あの日以来、大河と宗次郎は家にも帰らなくなってしまった。時々送られてくるメールと、宿泊先のホテルからされている動画の生配信でしか二人の姿を見ることができない。
二人が帰ってこないマンションにいても仕方がないので、夏目は自分のアパートに戻ることにした。
住み慣れたアパートは二人が住むタワーマンションと違い小さくて古めかしい。エレベーターだってついていない。重たい足取りで階段を登りドアを開ける。
久しぶりに帰ってきた自分の家は生ぬるい空気に包まれて、シーンと静まり返っていた。
「ただいま」
小さな声で呟きリビングに向かう。狭い廊下の先にはリビングがあって、そこにはたくさんのモトヤガが自分の帰りを待ってくれていた。
可愛らしいぬいぐるみにポスター。ペンライトだってあるし、アクリルスタンドもある。
どれも夏目にしてみたら宝物だし、見ているだけで元気が湧いてくる。夏目の部屋にいる二人はキラキラとした笑顔で溢れていた。
「大河、宗次郎、元気にしてるかな?」
壁に貼ってあるポスターにそっと触れる。
夏目は不思議でならない。モトヤガはこうやっていつも遠くから見ていることしかできなかった。
でも今は違う。ポスターからは二人の温もりは伝わってこないけど、今の夏目は二人の体温や香りを知っているのだ。
あのモトヤガが手の届くところにいる……夢のように感じるけど、夢なんかじゃない。
ベッドに倒れ込んでスマホの電源を入れる。つい先程から開始されている生配信が気になって仕方がなかった。
「あ、大河と宗次郎だ……」
画面の中にはいつものように元気に笑っている二人がいる。
コメント欄を見れば『モトヤガ可愛い』『推しが尊い』『大好き』といった熱いメッセージが目で追うことができないほどの速さで流れていく。
惜しみない投げ銭に、止むことのないコメント。どれだけ彼らがファンに愛されているのかが伝わってきた。
そして、少し前までは自分もこのコメントを送るファンの一人だった。読まれることなんてないとわかっていたけど、毎日毎日飽きることなく送り続けた。
いつか、自分の存在を知ってもらえたら……そんな淡い期待があったのかもしれない。
「大河も宗次郎もすごく疲れた顔をしている」
以前だったら絶対気付かなかったけど、今の夏目にはわかってしまった。
ご飯はきちんと食べているだろうか? ちゃんと寝る時間はあるのだろうか? どんどん心配になってきてしまう。
それと同時に、疲れた顔など一切見せず無邪気に笑う二人を見ているうちに胸が熱くなった。
「プロって凄い……」
夏目はぬいぐるみを抱き締めてそっと顔を埋めた。
****
「暑い……あぁ、ここは涼しい。生き返る……」
日差しが照り付ける教室があまりにも暑くて、逃げるように職員室へと駆け込む。強い西日に肌がジリジリと焼けていく感覚。
今日都内は初の三十度を記録している。エアコンの効いた職員室の中はまるで天国のようで、ホッと息をついた。
大河と宗次郎が転校してきてから二カ月が経とうとしている。
転校早々舞台が始まってしまったから、まともに通学もできていない状況ではあるけど、校内に二人の姿が見当たらないのは寂しい。季節は春から初夏に移り変わり、もうそろそろ暑い夏がやってくる。
「あ、八神と本宮だ」
「本当だ! 今日が千秋楽か……よく頑張りましたね」
「全くですよ。大変だったろうに」
職員室にいる教師達が、テレビを見ながら雑談している。
夏目もテレビに視線を移せば、大河と宗次郎が映し出されていた。報道番組で今回の舞台の特集が組まれているのだが、夏目がずっと楽しみにしていた番組だった。
あぁ、録画するのを忘れてた……推しが出演する番組を録画し損ねてしまったなんて、ファン失格だ。夏目はガッカリ肩を落とした。
テレビにはカーテンコールで舞台上に上がり、割れんばかりの喝采の中、客席に向かい手を振る大河と宗次郎の姿があった。
――あぁ、これだ……。
画面越しではあるもののその姿を見た瞬間、全身にゾクゾクッと鳥肌がたつ。夏目の瞳孔は開かれ、大河と宗次郎に釘付けになってしまった。
