〇伊織の家・台所の裏手・夕方
夾「今日も美味しかったよ。ありがとう」
ニコリと笑う夾。ホッとする伊織。
伊織(良かった。いつもの夾さんだ)
モノローグ『今日は、何故かいつもよりとげとげしかったのだ』『理由を聞いても、「別に」と返ってくるのみ』『ただ、せっかくいつもの夾さんに戻ったのに、私は今からお別れを告げなければならない』
伊織は複雑そうな顔で夾を見つめる。
夾「まだ、体調万全じゃないんだからさ、しっかり水分取って沢山食べるんだよ」
伊織は風呂敷を胸に抱いて、礼を述べる。
伊織「こんなにたくさん、ありがとうございます」
夾「あのさ、今度は御両親に――――」
伊織は、夾の言葉を遮り、真剣な面持ちで名前を呼ぶ。
伊織「夾さん」
夾「ん?」
伊織「私、もう……」
言葉を詰まらせる伊織。
伊織(言わなきゃ。夾さんとは、もう会えませんって。ごめんなさいって……言わなきゃなのに)
モノローグ『言葉がつっかえて出てこない』
夾「伊織?」
伊織「あ、いえ……いつも来てもらうのは迷惑ですし、たまには私からお伺いしましょうか……なんて。お付き合いもしていないのに、そんな出しゃばったこと言ってすみません」
笑って誤魔化す伊織。
夾「良いよ」
伊織「え?」
夾「って言いたいところだけど、うちはちょっと……ごめんね」
夾(さすがに龍宮に連れて行くわけにも行かないし……。それより、来た時から伊織の様子が変だ。ずっと何かを警戒するように周りを気にしている。昨日までは監視の男二人だけを気にしていたのに)
夾「もしかして、僕が来てるの知られたらまずいの?」
伊織「ははははは、そんなことありませんよ」
夾「相変わらず嘘が下手だね」
夾は呆れた様子で続ける。
夾「それなら、先に言ってよ」
伊織「え?」
夾「僕は伊織を困らせたい訳じゃないから。伊織の手料理は食べたいけど、それは伊織に会うための口実みたいなものだし」
夾(それに、伊織の手料理なら、残りひと月半もすれば毎日食べられるし♪)
伊織が龍宮にある、ほとんど使われていないキッチンに立つ姿を想像する夾。
そして、現実の伊織の顔は真っ赤だ。
伊織(私に会うための口実って、それって、それって……)
伊織「夾さんは、私のこと、す、す、す」
夾「す?」
伊織「すまし汁、美味しいですよね」
夾「すまし汁……?」
伊織「あ、いえ……何でもないです」
羞恥のあまり、縮こまる伊織。
夾はそれを不思議そうな顔で見る。
夾「僕さ、毎日伊織に会える良い方法思いついたんだけど」
伊織「良い方法?」
夾「ふふふ、内緒」
夾はニコリと笑って、唇に人差し指をあてた。
その仕草にキュンとする伊織。
※ここで、イマジナリー高松君登場「おい、俺も同じことしたんだけど!」

〇庭園・早朝
庭には、紅葉や楓の木が植えられている。その他にも、下の方に小さな花々が咲いている。
巫女姿の伊織は、庭園で花に水やりをしている
モノローグ『それから、一週間。夾が現れることは無かった』『寂しい気持ち半分、ホッとする自分がいる』『いつもの日常に戻った感じだ』『ただ違うのは――――』
――ピロン♪
とスマホの通知音が鳴った。
水やりを一旦ストップし、通知を開く。
そこにはアンナからのメッセージ。
アンナ【おは! 今日は高松君サボるんだって。ヤンキーは良いよね。自由で】
それに対し、伊織も返信する。
伊織【おはよう。そうだね。また、ノート取っとかなきゃね】
モノローグ『私に友達が出来たのだ』『しかも二人も』
顔をほころばせていると、パンジーが話しかけてきた。
パンジー『伊織、最近楽しそうだね』
伊織「そ、そうかな」
伊織は、その場にしゃがんだ。
パンジー『でも、例の彼はまだ会いに来てくれてないんでしょ?』
伊織「うん。そうなんだよね。もうすぐ十二月になるのに……」
モノローグ『十二月になれば、生贄までのカウントダウンが始まってしまう』
伊織「でも、このままの方が良いのかな? 生贄になったら、もう会えなくなっちゃうし」
パンジー『まぁ、そうね。でもさ、伊織』
伊織「ん?」
パンジー『生贄って、本当に食べられることなのかな?』
伊織「なんで? みんな言ってるよ」
パンジー『そうなんだけど、龍神様って、食事しないって聞いたことあるんだよね』
伊織「そうなんだ。まぁ、食べないにしても、爪とかでガッと殺されちゃうのかな……」
想像した伊織は、肩を抱いてブルッと震えた。
パンジー『生贄って聞いて他に思いつくのは、人体実験か花嫁くらいよね』
パンジー(黒龍様のお望みなら人体実験も有り得なくもないけど、天帝様が許さないだろうし……誰のお望みで生贄をご所望なんだろ……)
伊織「人体実験か……その方が嫌かも。どの道、私に未来はないということね」
パンジー『花嫁は想像しないの?』
伊織「だって、あなたが教えてくれたんじゃない。龍神様は、人間を伴侶にしないって」
