その場にはたくさんの役者がいたはずなのに、舞台上を照らす眩い光は明らかにその二人だけを照らしていた。


 彼らがステージを歩くだけで吸い寄せられるように視線を奪われ、凛とした声を発する度に言葉を失ってしまう。瞳孔は開ききって、髪の毛がゾワゾワッと逆立つ感覚。呼吸をすることさえ忘れてしまった。


「すごい……」


 全身をビリビリと電流が流れて、昂った感情が涙となって溢れ出す。


 千二百席と割と大きな劇場は、空席がないほどの満員御礼状態だ。観客のお目当てである俳優は、きっと自分と同じだろう。
 公務員の給料では高く感じたが、奮発してSS席にしてよかった。この席からは彼らの額を流れる汗まで見ることができる。


「――もしかしたら手が届くかも……」


 キラキラと輝く彼らに手を伸ばそうとしたけど、平凡な自分にそんなことが叶うはずがないと慌ててその手を引っ込めた。


 うっかり忘れてしまうところだった。
 彼らは人気俳優であるにも関わらず、自分は平凡すぎる公務員。一生接点など持てるはずなどない高嶺の花。
 その花は、エベレストを通り越し、火星に咲いている花なのかもしれない。


 だから決して触れることはできない。触れたいと望んではいけないのだ。


 公演が終了すると観客は一斉に立ち上がり、頬を紅潮させながら割れんばかりの拍手を送っている。
 ハンカチで涙を拭く者、役者に向かい手を振る者。間違いなくそこは、感動という一体感に包まれていた。


 その熱気に感化され、ブルブルと大きく武者震いをする。公演中ずっと握り締めていた拳は汗ばみ、痺れて感覚がなくなっているほどだ。


「今日も最高だったよ。八神大河(やがみたいが)君、本宮宗次郎(もとみやそうじろう)君」


 吉澤夏目(よしざわなつめ)は両腕にぬいぐるみを抱き締めながら、舞台中央で観客に向かって手を振る青年たちに熱い視線を送り続けた。



「あー! 今日も俺の推し達は最高だった!」


 夏目はぬいぐるみをやさしくリュックサックの中にしまう。
 推し活に、推しのぬいぐるみは必須といっていいほど大切なものだ。外食、旅行とどこにでも連れ歩き、記念写真を撮る。もちろん、寝るときだって一緒だ。


 今回の舞台鑑賞に行くにあたり、推したちが着ている衣装を真似て手作りしたのは正解だった。
 先程まで推し達が纏っていた衣装と同じ衣装を着たぬいぐるみを、ポスターの前に座らせて写真を撮る。


「めっちゃ可愛い」


 ぽつり呟いて、ぬいぐるみの入ったリュックを背負いグッズが販売されているショップへと向かった。
 今回限定のアクリルスタンドにクリアファイル。ポスターにパンフレット。それに奮発してマグカップにタオルまで買ってしまった。


 安月給の夏目にしたら大出費だが、推し活をするためには必要経費である。『推しを押す』のが、ファンの『推し事(お仕事) 』なのだ。その必要経費のために汗水たらして働いているといっても過言ではない。


「ありがとうございました」
 店員から大きな袋いっぱいに詰められた商品を受け取った夏目は、思わず「ふふっ」と口角が上がってしまう。クリスマスにプレゼントをもらったときみたいにワクワクする。
 これを帰宅してから開封するのがまた楽しいのだ……。


 ウキウキとした足取りで会場の出口に向かい、回転扉をくぐる前に大きく深呼吸する。


「ここで一旦、現実(リアル)に戻ろう」


 そう自分に言い聞かせる。
 ウキウキしたままスキップで街を歩けば、完全に痛い男だと思われてしまう。自分がオタクであり、追っかけをしていることは誰にも知られたくない。


 どうしても上がってしまう口角を無理矢理下げるために両頬をパシンと叩く。
「よし、行くぞ」
 夏目はキュッと唇を噛み締めて、最寄りの駅に向かったのだった。