舞台の上でキラキラと輝く二人。演出家や大勢の俳優が舞台上にいるのに、一瞬で二人がどこにいるのかがわかってしまう。
なぜなら、彼等が纏っているオーラは他の人達とは違うのだ。今まで何度もこの光景を目にしてきたのに、この胸の高鳴りは変わることなんてない。
「やっぱり、俺の推し達は最高だ」
抱えていたファイルをギュッと抱き締める。
「よく頑張ったね」
夏目は目頭が熱くなるのを感じながら、心の中で拍手を送った。
そんな感動に浸っていたとき、スマホが着信を知らせる。「こんな時間に誰だろう」とスマホを取り出し画面を確認すると、大河からのメールだった。
『帰ってきたのに夏目がいないー!!』
その文面を見て思わず目を見開いてしまう。
今テレビに映し出されている八神大河は、クールという言葉がよく似合う王子様のような佇まいだ。微笑むけれど宗次郎のように愛想はよくない。
クールビューティー……大河の容姿を表現するときによく使われている言葉だった。
『夏目がいない! 早く帰ってきてよ!』
スマホの向こう側で子供みたいに駄々を捏ねる大河の姿が目に浮かぶようだ。クールビューティーが聞いて呆れてしまう。
『もうすぐ帰ります。少しだけ待っていてください』
手短に返信をしてから、残りの仕事を終わらせてしまおうと大きく伸びをした。
マンションに帰る前に行きつけのスーパーに立ち寄る。今日帰ってくるということは事前に連絡があったから知ってはいた。
だから昨日は久しぶりに二人のマンションに戻り、軽く掃除をしておいたのだ。
しかし、帰宅時間が予想していたよりも大分早かった。きっと今頃、大河が頬を膨らませて拗ねていることだろう。
「大河、唐揚げで機嫌直してくれるかな」
少しだけ不安になりながらマンションのエレベーターに飛び乗った。
「ごめんね、遅くなっちゃった! わッ!」
扉を開けた瞬間勢いよく何かがぶつかってくる。その衝撃に吹き飛ばされそうになってしまった。
必死に踏ん張って耐えながら冷静に状況を分析してみると、何かがぶつかってきたのではなく、どうやら大河が飛びついてきたようだ。高身長で筋肉質な大河が急に抱きついてくれば、華奢な夏目はひとたまりもない。
それでもずっと頑張ってきたことを思えば、邪険にあしらうことなんてできるはずがない。ギュッと抱きついてくる大河の体を必死に受け止めた。
「なんで俺が帰ってきたのに、ここにいないんだよ」
「ご、ごめんね。まさかこんなに早く帰ってくるとは思ってなくて……」
「許さない、すげぇ寂しかったんだからな」
「だからごめんなさいって……ヒャッ!」
突然首筋に歯をたてられ夏目が悲鳴を上げる。
いくら抵抗しても噛むことをやめようとしないあたり、大河はかなりご機嫌斜めのようだ。
「ちょっと、八神君離れて!」
「絶対嫌だ」
「いいから離れて!!」
「絶対に嫌だ!!」
「こら、大河。先生が困っているだろう? 離れなよ」
そんな押し問答をしていれば、宗次郎がやってきて仲裁に入ってくれる。大河を窘めながら夏目から大河を引き離してくれた。
「先生、お久しぶりです。長いこと留守にしてすみませんでした」
「あ、いえ……本宮君もお疲れ様でした」
「今回は先生が見に来てくれなかったから、本当に残念でした。次回は必ず見にきてくださいね」
「すみません。次回は必ず行きますから」
自分に向かい頭を下げる夏目に「とんでもない。謝らないでください」と笑う宗次郎。
子供のように駄々を捏ねる大河に比べると、ひどく大人びて見えた。
実は今回の公演を見に来てほしいと、宗次郎からチケットを譲ってもらっていたのだ。
しかし、教師と生徒の立場的に……しかも、二人と同居生活をしている夏目が舞台を見にいくことに少なからず抵抗があった。
どうしても、この関係を知られてしまったら……という不安を拭い去ることができずに「仕事が忙しいから」と断ったのだった。
「夏目、早く飯にしによう。久しぶりに手作りの料理が食べたい」
「うん。お腹空いてるでしょう? 今作るからね」
「今日は何?」
「唐揚げだよ。昨日から仕込んであるんだから」
夏目の言葉に大河が無邪気に笑う。あんなに静かだったマンションが、二人がいるだけでこんなにも賑わいを見せる。それがとても嬉しかった。
