◯神崎家・台所・夕方
伊織が夕飯の準備をしている中、桜が横で監視するように見る。
桜「ねぇ、無能。分かってる?」
伊織「分かってるよ。桜が作ったことにすれば良いんでしょ?」
桜「余計なことしたら、ただじゃすまないからね」
モノローグ『ここに勤める神職は、住み込みではなく通勤だ』『基本、食事を共にすることはないのだが、桜の我が儘で、今晩は夾さんが我が家で食事を取る』『私の手料理を桜が作ったことにして——』
母「伊織、まだ出来ないの!? お父さん達、待ちくたびれてるわよ! まったく、これだから無能だって言われるのよ」
伊織(無能無能って、お母さんだって異能使えないじゃん)
モノローグ『母は、父に嫁入りした普通の女性』『異能が使えるのは、あくまでも神崎家の血を引いた者たちだ』『それなのに、偉そうに私のことを無能と言う』
出来上がった料理を皿に盛り、お盆の上に並べる。
伊織「出来ました」
桜「あんたは来ないでよね」
伊織「分かってる」
伊織(それでも、この料理を夾さんが食べてくれると思うと嬉しい)
桜たちに見られないように伊織は微笑む。

〇居間・夾
伊織の父が座り、机を挟んで私服姿の夾が座る。
料理を運ぶのは桜。
ぎこちないその運び方は、まるで食事を運ぶのは初めてかのよう。
桜「これ、私が作ったの。お口に合うと良いんだけど」
夾「これを桜お嬢様が一人で? さすがですね」
夾は張り付けたような笑みをみせる。
すると、桜とその母がうっとりとした表情で固まった。
夾は既に赤くなった顔の伊織父に手酌する。
夾「さぁ、どうぞ」
伊織父「これはこれは、気が効きますな」
夾(人間は、酒に酔った時の方が本音を話すと聞く。言い逃れ出来ないよう色々話してもらおうか)

〇回想中
モノローグ『健太郎から伊織の境遇を聞いた後、龍宮へと舞い戻った僕は、天帝様へとお願いに参った』
月と鶴の絵が描かれたふすまがある広い和室の一段高いところにいる天帝は、脇息に肘をつきながら、どこか退屈そうな顔をしている。
夾は、その一段下で跪く。
夾「天帝様」
天帝「なんだ」
夾「元旦など待たず、花嫁をすぐに迎え入れたいのですが」
天帝「それが無理なことは、其方(そなた)も知っておろう?」
夾「どうしてもですか?」
天帝「どうしてもだ。我々が秩序を守らずしてどうする」
夾「ですよね……」
夾は落胆した顔を見せる。
天帝は脇息から肘を外し、興味津々に聞く。
天帝「ところで、そう急ぐということは、人間界での彼女の扱いを知ったからか。それとも――――恋したか」
夾「なッ、こ、こ、恋などする訳ないでしょう」
動揺する夾は、オホンと一度咳ばらいをする。
夾「前者に御座います。これは、恋ではなく同情です」
天帝「ほう」
ジト目で見る天帝。
夾「な、なんですか?」
天帝「いや、別に。とにかく、元旦までの残り一か月は、こちらからは何もしてやれん」
夾(まぁ、僕が近くで守ればいっか)
天帝「近くにいて、彼女を庇いすぎるでないぞ?」
夾「へ? 何故です?」
天帝は呆れたように溜息を吐く。
天帝「其方が庇いすぎる事で、彼女の待遇が悪化する」
夾「何故です? 仮にそうだとしても、その都度……」
天帝「それをすると、彼女に嫌われ、彼女の心は完全に離れてゆくぞ」
夾「え……」
夾(伊織に……嫌われる?)
ショックを受けたように固まる夾。
夾「では、どうすれば……」
天帝「とにかく、見守る他ないだろう」

