〇神崎神社の参道・朝
神職姿の夾が、箒を持ってお辞儀する。
夾「行ってらっしゃいませ。伊織お嬢様」
伊織「い、行ってきます」
にこやかに笑う夾に見送られる伊織は、逃げるように鳥居をくぐり、階段を駆け下りる。
しかし、伊織は一段踏み外す。
浮遊感と共に伊織は「キャッ」と小さな悲鳴を漏らす。
伊織(落ちる!)
と、自覚したその時――――。
夾が風のように現れ、伊織をキャッチする。※お姫様抱っこ。
夾「大丈夫ですか? 伊織お嬢様」
伊織「あ、は、はい」※呆気に取られながら。
伊織(今、何が起こったの?)
夾は、伊織の顔を見てニコリと笑う。
夾「伊織お嬢様は、案外そそっかしい一面がおありなのですね」
すると、伊織の顔がみるみる真っ赤になっていく。
伊織(なんで私、夾さんに抱っこされてんの? 私のバカ。なんで足踏み外すかな。てか、顔が近いし、良い匂いするし、顔が近いし、顔が近いし……)
伊織「きょ、夾さん。そのお嬢様ってやめてもらえませんか……」
夾「ですが、お嬢様はお嬢様ですので」
伊織「その喋り方もやめて下さい」
夾「なんで? なんか面白くない?」
伊織「ぜ、全然面白くないです。早くおろしてください」
夾「伊織、照れてる。可愛い」
伊織「か、可愛くなんてないです」
夾は、そっと伊織を下ろす。
伊織(これが毎日続くの? いや、残り一か月だけどさ。その前に心臓がもたないよぉ。てか、夾さん普通すぎない? 私はこんなに心臓バクバクで破裂しそうなのに、イケメンはこういうこと慣れてんのかな)
伊織が夾をちらりと見れば、雲一つない空を見上げていた。
夾(どうしよ。曇りだったのに快晴にしちゃったよ。それより、伊織軽かったな。ちゃんと食べてるのかな)
伊織「夾さん?」
夾「ん? ああ、行ってらっしゃい。気を付けてね」
伊織「行ってきます」
伊織は夾に一礼し、階段をゆっくりとおりた。
夾もそれを見守る。
夾(さて、天帝様が心配なさるほどの内情が何なのか、探るとするか)

〇階段の上
夾が伊織をお姫様抱っこしている様子を見ていた桜の姿がある。
桜の顔は歪み、ぎりりと歯ぎしりをした。
桜「無能のくせに……許せない」
そこへ、夾が階段を上がってきた。
桜は表情を元に戻し、笑顔を作る。
桜「夾君、何かあったらいつでも言ってね!」
夾「はい。桜お嬢様も行ってらっしゃいませ」
伊織の時とは違い、そっけなく返す夾。義務的に。
桜が階段をおりると、夾の前を通り過ぎる時にわざと階段を踏み外す。
桜「キャッ」
夾は桜の手をパッと掴む。
夾「大丈夫ですか?」
桜「え、ええ」
呆気に取られる桜に、夾は義務的にお辞儀する。
夾「行ってらっしゃいませ」
そして、そのまま夾は上にあがる。
桜(何? 今の対応。お姫様抱っこは? 私、無能に負けてる?)
桜「許せない……」
桜の顔は、醜く歪む。

◯学校・家庭科室・昼休憩
家庭科室の窓際の席に、アンナと伊織は横並びに座り、お弁当を広げる。
モノローグ『ペンキの一件から、私たちは家庭科室で昼休憩を共にしている』
伊織は、お弁当を食べるでもなく、それを眺めながらぼぅっとしている。
アンナ「おーい。伊織ちゃん、聞いてる?」
伊織「え?」
アンナ「伊織ちゃん。今日、ずっとぼーッとしてるよ。大丈夫?」
伊織「あ、うん。ごめんね」
伊織(夾さんにお姫様抱っこされた感覚がまだ残ってて……)

◯回想+伊織の妄想
神社の階段で伊織は夾にお姫様抱っこされる。
夾は、伊織の顔を見てニコリと笑う。
夾「伊織お嬢様は、案外そそっかしい一面がおありなのですね」
顔を真っ赤にさせる伊織に夾は言った。
夾「愛してるよ、伊織」
伊織「わ、私も」