打って変わって鼻歌を歌いながらリビングへと向かう大河を追いかけようとした夏目を、「先生、ちょっと待ってください」と今度は宗次郎が引き留めた。
なんだ、と振り返れば真っ赤な顔をして俯いている宗次郎がいる。こんな表情をした宗次郎を夏目は見たことがなかったから、驚いてしまった。
「本宮君、どうしたの?」
慌てて声をかければ、いつも余裕に満ち溢れている宗次郎が余裕のない顔で自分を見つめている。涼しげな目元が涙でユラユラと揺れているような気がした。
「あの、先生」
「どうした?」
そのただ事ではない雰囲気に思わず息を呑む。
「寂しかったのは大河だけじゃない。俺も、俺だって、先生に会えなくて寂しかったです」
「え……?」
いつもとは違う「先生」という声色に戸惑いを隠しきれない。その声は妙に艶っぽくて欲を含んでいるように感じられる。
熱っぽさを含んだ視線に夏目は動くことすらできなかった。
「先生、会いたかった……」
呆然と立ち尽くしていれば突然抱き寄せられる。スンッと鼻を鳴らしながら甘えるように頬ずりをしてくる宗次郎。
こんな風に甘えてくることなんてなかったから、戸惑いを隠せない。背中や腰を這い回る手をどうしたらいいのかわからず、全身に力を込めた。
「突然すみません、こんなことして……。料理手伝いますね」
そう言いながら夏目の体を離し、ギュッと握り締めていたエコバッグを持ってくれる。
「行きましょう」
「あ、はい」
いつものように微笑む宗次郎に動揺しているのを気付かれたくなくて、夏目は無理して平然を装う。それなのに心臓が痛いくらい高鳴っていた。
****
「あー、疲れた」
大きく息を吐きながら布団に座った。
久しぶりにマンションの寝室の天井を見上げていると、やっぱりこれは夢なのか……と感じる。
つい先程まで目の前にいて「美味しい」と自分が作った唐揚げを食べていた青年二人が、超人気俳優であり、自分の推しということが未だに不思議でならないのだ。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。
推しが自分の目の前にいる。
そして今日は宗次郎に抱き締められた。有耶無耶になってしまったけど、大河と多分キスもしている……二人との出来事を思い出すだけで、頬がカァッと熱くなった。
――推しとキス……。
改めて考えると、布団の上を転げ回ってしまうほど恥ずかしい。なんとか冷静さを取り戻そうと深呼吸を繰り返した。
もう寝てしまおうと電気を切って布団に潜りこむ。明日は月曜日だけど開校記念日で休校だから、少しだけ朝寝坊をしようと決めていた。
二人も明日は本当に久しぶりのオフらしいしいから、ゆっくり体を休めさせてあげたかったのだ。
「あー、眠れない」
いくら目を閉じても眠れそうになんてない。久しぶりに大河と宗次郎に会えた嬉しさは想像以上で……なかなか体の火照りが収まってくれない。
あんな大舞台を見事千秋楽まで勤め上げた二人を見るだけで胸が熱くなる。「よくやったね!」そう頭を撫でてやりたい衝動を必死に堪えていたのだ。
「駄目だ! 眠れない」
こんな時はアルコールに頼ろうと、買ってきておいたビールを取りにキッチンへ向かう。物音をたてないようにと静かに歩いていると、リビングにボンヤリと明かりがついていた。
まだ誰かが起きているのだろうか? そっと覗き込んでみれば大河がソファーに座っていた。
何をするのでもなく、タワーマンションから眺望できる景色を呆然と眺めている。一面ガラス張りのリビングから見ることのできる夜景は、言葉を失うほど綺麗だ。初めて見たときは思わず歓声を上げてしまったほどだ。
でも、そんな夜景よりも寂しそうに窓の外を眺めている大河の方が、よほど綺麗に夏目の目には映った。
あんなに子供みたいに自由気ままな大河が、今はとても儚げに見える。
どうしたのだろう……夏目はそっと大河が座っているソファーの隣に腰を下ろした。
「どうしたんですか? もしかして眠れない?」
「あ、夏目か……びっくりした」
突然現れた夏目にびっくりしたのか、大河が目を丸くしている。その慌てようが可笑しくて思わず口角が上がってしまった。
