◯伊織の夢の中
嵐の中、強い雨に打たれながら前に進む伊織。
伊織「早く、早く帰らなきゃ」
しかし、前も見えない程に視界は暗く、辺りは何も見えない。
落雷の音も聞こえ、伊織はビクッと肩を震わせる。
伊織「ここはどこ? 桜? お父さん? お母さん?」
名前を呼ぶも、聞こえて来るのは雨の音と雷の音だけ。
突如として雨が止み、風もなくなった。
真っ暗な空間にポワンと桜が現れた。
伊織「桜、ここがどこだか分かる? お父さんとお母さんは?」
桜「無能なんて早く龍神様に食べられちゃえば良いのに」
そして両親も現れた。
父「出来損ないの無能」
母「あんたのせいで私まで責められるのよ。生贄になってくれて清々するわ」
伊織「みんな……私って、そんなにいらない子?」
三人は嘲笑うように声を揃えて応える。
「「「無能はいらない」」」
それを何度も何度も連呼され、座って耳を塞ぐ伊織。
そこへ、スッと一つの手が伊織の目の前に差し出される。
伊織「夾……さん?」
その手を取ろうとすれば、手が龍神(龍の姿の夾)の顔に変わり、大きな口を開けた。
伊織「キャッ」
桜「無能なんて食べられちゃえば良いのに」
嘲笑う桜の声を聞きながら、伊織は逃げた。必死に逃げた。
伊織「夾さん。どこ? 夾さん?」
夾の名を呼ぶ伊織は、追って来る龍神にパクリと食べられた。
伊織「キャーーーー!」
〇伊織の自室・深夜
四畳半の狭い部屋に布団が一枚。そこで眠る伊織は、うなされていた。
伊織「うう……夾……さん」
伊織の額に手を置く夾。
夾「うわ、すごい熱。昼は元気そうだったのに。それに――――」
夾(『生きるのがつらい』って、どういうこと?)
モノローグ『伊織の火傷の処置に龍神の能力を使ってしまったことが幸いしたのか、僕の中に伊織の感情が流れ込んできた』『それは、曇りなんてものではなく、酷く荒れた嵐のようだった』
夾(天帝様が言っていた内情……それが関係しているのだろうか)
夾「しかし、その前に伊織をどうにかしないと。小龍を連れてくれば良かった」
小龍「いますよ」
ヒョコッと夾の肩越しに人型の小龍が現れた。※五歳児くらいの黒髪の男の子。
夾「わ、また勝手に……って、今回は丁度良い。小龍、熱がある時はどうすれば良いんだ?」
モノローグ『僕は神だから風邪を引くことなんてないし、看病することなど毛頭ない』『天候については優れているが、こういうことは全くなのだ』
小龍「今は、シバリングが起きておりますので、温めて下さい」
夾「え!? こんなに熱いのに!?」
小龍「はい。温めて下さい」
夾は伊織の布団の上から片手を翳す。
ポゥッと太陽のように暖かい光が伊織を包んだ。
◯伊織の夢の中
ポカポカ陽気の花畑。
目を固く瞑り耳を塞いだ伊織は、そこにいた。
不思議な感覚にゆっくりと目を開ける伊織。
伊織「ここは……?」
伊織は立ち上がり、辺りを見渡す。
そして、遠くの方から歩いてくる人が見えた。
伊織はそれがすぐに誰だか分かったよう。
伊織「夾さん!」
表情がパァっと明るくなり、そちらに向かって駆け出した。
しかし、二メートルくらいの距離を開けて伊織が立ち止まる。
夾「伊織、おいで」
夾は両手を広げる。しかし、伊織は立ち尽くして動けない。
伊織「夾さん……」
夾「どうしたの?」
伊織(夾さんも本当は私のこと――)
〇現実に戻る(夾が伊織を看病中)
夾「すっごい汗かいてきたけど、大丈夫?」
小龍「震えも収まりましたし、次は冷やしましょう」
夾「え、今度は冷やすの?」
伊織に翳していた夾の手から、次は冷気が出始めた。
小龍「ちょ、夾様。一旦汗を拭いてからですよ。着替えもさせた方が宜しいかと」
夾「それ先に言ってよ」
冷気がピタリと止まり、小龍が手渡してきたタオルで夾は伊織の額の汗を丁寧に拭く。
そして、小龍はちょこちょこと歩き、タンスから伊織の着替えを取り出した。
小龍「夾様、こちらを」
普通に受け取る夾だが、布団をはいで伊織の浴衣姿を見て我に返る。
夾「これ、僕が着替えさせたら、色々とまずいんじゃ……」
小龍「大丈夫ですよ。もうじき伴侶になるお方ですから」
夾「そうだけど」
夾(これが、伊織ではなく全くの別人なら、すんなり着替えさせられると思う。けど……。いや、これが伊織でなければ、そもそも看病なんてしていないんだけど)
