「うぉえっ」
教室の窓に夕日の差し込む放課後。
腹の底に違和感を覚える。
喉まで込み上げてくるものを吐き出すために、蒼井は手を口に突っ込んだ。
こういう時、刈り上げた短髪は邪魔にならなくていい。
普段は凛々しく整った顔が、苦しさのせいで崩れる。
口の中から出てきた黄色い花びらがパラパラと机に置いた学級日誌に舞った。
体内から出てきても乾いて美しく咲く不思議な花。
前の席の椅子の背にもたれて話していた日向が、指先で花びらをつついてケラケラと笑った。
栗色に染めたふんわりとした髪が揺れる。
「花吐き病ってもっとお耽美なもんだと思ったのに」
「俺だって綺麗に吐きたいわ!」
口内から引き出した花を、蒼井はグシャリと握りつぶす。
黒い学ランの袖に落ちた鮮やかな黄色。
秋という季節に似つかわしくない、小ぶりのひまわり。
手のひらサイズもあるそれは、一体全体どうやって出てきてるのだろう。上手く出さないと両思いだとか片想いだとか関係なく窒息する。
蒼井は「花吐き病」を患っていた。
それは、片思いを拗らせると掛かるという謎の奇病。
名前の通り、「花を口から吐く」病気だ。
「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」ということわざ通り、治療方法はない。
好きな相手と両思いになれなければ、遅かれ早かれ衰弱して命を落とす。
深刻な病のはずなのに、蒼井は体力も精神力も強すぎるのだろうか。
高校2年の時に発病してから一年経っても、変わらず学校に通っていた。
初めは心配して「恋の応援をする」と言っていた友人たちも、最近では今まで通りだ。
応援しようにも蒼井が好きな相手を梃子でも言わないことや、全く衰弱する気配がないため当然と言えば当然である。
噂よりも大変な病気ではなさそうだと、皆が胸を撫で下ろしている。
未だに心配しているのは、黄色い花びらを見つめてため息を吐いている日向だけだ。
スマートフォンの画面に口を映して大口を開けている蒼井に、日向は眉を寄せた。
「なーそろそろ教えろよ。片思いの相手。全力で応援するからさぁ」
1年間、毎日毎日懲りずに繰り返される質問。
人の気も知らないで。
喉に違和感があると思ったらまだ張り付いていたしぶとい花を掻き出し、蒼井は目線を膨れっ面に向ける。
「お前」
「ほーん、なんだ俺か。それなら…………え?」
半ばやけになって伝えると、想像通り日向は目を丸くした。よく笑う口も、間抜けに見えるほどぱっかり開いている。
本当に想像もしていなかったようだ。
中学からの親友が自分のことを恋愛対象として見ていたなど、一種の裏切りだ。
いつも好みの女子の話を楽しそうにする日向相手では勝算はない。完全に諦めていたから、花吐き病になっても精神は蝕まれなかったのだろう。
蒼井は机の花びらを手のひらで集めながら淡々と言葉を紡ぐ。
「分かったら、俺を応援するとかいうのは」
止めろ、と続けようとして口を閉ざす。
手に水が落ちてきたのだ。
驚いて顔を上げると、日向の表情が見たこともないほどに崩れている。丸い目から次々と大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「日向?」
「どうしよう! 俺、お前のこと好きじゃねぇ!」
引き攣った喉から発せられた正直この上ない言葉で、蒼井は完璧な失恋を果たす。
「だろうよ」
最早、乾いた笑いしか浮かべられない。
泣きながらトドメを刺す大好きな人は、必死の形相で身を乗り出してきた。
「やだやだやだ! お前に生きて欲しい!」
手を強く握られて、せっかく集めた机の花びらがヒラヒラと落ちていく。
床を彩ったそれは誰にも見られることはない。
二人はただ、じっと見つめあっていた。
恋心なんて、本人にはどうすることもできない。
蒼井は日向に恋情を抱き、日向は友情を蒼井に向けている。
どちらにも非はない。
真っ赤になった目と鼻を見ていると、日向にとって自分は大切な存在ではあるのだと改めて実感する。
それが自分とは違う意味を持つのだと思うと、ギュッと胸が締め付けられた。
触れ合っている手が、脈打つ。