「夏目は? 眠れないの?」
「あー、うん。ちょっと……」
未成年相手に寝酒を持ちに来た、と言い出せず思わず言葉を濁らせてしまう。そんな夏目を不思議そうに見つめたあと、大河が夏目の肩に寄りかかってきた。
少しだけびっくりしたが、まだ拗ねたような顔をしているから好きにさせてやる。本当に甘えん坊だな、と大きく息を吐いた。
「観客の拍手の音が耳から離れないし、スポットライトがずっと当たっている気がして、目を閉じても落ち着かないんだ」
「え?」
「千秋楽のあと、いつもこうなる。興奮しているだけかもしれないけど……どうしていいかわかんなくなって、しんどい……」
スリスリと夏目の肩に頬ずりをする大河は子供のようだ。
「俺の父親は弁護士で、母親は有名なデザイナーなんだ」
「へぇ、そうなんですか? 知らなかった」
長年大河の推しをしてきたが、家族の話を聞いたのは初めてだった。
「俺の兄貴は出来が良くて、有名な私立中学に進学した。成績も学年トップクラスで生徒会長。部活では部長を務めて何でもできる完璧な男だった」
「それは凄いね」
大河に兄弟がいるという事実も知らなかったから驚きを隠しきれない。
大河のことならなんでも知っているような気になっていたけど、何も知らなかったのだと寂しさも感じた。
「それなのに俺は何をやっても平平凡凡。とても弁護士になんてなれないし、デザイナーとしての才能もない。何をやっても優秀な兄貴といつも比べられてた」
大河が俯けば長い睫毛が影を作る。その寂しげな表情さえも綺麗で……不謹慎だと思いつつも視線を奪われてしまう。
「そんな俺に、母親が今の劇団のオーディションを受けさせたんだ。あんなデカい劇団のオーディションなんか合格するはずなんかないって軽く了承したら、奇跡的に一発で合格しちまった。それから先はとんとん拍子でここまできた」
「凄いじゃないですか? あの劇団に合格できる人なんて、本当に一握りの人間でしょう?」
「確かに凄いかもしれないけど、俺にとったら、不幸の始まりでもあったのかもしれない」
「不幸の、始まり? なんで? 劇団の花鳥風月にまでなれたのに……」
「花鳥風月、か……。だって、あの劇団に合格した瞬間から、俺は母親のお気に入りのアクセサリーになったんだもん」
「アクセサリー?」
「そう」
寂しそうに笑う大河を見ていると心が張り裂けさそうになる。全ての才能に恵まれていたように見えていた大河が、こんなことを思って生きていたなんて……。
それは夏目が全く想像もしていなかったことだった。
「そのオーディションを宗次郎も受けていて俺達は出会った。でも俺は、アイドルとか俳優なんて全く向いてない。俺は宗次郎みたいに愛想もよくないし、世渡りも下手だ。いつの間にかモトヤガなんて愛称がつけられて、常にセットで行動するようになった。でも宗次郎は優しいから、気の回らない俺をいつもフォローしてくれた。だから今までやってこれたんだよ。本当に凄いのは宗次郎かもしれない」
「そっか……」
なんて答えたらいいのかわからなくて思わず俯く。自分は大河より十歳も年上なんだから、もっと気の利いた言葉が思い浮かべばいいのに……そんな自分が歯痒くて仕方がない。
「俺はクールビューティーなんて形容詞をつけられて、知らないうちに周囲の大人達が作りあげた八神大河っていう俳優を演じることを求められた。本来の自分ならこんな発言をするだろうな、って場面でも、八神大河ならどう答えるんだろう……っていちいち考えなくちゃならない。そうやって八神大河を演じていることも楽しかったけど、時々凄く空しくなった」
ゆっくりと言葉を紡ぐ大河があまりにも寂しそうな顔をするから、体の向きを変えて真正面から抱き締めてやる。
あんなに素晴らしい大舞台に立ち大役を演じる大河だけれど、まだ十六歳の子供なのだと、改めて感じた。それと同時に守ってやりたいとも思ってしまう。
