろう楽しい、なんか癖になりそうこれ。
 俺が機嫌よく壁を剥がしていると、少女の綺麗な瞳がこちらに向いた。

 「ふあぁ! け、【結界】を手でバリバリしてるぅ!?」

 「けっかい? あ、この壁のことか。すげえなこれ魔法かな?」

 「は、はい……」

 「まあ取り敢えずこれ飲んで」

 手渡した水筒を口につけ、ゴクゴクと勢いよく飲みはじめる少女。
 俺は傍の石に腰をおろし、彼女が落ち着くのをゆっくりと待つ。

 「ふぅ……」

 落ち着いたのだろうか、水筒を口から離した少女が俺に視線を向けると、ハッとしたような顔になった。

 「わっ……! 私っ……お、お礼、言いそびれてました……! ごめんなさいっ……えっと、改めて……助けていただき……ありがひょう、ございますぅ……!」

 銀髪を揺らしながら、あわあわと頭を下げる美少女。
 なにこのかわいい生き物。

 「ふむ、無事で良かったな」
 「……っ! あ、わたし、セシリアと申します……! 命を救って頂いたのに、失礼なことをしてしまって……」
 「気にするな、俺はボクレンだ。まあ、普通の女の子が魔物に取り囲まれたら気も動転するだろう」

 「はい、もうダメかと思って、それでも必死に【結界】を張りながらなにかないか考えてたんです。でもでもでも……いきなりボクレンさんが、木刀で魔物をボコボコにしはじめたあたりから、いっきに理解が追いつかなくなって……恐怖とよく分からないがごちゃごちゃになって……それでそれで……私」

 なんかすごい勢いで話し出したぞ、この子。

 「ハハッ、まあよくある光景だよ」

 「ええぇ……よくあるって……」

 「ああ、犬魔物は数は多いが、見ての通りたいしたことはない」
 「で、でも……たしかあれはアイアンウルフ……ブラックウルフの上位種のはず……教科書で見た記憶が……しかもたった一振りですべて倒すなんて」
 「まあ俺に鍛錬をつけてくれたオヤジの得意な戦法だったんだよ。先手必勝ってやつだ」
 「凄いですね……それを実際にやっちゃうなんて」
 「いやいや、さすがに俺でもこの程度の魔物には遅れは取らんよ。これはちまたの冒険者なら普通のことだ」
 「えと、アイアンウルフの群れを木刀で倒して、【結界】を卵みたいにバリバリ割っている時点で普通ではない気がしますけど……」

 「そうか?」
 「はい! ボクレンさんは凄いですよ」

 なんだろうかこの子、やけにおっさんに優しいじゃないの。
 まああれだ、セシリアはまだ若い。俺だって、町中の一般人よりは強いさ。オヤジに拾われてからは鍛錬の日々だったからな。
 だがそれは他の冒険者や騎士たちも同じこと。この世には俺なんかより、とんでもないやつがゴロゴロいるってことがわかってないんだろう。

 たまたま最初に見たのが、俺だったというだけだ。

 まあこれ以上説教じみたことを言うのもなんだしな。
 美少女からのお褒めの言葉、ありがたく頂いておこう。

 「ところでセシリアは、なんでこんな森にいるんだ?」

 たいしたことないとはいえ、魔物もそこそこ出るし。少女が1人で来る場所とは思えん。
 森の近くにミニスという小さな町があるが。そこから来たのだろうか。

 「それはですね―――」

 セシリアの話によれば、彼女は学生さんで今は春休みだそうだ。
 学校か、懐かしいな。
 俺も近隣の町で学校には通った。オヤジは人嫌いだったが、俺に対してはむしろ積極的に人と関わるようにしてくれた。

 ちなみにセシリアは学校に入れる歳なのだなぁと何気に言ったら。
 「私、こう見えても16歳ですからねっ!」と怒られた。
 たしかに……ちっこくて可愛いのだが、2つの膨らみはもはや大人顔負けのデカさだしな。
 おっさんの失言だったよ。