迷っていると、小龍が伊織の腰ひもに手を伸ばした。
小龍「では、僭越ながらわたくしが」
夾「待て」
小龍「夾様?」
夾「僕がやる」
夾(何故だろう。他の者に伊織に触れて欲しくない。ましてや裸を見せるなんて)
夾「小龍、後ろを向いていろ」
小龍は穏やかな表情で後ろを向いた。
〇再び伊織の夢の中。
花畑に伊織と夾の二人きり。二人は対面している。
夾「伊織、迎えに来たよ」
優しく微笑む夾。
モノローグ『ずっと待っていた』『こんな無能の私にも、いつか王子様が現れて、この現実から救ってくれるんじゃないかと』『でも、多分これは夢――――』『私が作り上げた都合の良い夢』
伊織「夾さんは、あの……私のこと必要ですか?」
夾「……?」
きょとんとする夾だが、次の瞬間ニコリと笑って頷いた。
夾「この世に、必要のない人間はいないよ」
伊織「夾さん……」
夾「だから、おいで」
伊織「で、でも……この世界は、龍神様に愛されなかった人間はいらない子で、排除されなきゃいけなくて」
モノローグ『夢だから、こんなに憶病にならなくても良いのに』『それでも、夢だからこそ聞ける』『だって、都合の良い返事が返ってくるはずだから』
夾「伊織は、誰よりも龍神に愛されているよ」
夾の姿が一変。煌びやかな着物姿に変わった。
そして、広げられた腕の中に伊織は飛び込んだ。
伊織「龍神様が、夾さんだったら良いのに――――」
〇現実に戻る・神崎神社の上空・夜明け前
夾と小龍は上空から、部屋の窓の向こうで眠る伊織を見つめる。※二人とも龍の姿。
夾「あれでもう大丈夫なの?」
小龍「今、私達にできることは、これくらいかと。あとは、ゆっくり休んで、水分と栄養をしっかりとれば大丈夫です」
夾「水分と栄養ね」
夾(あとで、差し入れしよう)
小龍「伊織様にお会いになる口実が出来て良かったですね」
夾「違ッ、そういうんじゃ」※動揺しながら
小龍「そんなに慌ててどうしたのです?」
しれっとした態度の小龍にムッとする夾だが、「小龍」と静かに呼べば、凜とした空気に変わった。
夾「あの痣、どう思う?」
小龍「少なくとも、最近のものだけではないのは確かですね」
夾「やはり、探る必要があるか」
モノローグ『龍神だからといって、万能ではない』『天帝様なら別だが、言われないと分からない』『こんなにも全てを見透かす力が欲しいと思ったのは、初めてかもしれない――――』
◯学校・教室・三・四時限目・伊織
モノローグ『今は、文化祭シーズン』『クラスの出し物の看板作り中――』
机と椅子が後ろに追いやられる中、クラスメイトらは前半分で作業をしている。
マスクをした伊織も、コンコンとせき込みながらペンキを片手に木に色塗りをしている。
モノローグ『どうやら、桜に水をかけられたことで風邪を引いてしまったようだ』
伊織(でも、なんでだろ。不思議なほど体が軽い。もう治りかけみたいな。それに私、いつ寝巻を着替えたんだろ)
咳をする伊織を嫌悪の目で見ながら距離を取る生徒がチラホラ。
伊織(まぁ、こんな風邪引いた無能の女に近付きたくないよね。私だって休みたいけど――)
〇回想中
朝方、伊織が咳込みながら部屋を出れば、父と出会った。
父「なんだ。風邪引いたのか?」
伊織「はい」
父「熱は?」
伊織(心配してくれてるのかな。熱はないけど、ちょっとくらい良いよね)
伊織「微熱があります。頭も痛くって……これから上がるのかも」
父「そうか」
淡い期待を持ったのが間違いだった。次の瞬間、父に言われた。
父「朝食を作る前には、マスクをして、しっかりと消毒するように」
伊織「……はい」
父「それから、学校を休むなら拝殿の方だけでなく本殿の方の掃除も頼む。それが終わったら――――」
伊織「いえ、薬を飲んで学校に行ってきます」
父「そうか」
〇現実に戻る
伊織(家にいたらこき使われるだけなので、学校に来たのだ。でも、これが最後の文化祭なんだよね……)
気だるそうにするクラスメイトや、いきいきと張り切っているクラスメイトを目に焼き付けるように全体を見渡す伊織。
モノローグ『今までは、行事が嫌いでしょうがなかった』『毎回休む理由を考えていた』『けれど、これが最後だと思うと、何だか切なくなってくる』
——ドンッ!