「夏目、俺のプロフィール欄見たことある? 好きな食べ物は『シュークリーム』になってんの。でも本当に俺が好きなのは『梅干し』なんだ。しわしわの梅干しをご飯の上に乗っけて食べるのがめちゃくちゃ好き。あと趣味は『バスケット』になってる。確かに小、中ってバスケットやっていたけど別に好きでやっていたわけじゃない。これもバスケットをしている子はかっこいいっていう母親の趣味だし……」
「ふふっ。八神君は梅干しが好きなんだね。意外だなぁ」
「そう。マネージャーが梅干しとシュークリームは似てるからって。でも梅干しが好きな俺はファンから求められてないんだよ。ファンの人からたくさんシュークリームを差し入れしてもらうんだけど、俺が本当に欲しいものをくれる人なんていない……。時々それが寂しくなる」
「それは寂しいね。梅干しだって美味しいのに……」
「うん」
ギュッと自分にしがみついてくる大河をそっと抱き締める。泣いている子供をあやすかのように優しく頭を撫でてやった。
「でも、夏目の前では素の自分でいられるんだ」
「え?」
「夏目の前では本当の自分を曝け出せる。こうやって我儘言って甘えても許してくれるし、幻滅したりしない。俺の全部を受け入れてくれる。だから、すげぇ楽……」
目を細めながらスリスリと頬を擦り寄せてくる姿が、今度は大きな犬にも見えてくる。「可愛い」そう素直にそう感じる夏目がいた。
「だから夏目が好き」
「はっ?」
「俺は夏目が好き……」
その言葉を聞いた瞬間、夏目の心臓がバクンと飛び跳ねる。
大河はあまりにも自然に「好き」と言ったけど、それは一体どういう意味なのだろうか?
教師としての自分が好きなのか?
友人として?
それとも恋愛として……?
頭が混乱して動悸がしてきた。
「初めて夏目が俺達のマンションに来た夜、ワンナイトの相手を探していたって言ったけど、あんなん嘘だよ」
「え? 嘘ってどういうことですか?」
「宗次郎はさ、よく週刊誌とかで熱愛のスクープを報じられているけど、あれは女のほうがしつこく宗次郎のことを誘ってくるんだよ。それで世間体のために仕方なく飯に付き合っているだけ。あいつはワンナイトとかで遊ぶような奴じゃない。恋愛に関しても真面目なんだ。ただ、女ったらしっていうイメージが宗次郎には似合うから否定も肯定もしないだけ。あいつだって本宮宗次郎を演じているんだよ」
「そっか……」
「それは俺も同じだよ。俺なんて超恋愛に奥手の童貞だし」
「……童貞……?」
「そう。だから、この前夏目としたキスが初めてだったし」
「お、覚えてるんですか?」
「当り前じゃん。俺がしたくてしたんだから」
体が一瞬で熱を持ちカァッと火照り出す。心臓がやかましいくらいに鳴り響き、頭が真っ白になってしまう。
――大河があのキスを覚えていた。しかも、推しのファーストキスを俺が奪ってしまったんだ。推しのファーストキスを……。
そう思えば、罪悪感と嬉しさが一気に津波のように押し寄せてくる。奥手な夏目は恋愛の経験が少ない。だからこんな時にはどうしたらいいのかがわからず、頭が混乱してきてしまった。
「ねぇ、もう一回キスしてもいい?」
「ちょっと、それはまずいよ」
「なんで?」
「だから前にも言ったと思うけど、俺は教師で君は生徒だ。それに大人が未成年に手を出したら犯罪になって、俺は逮捕されちゃうの!」
「同意の元なんだから別にいいだろう?」
「絶対に駄目! 俺は同意なんてしてません! そんなことをするなら離れてください!」
両腕を突っぱねて大河から逃げ出そうと試みるが、力で敵う相手ではない。
頬を両手で包まれ顔を上げさせられてしまった夏目は、首を振り最後の抵抗を試みる。それでも簡単に解放などしてもらえなかった。
「夏目が好き」
「…………!?」
ギュッと目を瞑ればフワリと唇と唇が重なる。チュッと軽く吸われてから、様子を窺うように顔を覗き込まれる。涙で滲む視線の先には物悲しげに微笑む大河がいた。
「大好き」
もう一度唇を奪われて優しく啄まれる。
「あ、はぁ……駄目だって……」
「なにそれ、エッロ」
甘い吐息を吐きながら懇願すれば、今度は悪戯っ子のように笑う。その笑顔が眩し過ぎて目の前がクラクラした。
――俺の推しはやっぱりかっこいい……。
思考が少しずつ遠退いて、大河とのキスに翻弄されてしまった。