出来るだけ軽く聞こえるように肩をすくめ、情けない泣き顔に笑いかけた。
「まぁ今すぐどうこうってことはなさそうだし深く考えんなよ」
「ダメだよ! そう思っててもしかしたら明日……お前、今すぐ俺を惚れさせろ!」
「出来るならとっくにしるっつの」
中学の入学式の時、太陽みたいな笑顔に一目惚れしてから五年半。両思いになりたいと思わなかったわけがない。
それでも蒼井の下心からくるどんな行動も「いい友人」としてしか捉えてもらえなかったから諦めた。
そして、せめて親友でいようと思ったのだ。
(思わず言っちまったけど、親友ですらなくなるかもって心配はなさそうだな)
手の甲で乱暴に顔を拭う日向を見て、このアホ面が見られただけで自分の人生は良しとするかと蒼井はハンカチを差し出した。
だが、ハンカチは受け取られることなく。
日向がいきなり顔をぶつけてきた。
否。
キスをしてきたのだ。
「……っ!?」
心臓が止まる心地がした。
呼吸も忘れて、すぐに離れていく日向を見る。
すると、目と鼻に加えて頬まで赤くなった顔で首を傾げてきた。
「治ったか?」
「ん、なわけ……ないだろ」
蒼井の顔も熱く、耳や首まで真っ赤に染まっている。夕陽のせいにする余裕もなく、触れ合った唇に目が釘付けになった。
「じゃ、もっかい」
「え、もっかい……?」
軽やかな声で告げた日向は戸惑う蒼井の肩に片手を置き、今度は目を閉じて顔が近づいてくる。
心臓が止まった分を取り返すように大きく鳴り響く。
何度キスしたって、完治の証だという「白銀の百合」は口から出てこないだろう。
心から、日向と両思いにならなければ。
それでも、蒼井は日向を止めなかった。
瞼を伏せて、唇を重ねる。
机の上に置いた指が触れると、どちらともなく絡め合う。
ここが教室だとか、誰か来るかもしれないとか。
そんなことはどうでも良くなった。
風に吹かれたカーテンが二人の頬に触れるまで、ずっとそうしていた。
そして唇が離れた時。
「う、げほ……っ」
「うわぁ!」
再び込み上げてきたひまわりの花びらが、咳き込んだ拍子に日向の顔に吹きかかった。
教室の窓に夕日の差し込む放課後。
腹の底に違和感を覚える。
喉まで込み上げてくるものを吐き出すために、蒼井は手を口に突っ込んだ。
こういう時、刈り上げた短髪は邪魔にならなくていい。
普段は凛々しく整った顔が、苦しさのせいで崩れる。
口の中から出てきた黄色い花びらがパラパラと机に置いた学級日誌に舞った。
体内から出てきても乾いて美しく咲く不思議な花。
前の席の椅子の背にもたれて話していた日向が、指先で花びらをつついてケラケラと笑った。
栗色に染めたふんわりとした髪が揺れる。
「花吐き病ってもっとお耽美なもんだと思ったのに」
「俺だって綺麗に吐きたいわ!」
口内から引き出した花を、蒼井はグシャリと握りつぶす。
黒い学ランの袖に落ちた鮮やかな黄色。
秋という季節に似つかわしくない、小ぶりのひまわり。
手のひらサイズもあるそれは、一体全体どうやって出てきてるのだろう。上手く出さないと両思いだとか片想いだとか関係なく窒息する。
蒼井は「花吐き病」を患っていた。
それは、片思いを拗らせると掛かるという謎の奇病。
名前の通り、「花を口から吐く」病気だ。
「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」ということわざ通り、治療方法はない。
好きな相手と両思いになれなければ、遅かれ早かれ衰弱して命を落とす。
深刻な病のはずなのに、蒼井は体力も精神力も強すぎるのだろうか。
高校2年の時に発病してから一年経っても、変わらず学校に通っていた。
初めは心配して「恋の応援をする」と言っていた友人たちも、最近では今まで通りだ。
応援しようにも蒼井が好きな相手を梃子でも言わないことや、全く衰弱する気配がないため当然と言えば当然である。
噂よりも大変な病気ではなさそうだと、皆が胸を撫で下ろしている。
未だに心配しているのは、黄色い花びらを見つめてため息を吐いている日向だけだ。
スマートフォンの画面に口を映して大口を開けている蒼井に、日向は眉を寄せた。
「なーそろそろ教えろよ。片思いの相手。全力で応援するからさぁ」