クラスメイトの女子が、伊織の手元に置いてあるペンキをわざと蹴った。看板が、見境なく真っ赤に染まっていく。そして、伊織の制服にもペンキがべっとりと付いた。
女子A「ごっめーん。大丈夫?」
わざとらしく謝ってくる女子を見上げた。
マスク越しに無表情で見上げたからか、女子は一瞬怯んだ様子を見せる。
女子A「な、何よ。無能のくせに。色塗りもまともに出来ないの?」
女子B「仕方ないよ。どうせ生贄になる運命なんだしさ」
女子C「龍神様のお怒りだけは買わないでよね。無能」
キャッキャと笑い合う女子らを他所に、一人の男子生徒、高松幸次が声をかけてきた。※髪は茶色でピアスもつけて、いかにも不良なやんちゃ系男子。
高松「大丈夫か? 制服までいってんじゃん」
伊織「だ、大丈夫」
女子A「そうよ。どうせもうすぐ着なくなるんだしさ、そのままで良いんじゃない?」
女子B「そうよそうよ。地味な無能ちゃんが華やかになって良いって」
女子C「てか、無能に優しくするなんて頭おかしいんじゃない? 生贄にされるからって、同情してんの?」
伊織も、悔しさよりも何故か女子Cの意見に共感してしまう。そして、伊織は高松が怖い。
伊織「わ、私に構わなくて良いよ」※怯えた様子で
高松「知ってるか? ペンキって、乾く前の方がとれやすいらしいぜ」
伊織「そ、そうなんだ」
高松「体操服持ってる?」
伊織「今日は体育ないから」
高松「じゃあ、俺のを」
高松が言いかけたところに、可愛らしい控えめタイプのクラスの女子、椎名アンナも割って入ってきた。
アンナ「わ、私の貸したげる」
アンナが体操服を目の前に差し出してきた。
女子A「何よ何よ。これじゃあ、私たちが悪者みたいじゃない!」
女子B「ねー、無能のくせにさ」
怒る彼女らは、作業の途中だというのに教室から出て行った。
高松「さ、俺らも行こうぜ」
伊織「へ? どこに?」
高松は、ニカッと白い歯を出して笑った。
〇学校の上空・同時刻
夾は龍の姿で学校の上を浮上中。※姿は消して。
夾(もう、どうしてあんなに熱があったのに学校行ってんの!? せっかく龍宮の食糧庫から飲み物と食べ物持ってきたのに)
そして、伊織の教室の中を覗けば、トラブルを目撃。
伊織のすぐ横にあるペンキを嘲笑を浮かべる女子が蹴ったところだった。
それから、伊織が何か言われているが、窓が閉まっているから外からでは聞こえない。
夾(くそ、中の声が聞こえない。でも、もしかして、あの痣って……)
怪訝な顔で覗いていると、高松が伊織に向かって爽やかな笑顔を向けていた。しかも、高松が伊織の腕を掴んで立たせている。
胸の辺りがモヤッとする夾。
夾(徹夜で看病したせいかな……)
モヤッとする胸を押さえながら、夾は伊織の後ろ姿を眺めた——。
嵐の中、強い雨に打たれながら前に進む伊織。
伊織「早く、早く帰らなきゃ」
しかし、前も見えない程に視界は暗く、辺りは何も見えない。
落雷の音も聞こえ、伊織はビクッと肩を震わせる。
伊織「ここはどこ? 桜? お父さん? お母さん?」
名前を呼ぶも、聞こえて来るのは雨の音と雷の音だけ。
突如として雨が止み、風もなくなった。
真っ暗な空間にポワンと桜が現れた。
伊織「桜、ここがどこだか分かる? お父さんとお母さんは?」
桜「無能なんて早く龍神様に食べられちゃえば良いのに」