◯現実に戻る
顔を真っ赤にさせながら、両手を頬に当てる伊織は、一人でキャーキャー騒ぐ。
伊織「キャー、私ったら、なんて妄想してんのかしら。言われてない、そこまでは言われてないから!」
若干引き気味のアンナ。
アンナ「ど、どうしたの?」
我に返る伊織。
伊織「ご、ごめん。で、何だっけ?」
アンナ「別に何もないけど……伊織ちゃん、誰か好きな人がいるの?」
伊織「え?」
アンナ「ふふ、分かりやすいね」
伊織(私って、そんな分かりやすいかな……)
アンナ「高松君?」
伊織「へ?」
アンナ「違うかぁ。高松君、失恋決定か。じゃあ、クラスの男子の中にいる?」
伊織「ううん」
伊織(アンナちゃんだったら、話しても良いよね)
伊織「実はね、この間————」
夾との出会いをアンナに話した。
——そして、聞き終えたアンナは、嬉しそうに言う。
アンナ「えー、良いな良いな♪ 私も、そんな出会いしてみたい! てかさ、その人、出会う前から伊織ちゃんのこと知ってたよね!? 絶対知ってたよね!?」
伊織「え、どうだろ」
伊織(考えたこともなかった)
アンナ「絶対そうだよ! 伊織ちゃんのこと狙ってたんだって!」
そこへ、高松が後ろから「ワッ」と脅かしてきた。
伊織・アンナ「「キャッ」」
高松「誰が神崎を狙ってるって?」
アンナ「高松君、サボりじゃなかったの」
高松「五時限目、文化祭の準備だろ? もうほぼ終わってるし、暇かなって」
アンナは、伊織をチラリと見やり納得したように頷いた。
アンナ「だね」
伊織「え? 何?」
高松「何でもねーよ!」
伊織「あ、それ」
高松は、伊織のお弁当から卵焼きを取ってパクッと食べた。
高松「うまッ!」
アンナが伊織に耳打ちする。
アンナ「文化祭の準備になると、いちいち伊織ちゃんに文句言う子らいるでしょ。それから守るためだよ」
伊織「え」
伊織は、高松を見た。
高松「ん?」
伊織「ありがとう」
微笑めば、高松は頬を赤くした。
高松「な、何がだよ。てか、狙われてるって何だ?」
アンナ「あー、高松君は知らない方が良いんじゃない?」
高松「何でだよ。気になんだろ。なぁ?」
同意を求めてくる高松。伊織は笑って誤魔化す。
伊織「ははは、そんな大したことじゃないから」
高松「俺だけ仲間外れかよ……てかさ、神崎」
伊織「何?」
高松「メッセージの返信。全然来ないんだけど」
伊織「あー、あれね……」
伊織は、高松からの【俺と一緒に逃げようぜ!】というメッセージのことを思い出す。
伊織「いや、意味が分かんなくってさ。なんて返信したら良いんだろうって悩んでたら、忘れてた」
わざとらしくショックな顔を見せて、胸を押さえる高松。
高松「忘れるとか酷ッ。ガラスのハートが砕け散りそうだぜ」
アンナ「ねぇねぇ、何の話?」
高松「お前には、この間話しただろ。みんなで逃げようぜって話」
アンナ「あー、あれね」
伊織「……?」
首を傾げれば、アンナが伊織の肩をガシッと持った。
アンナ「伊織ちゃん!」
伊織「は、はい」
アンナ「逃げよ! 元旦にこの街にいなかったら大丈夫だよ!」
伊織「いや、でも……監視の人らもいるし、無理だよ」※今は校門前にて待機中。
高松「やる前から諦めんなって」
伊織「だけどさ、私がいなくなったら桜が私の代わりに……」
高松「行かせりゃ良いじゃん。どうせ、家でも酷いことされてんだろ?」
伊織「そんなこと……」
高松「あるだろ?」
高松とアンナに見つめられ、伊織はこくりと頷いた。
高松「逃げるが勝ちって言葉もあんだろ?」
伊織「逃げるが勝ち……」
高松「だからさ、明日の文化祭に紛れて決行しようぜ!」
アンナ「おー! って言いたいところだけどさ、私はごめん!」
アンナが両手を前で合わせた。
アンナ「うちの親厳しくってさ、後方支援はめっちゃするからさ!」
高松「そ、だから【俺と一緒に逃げよーぜ】って送ったんだ。分かった?」
伊織「いや、分かったけど、私お金とか持ってないし」
アンナ「そこは大丈夫。こう見えて、高松君ってボンボンなんだって」
高松「その言い方やめろって。とにかく、明日決行だから、服とかはいらねーけど、必要なもんあったら詰めて来いよ」
伊織(服いらないんだ? とはいえ、夾さんに私の無様な姿を見せる前に退場するのが一番良いかも)
伊織「うん。分かった」
伊織と高松が喋る中、二人に見えないように、アンナは下の方でスマホを操作する。

〇境内(本殿)昼
夾は、太鼓のバチを片手で握り潰すように、ばきりと折った。そして、外は雷まで鳴り出す始末。
夾と話をしていた二十代前半の神職の男(健太郎)は慌てる。
健太郎「きょ、夾さん!? 何やってんですか!?」
夾「今の話、全部本当なの?」
健太郎「まぁ、少なくとも、俺が来た時にはそうでしたよ。だから、もっと前から伊織お嬢様は酷い扱いを受けてきたんじゃないですかね」
夾「そう……もしかして、君も伊織を貶して遊んでんの?」
健太郎「は? そんなことするわけないじゃないですか。むしろ、健気で可愛いっていうか……守ってあげたい。みたいな」
ポッと頬を赤くする健太郎。
イラっとする夾は、太鼓を叩き割る。
健太郎「ぎゃー、本当何やってんですか!? バチだけならどうにか誤魔化しが効きますけど、太鼓の方はどうにもなりませんって」
夾「守るのは僕だから。君は……そうだね。巻き添えくらいたくなかったら、早いとこ職を変えた方が良いよ」
健太郎「は? 何言ってんですか。予備の太鼓があるはずですから、ひとまずそれと交換しときましょ。これ、元旦までに直るかなぁ」
不安げに言う健太郎をよそに、夾は歩き出す。
健太郎「ちょッ、夾さん!? どこ行くんですか!?」
夾「うん。ちょっとね」
健太郎「ちょっとって……もう、これ、俺のせいじゃないですからね! これ、夾さんですからね! 龍神様の逆鱗に触れたら、夾さんのせいですからね!」
外は本降りの雨。雷の光が本殿の中を照らす。
騒ぐ健太郎を背に、夾は呟いた。
夾「安心して。もう逆鱗に触れてるから」