1年間、毎日毎日懲りずに繰り返される質問。
人の気も知らないで。
喉に違和感があると思ったらまだ張り付いていたしぶとい花を掻き出し、蒼井は目線を膨れっ面に向ける。
「お前」
「ほーん、なんだ俺か。それなら…………え?」
半ばやけになって伝えると、想像通り日向は目を丸くした。よく笑う口も、間抜けに見えるほどぱっかり開いている。
本当に想像もしていなかったようだ。
中学からの親友が自分のことを恋愛対象として見ていたなど、一種の裏切りだ。
いつも好みの女子の話を楽しそうにする日向相手では勝算はない。完全に諦めていたから、花吐き病になっても精神は蝕まれなかったのだろう。
蒼井は机の花びらを手のひらで集めながら淡々と言葉を紡ぐ。
「分かったら、俺を応援するとかいうのは」
止めろ、と続けようとして口を閉ざす。
手に水が落ちてきたのだ。
驚いて顔を上げると、日向の表情が見たこともないほどに崩れている。丸い目から次々と大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「日向?」
「どうしよう! 俺、お前のこと好きじゃねぇ!」
引き攣った喉から発せられた正直この上ない言葉で、蒼井は完璧な失恋を果たす。
「だろうよ」
最早、乾いた笑いしか浮かべられない。
泣きながらトドメを刺す大好きな人は、必死の形相で身を乗り出してきた。
「やだやだやだ! お前に生きて欲しい!」
手を強く握られて、せっかく集めた机の花びらがヒラヒラと落ちていく。
床を彩ったそれは誰にも見られることはない。
二人はただ、じっと見つめあっていた。
恋心なんて、本人にはどうすることもできない。
蒼井は日向に恋情を抱き、日向は友情を蒼井に向けている。
どちらにも非はない。
真っ赤になった目と鼻を見ていると、日向にとって自分は大切な存在ではあるのだと改めて実感する。
それが自分とは違う意味を持つのだと思うと、ギュッと胸が締め付けられた。
触れ合っている手が、脈打つ。
出来るだけ軽く聞こえるように肩をすくめ、情けない泣き顔に笑いかけた。
「まぁ今すぐどうこうってことはなさそうだし深く考えんなよ」
「ダメだよ! そう思っててもしかしたら明日……お前、今すぐ俺を惚れさせろ!」
「出来るならとっくにしるっつの」
中学の入学式の時、太陽みたいな笑顔に一目惚れしてから五年半。両思いになりたいと思わなかったわけがない。
それでも蒼井の下心からくるどんな行動も「いい友人」としてしか捉えてもらえなかったから諦めた。
そして、せめて親友でいようと思ったのだ。
(思わず言っちまったけど、親友ですらなくなるかもって心配はなさそうだな)
手の甲で乱暴に顔を拭う日向を見て、このアホ面が見られただけで自分の人生は良しとするかと蒼井はハンカチを差し出した。
だが、ハンカチは受け取られることなく。
日向がいきなり顔をぶつけてきた。
否。
キスをしてきたのだ。
「……っ!?」
心臓が止まる心地がした。
呼吸も忘れて、すぐに離れていく日向を見る。
すると、目と鼻に加えて頬まで赤くなった顔で首を傾げてきた。
「治ったか?」
「ん、なわけ……ないだろ」
蒼井の顔も熱く、耳や首まで真っ赤に染まっている。夕陽のせいにする余裕もなく、触れ合った唇に目が釘付けになった。
「じゃ、もっかい」
「え、もっかい……?」
軽やかな声で告げた日向は戸惑う蒼井の肩に片手を置き、今度は目を閉じて顔が近づいてくる。
心臓が止まった分を取り返すように大きく鳴り響く。
何度キスしたって、完治の証だという「白銀の百合」は口から出てこないだろう。
心から、日向と両思いにならなければ。
それでも、蒼井は日向を止めなかった。
瞼を伏せて、唇を重ねる。
机の上に置いた指が触れると、どちらともなく絡め合う。
ここが教室だとか、誰か来るかもしれないとか。
そんなことはどうでも良くなった。
風に吹かれたカーテンが二人の頬に触れるまで、ずっとそうしていた。
そして唇が離れた時。
「う、げほ……っ」
「うわぁ!」
再び込み上げてきたひまわりの花びらが、咳き込んだ拍子に日向の顔に吹きかかった。