◯現実に戻る。
夾(見守るだけなんて……)
桜が夾の隣に座り、伊織母が伊織父の横に座る。
桜「パパ」
桜が小さく呼べば、伊織父は思い出したように夾に言った。
伊織父「夾君、うちを継ぐつもりは?」
夾「え?」
伊織父「いやな、桜が君のことを随分と気に入っているようでな」
夾は隣にいる桜を見た。
桜は、照れたように上目遣いをした。※狙った獲物は逃さない。
寒気を感じブルッと震える夾は、苦笑で返す。
夾「はは、僕はまだ見習いの身分ですから。それより、伊織お嬢様は?」
桜「それより?」
表情が曇る桜。しかし、すぐに笑顔を作って夾に言った。
桜「むの……お姉ちゃんは、体調が悪いからって部屋で寝るんだって」
夾「体調が? さっき会った時は」※怪訝な顔で。
桜「ははは、急に悪くなったみたい」
伊織母「まぁまぁ、無能なんて気にせず、食べましょうよ」
伊織父「そうだな。せっかく桜が作ってくれたんだから。無能の話はやめてくれ」
夾「無能……?」
夾は伊織の両親を交互に睨む。
夾「無能? あなた方は、娘のことを」
言いかけて、夾はその言葉を飲み込んだ。
夾「いえ、いただきます」
夾は両手を合わせてから、箸とお椀を手に取る。
ずずいっと味噌汁を飲んだ。
夾「これは美味い」
ほうれん草のお浸しもパクリと食べるが、これまた絶品。夾の頬が緩む。
桜「地味なごはんでごめんね。もっとお洒落なの作るよう言ったんだけど」
夾「ん? 言った? これは、桜お嬢様が作っているのでは?」※疑いの目
桜「あ、いや、私が作ったよ。これも、これも全部私が作ったの」
夾は、焦る桜と食事を交互に見る。
夾(なるほどね)
夾はにやりと笑って、だし巻き卵をパクパクと食べる。そして、空になった皿を桜に手渡した。
夾「桜お嬢様、おかわり頂いても宜しいですか?」
桜「え!? おかわり!?」
夾「はい。とても美味しかったので。こんな美味しい料理を毎日食べられる未来の旦那様は幸せですね」
桜「はは、そうだと思うわ」
桜は苦笑を浮かべながら立ち上がる。
桜「すぐに作ってくるね」
桜は、足早に居間から出て行った——。
夾「ところで、この神崎神社は、龍神様を祀っている神社ですよね」
伊織父「そうだ。我が神社があるからこそ、この世が安寧に治まっている」※誇らしげに。
伊織母「特に、うちの桜は龍神様に愛されたようで、異能が二つも扱えるんですよ」
夾「ちなみに、伊織お嬢様は無能と聞きましたが、いつお知りになられたのですか?」
伊織母「あれは、五歳の時かしらね」

◯回想中
伊織五歳。桜四歳。
神職の一人が庭で水をやっていると、桜がちょこちょこと歩き、両手を花に向けた。すると、そこから水が現れ、花に水をかけた。
それを見ていた伊織母と伊織。
伊織母「桜ちゃん、お手伝いしたの?」
伊織「桜すごーい」
桜「へへへ」
伊織母「それにしても、伊織はどうして異能が発動しないのかしらね」
伊織は、桜に見倣って前に手をかざしてみるが、何も出ない。