パンジー『そうなんだよね……』
伊織(それに、こう言っちゃ(ばち)が当たりそうだけど、龍神様って龍でしょ? あの龍だよ! 人間と龍の結婚なんて……ないないない。言葉だって喋れるのかも怪しいし。愛の育み方が分かんないんだけど)
伊織は諦めたように笑った。
伊織「ありがとう。こうやって心配してくれるあなたたちがいるから、私は今まで耐えてこられたんだから。あなたたちがいなかったら、私今頃ここにいないかも」
パンジー『伊織……』
ぽわぽわした空気になっていると、背後で桜の声が聞こえた。
桜「また、無能が花に話しかけてる」
伊織「い、良いでしょ。別に」
桜「お友達が花だけなんて可哀想よね」
伊織「桜は何しに来たの? 庭の手入れしに来たんじゃないでしょ?」
早くあっちに行ってほしいなと思いながら雑に言えば、桜は嫌な笑みを浮かべる。
桜「ねぇ、知ってる?」
伊織「……?」
桜「今日から、夾君がうちに来るんですって」
伊織「どういう意味?」
桜「神職見習いとして入ってくるみたいなの」
伊織「え」
伊織の俯き加減の顔がほんの少し上がった。
伊織「で、でも、お弟子さんたちはもう十分いるから、もう取らないって」
桜「そこはさ、私の彼氏だし、パパだって融通利かせてくれるわよ」
伊織「そっか……」
伊織(確かに、毎日会える手段ではあるけど、これはどっちに会いに来たの? 私に? それとも――)
しゃがんでいる伊織は、桜を見上げた。
桜「なによ? もしも、また私の彼氏にちょっかいかけるようなら、次は容赦しないんだからね」
伊織(いつも容赦してないくせに)
桜「まぁ、うちに入ったからには我が家の内情もしっかりと見てもらってさ、どっちに優しくする方が得か、夾君も分かるんじゃないかしら?」
伊織「――ッ」
伊織(そうだ。夾さんは、私が無能なのは知ってるけど、多分それ以上のことを知らない。だから今まで優しくしてくれた。しかし、全てを知ってしまったら――。そして何より、罵声を浴びせられたり、暴力を振るわれたり、それに逆らえない自分を見られるのが嫌だ。惨めで可哀想な子として見られるのが、何よりも嫌だ――――)
絶望的な顔をする伊織に向かって、ニヤリと笑う桜。
桜「ま、せいぜい私に逆らわないことね」
伊織「……分かってる。私は、桜とは違うもんね」
俯きながら言えば、庭園の植物が同調し始めた。
パンジー『だよね。伊織の方が可愛いし』
そして、紅葉の木も。
紅葉『そうそう。性格だって伊織の方が可愛いんだぜ』
他の花々や木々も『うんうん』頷く。
伊織「え、ちょッ、やめてよ。そんなこと言ったら、桜に」
伊織(異能で庭園ごとめちゃくちゃにされるから!)
と思い、植物らを黙らせようとしたが、全然黙らない。
桜「私が、なに?」
怪訝な顔で見てくる桜は、何事もなかったかのように自身のスマホを覗いた。
桜「もうすぐ来るはずだから、化粧直ししてこよっと」
上機嫌な桜は、草木に対しては何もお咎めがなかった。
伊織「え?」
パンジー『どうしたの?』
伊織「いや、何であんな酷いこと言ったのに何もなかったのかなぁって。絶対、無能のくせにってここら一体海になるかと思ったのに」
紅葉『そりゃ、伊織が無能じゃないからなんだぜ!』
コスモス『そうよ。あなたは無能なんかじゃないもの』
伊織「みんな……」
感極まる伊織。
伊織「ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しい」
微笑めば、さぁっと風が吹いた。
そして、懐かしい感じがして後ろを振り向いた。そこには神職姿の夾が立っていた。
伊織「夾……さん」
夾「どう? サプライズ、成功したかな?」
ニコッと笑う夾。そして、複雑な顔をする伊織。
夾「あれ……? サプライズ失敗?」
夾(天帝様のうそつき。女は皆、サプライズが好物なんて言ってたくせに。だから、一週間も会いに来るの我慢したのにさ)
夾が一歩近付けば、伊織は一歩後ずさる。
そして、植物らがざわざわし始めた。
パンジー『ねぇ、あの方ってさ』
コスモス『間違いないわよ。この間から、妙にあの方の気が近くにあると思ってたの。納得だわ』
紅葉『おいら、初めて見たんだぜ』
楓『でもさ、他にも見たやつらいるだろ? なんで伊織がそれ知らねーんだ?』
パンジー『でも、あの方の御所望なら、伊織は大丈夫ね』
コスモス『ひと安心だわ』
植物らのざわめきに、夾がシーッと人差し指を口元に当て、ウィンクした。
夾「まだ、内緒にしといてね。天帝様命令」
そういうと、植物らは、しんと静まり返った。
そして、蕾だった花々が満開に咲き誇った。
モノローグ『夢で見た花畑とは違うけど、まるで私達を祝福しているかのよう――――』
呆気に取られる伊織。
ピロン♪とスマホの通知音が鳴った。
画面には、高松君からのメッセージ。
高松【なぁ、俺と一緒に逃げちゃおうぜ!】