 っと、話が脱線してしまったが、セシリアはある薬草を取りに森に入ったらしい。
 ミニスの町に寄った際に、目の前で子供が高熱を出してぶっ倒れたのだそうだ。

 「ああ、それは魔蚊に噛まれたかもしれんな」

 セシリアはコクリと頷く。
 魔蚊とは蚊の魔物で、とても小さい。まれにしか出ないのだが、噛まれると急な高熱でぶっ倒れる。
 体力の少ない子供だと死の可能性もある。

 「だが、ミニスならば解毒ポーションがあるはずだが」
 「それが……ポーションはちょうど在庫が尽きてまして。入荷が3日後って」

 ああ、あの田舎町のボロ道具屋だと特殊なポーションはそこまで予備はないだろうしな。

 「あの子、まったく熱が下がらなくて……! そんな時に薬草の事を思い出して、その薬草ならあの子を救えるかもって」

 翡翠色の瞳が、じっと何かを訴えるように輝く。

 「私は状態異常を回復させる魔法がまだ使えないし、でもいてもたってもいられなくて……だから森に薬草を取りに来たんです」

 その瞳は、理屈ではなく覚悟を秘めているようにみえた。
 薬草があれば子供を救える―――そう思い、危険を承知でひとり森に入った。

 そうか、この子は他人のために動ける子なんだな。

 「にしてもセシリアは物知りなんだな。そんな薬草聞いたこともないよ」
 「その薬草なら、授業でも習いましたし。主な群生地のひとつがこの森でしたから」

 凄いな、俺もそんな薬草があったとは知らんかったよ。

 「でも……ようやく見つけたと思ったら魔物に囲まれて、必死に逃げていたら薬草もどこかに落としちゃって」

 しゅんとなるセシリア。綺麗な銀髪が力なく揺れる。

 「こんな事態だから、一人で何とか出来るなんて、ビーストフォレストなんて魔の森に私ごときが入るなんて、思慮不足にもほどがありました。やっぱり解毒ポーションを待つべきだったんです……」

 「つまりセシリアはうっかりさん、ってことか?」
 「ちゃかさないでください……でも……そうです。いつもそう。ダメダメです」

 セシリアは少しばかり頬を膨らませて、しょんぼりとうなだれた。

 「ダメな事があるかよ。さっきの壁みたいな魔法だって誰にでもできるもんじゃないだろ」
 「……っ! あれだって不完全です。強度も持続性もダメダメです! しかも自分の周りだけなんて……本来は多くの人を、町を守るべき魔法なのに。あんなんじゃ……」

 この子は気持ちいいぐらいまっすぐな性格だな。
 そしてそんな子は、クソ真面目に深く悩むことが多い。強くなりたいと願っているのに、空回りばかり。そんな自分に嫌気がさしているのだろう。そして身近な何かが見えなくなる。

 まあ、セシリアはこれからも色々学んでいくだろうし、悩むことは悪い事じゃないけどな。

 どれ……

 「うっかりさん、自分の手を良く見てみろよ」

 「あ……」

 セシリアがギュッと握っていたもの。

 それは薬草だった。

 「ちょっ! 気付いていたんですか!」

 「だから聞いただろ。うっかりさんなのか、って」

 「むぅうう……」

 ぷくっと頬を膨らまして抗議するセシリア。なんだこれ、かわいすぎる。


 「な、どんなにヤバくてもそいつを手離さなかったじゃないか。見ず知らずの他人のためにそこまで出来るやつなんてそうはいない。
 ―――たいしたもんだよ、セシリアは」


 「……はい」

 納得と安堵が入り混じったような、どこかほっとした顔で、セシリアは小さくうなずいた。

 「よし、じゃあ町に向かうか。そいつを一刻も早く届けてやらんとな」
 「はい、ボクレンさん!(こ、この人なら……学園で……もしかしたら)」

 「ん? なんか言ったか?」
 「いえっ、なんでもありません! さあ、急ぎましょう!」


 ぱっと表情を明るくしたセシリアの声が、森に元気よく響いた。