◯現実に戻る
伊織母「さすがにおかしいなって思って、色々試したんですけど、やっぱりダメで。あの子らの祖父が『無能だ!』って叫んで」
伊織父「そんなこともあったな。わしらもそれを聞いて納得してな」
夾(つまり、五歳の頃から今まで……十二年は伊織に酷い扱いをしていたということか。しかし、腑に落ちない点が一つ……)
夾「ですが、何故伊織お嬢様を生贄に選ばれたのですか?」
モノローグ『龍神からの要望リスト』『あれには【若い女を生贄にせよ】としか書かれていない』『龍神の嫁に選ばれることは、本来誇らしいこと』
夾(桜を可愛がっているなら、尚のこと桜を生贄に捧げるべきでは?)
伊織父は、愉快そうに酒をグビッと飲んだ。
伊織父「そんなの、龍神様の希望に従ったまで」
夾「龍神様の希望……」
伊織父「どうやら、龍神様は失敗作をこの世から排除したいようでな」
夾「は?」
伊織母「ちょ、お父さん。そんなことまで言って大丈夫なんですか?」
伊織父「既に噂は出回っておる。そのうち耳にするだろ。それに、桜の婿になる相手なら聞いてもらった方が良い」
伊織母「でも」
伊織父「うるさい! 家長は私だ。私が良いと言ったら良い!」※酔っているせいで、感情の起伏が激しい。
夾「で、失敗作を排除とは?」
夾は、張り付けた笑みで伊織父に手酌する。
伊織父「無能はな、龍神様に愛されなかった娘だ。それはつまり、龍神様の失敗作。生贄として献上して、一思いに食べてしまうつもりのようなのです」
夾「へぇ」
夾の目が据わる。
夾「人間は【生贄=食べる】という発想になるのですね」
伊織母「人間……?」※呟き
夾(天帝様もお人が悪い。それを知って、敢えて【花嫁】ではなく【生贄】と書くとは。教えて下されば良いのに)
イマジナリー天帝の無邪気にピースする絵面。
天帝『だって、その方が面白そうだし』
勝手に想像した夾の額に青筋が浮かぶ。
夾(しかし、どうりでこの状況から逸することが出来るのに、伊織の心が荒れているわけだ。そして、龍神()が嫌われている理由も納得だ)
わざとらしく悲しげに夾は言った。
夾「ですが、いくら龍神様の望みでも、伊織お嬢様がいなくなるのは寂しいですね。色々困ることもあるでしょうし」
伊織父「いやいや、厄介払いが出来てありがたい。無能がいても、何の役にも立たんからな。我が家は桜がいれば十分じゃ」
夾「そうですか」
伊織父「そういう訳じゃ、桜の婿にならんか?」
満面の笑みで応える夾。
夾「いえ、お断り致します」

◯台所・伊織
一方、台所では、伊織がだし巻き卵を作っている。その横で桜がぶつくさと文句を言う。
桜「もっと早く出来ないの!?」
伊織「早くしたら焦げちゃうから」
桜「見栄えは良くしてよ。夾君が食べるんだから」
伊織「はいはい」
桜「まったく……よりにもよって、こんな時にお風呂入ってるなんて信じらんないんだけど! これだから無能は使えないんだから」
そこへ、夾が入ってくる。
夾「桜お嬢様、遅いので心配して見に来ました」
桜「え!? きょ、夾君!?」
動揺する桜は、伊織を押し退けてコンロの前に立つ。
桜「も、もうすぐ出来るから。待ってて」
桜に追いやられた伊織に夾が耳打ちした。
夾「全部美味しかったよ。ありがとう」
伊織「え?」
ニコッと笑う夾に、伊織の胸は高鳴る。
伊織(夾さん……知ってたんだ。料理のこと)
そこへ慌てたように母が台所に入ってきた。
母「夾さん! そちらは!」
そして、ふらつきながら陽気な父も入ってくる。
父「この世で神崎家に婿入り出来るなど、またとない機会だぞ?」
桜「え、パパ。夾君に何言ったの!?」
父「わしは、桜が素晴らしいって言っただけだ。なぁ?」
夾「ええ」
夾は、凛とした態度で言った。
夾「ですが、僕は、だし巻き玉子が綺麗に作れる人が好みですので」
桜「え、だし……ちょ、こんなの!」
桜は目の前の四角いフライパンと格闘し、せっかく綺麗に伊織が作っていただし巻き玉子を丸こげにしてしまった。
夾は、伊織にニッと笑う。
伊織(夾さん……)※キュンとする。