そして両親も現れた。
父「出来損ないの無能」
母「あんたのせいで私まで責められるのよ。生贄になってくれて清々するわ」
伊織「みんな……私って、そんなにいらない子?」
三人は嘲笑うように声を揃えて応える。
「「「無能はいらない」」」
それを何度も何度も連呼され、座って耳を塞ぐ伊織。
そこへ、スッと一つの手が伊織の目の前に差し出される。
伊織「夾……さん?」
その手を取ろうとすれば、手が龍神(龍の姿の夾)の顔に変わり、大きな口を開けた。
伊織「キャッ」
桜「無能なんて食べられちゃえば良いのに」
嘲笑う桜の声を聞きながら、伊織は逃げた。必死に逃げた。
伊織「夾さん。どこ? 夾さん?」
夾の名を呼ぶ伊織は、追って来る龍神にパクリと食べられた。
伊織「キャーーーー!」
〇伊織の自室・深夜
四畳半の狭い部屋に布団が一枚。そこで眠る伊織は、うなされていた。
伊織「うう……夾……さん」
伊織の額に手を置く夾。
夾「うわ、すごい熱。昼は元気そうだったのに。それに――――」
夾(『生きるのがつらい』って、どういうこと?)
モノローグ『伊織の火傷の処置に龍神の能力を使ってしまったことが幸いしたのか、僕の中に伊織の感情が流れ込んできた』『それは、曇りなんてものではなく、酷く荒れた嵐のようだった』
夾(天帝様が言っていた内情……それが関係しているのだろうか)
夾「しかし、その前に伊織をどうにかしないと。小龍を連れてくれば良かった」
小龍「いますよ」
ヒョコッと夾の肩越しに人型の小龍が現れた。※五歳児くらいの黒髪の男の子。
夾「わ、また勝手に……って、今回は丁度良い。小龍、熱がある時はどうすれば良いんだ?」
モノローグ『僕は神だから風邪を引くことなんてないし、看病することなど毛頭ない』『天候については優れているが、こういうことは全くなのだ』
小龍「今は、シバリングが起きておりますので、温めて下さい」
夾「え!? こんなに熱いのに!?」
小龍「はい。温めて下さい」
夾は伊織の布団の上から片手を翳す。
ポゥッと太陽のように暖かい光が伊織を包んだ。
◯伊織の夢の中
ポカポカ陽気の花畑。
目を固く瞑り耳を塞いだ伊織は、そこにいた。
不思議な感覚にゆっくりと目を開ける伊織。
伊織「ここは……?」
伊織は立ち上がり、辺りを見渡す。
そして、遠くの方から歩いてくる人が見えた。
伊織はそれがすぐに誰だか分かったよう。
伊織「夾さん!」
表情がパァっと明るくなり、そちらに向かって駆け出した。
しかし、二メートルくらいの距離を開けて伊織が立ち止まる。
夾「伊織、おいで」
夾は両手を広げる。しかし、伊織は立ち尽くして動けない。
伊織「夾さん……」
夾「どうしたの?」
伊織(夾さんも本当は私のこと――)
〇現実に戻る(夾が伊織を看病中)
夾「すっごい汗かいてきたけど、大丈夫?」
小龍「震えも収まりましたし、次は冷やしましょう」
夾「え、今度は冷やすの?」
伊織に翳していた夾の手から、次は冷気が出始めた。
小龍「ちょ、夾様。一旦汗を拭いてからですよ。着替えもさせた方が宜しいかと」
夾「それ先に言ってよ」
冷気がピタリと止まり、小龍が手渡してきたタオルで夾は伊織の額の汗を丁寧に拭く。
そして、小龍はちょこちょこと歩き、タンスから伊織の着替えを取り出した。
小龍「夾様、こちらを」
普通に受け取る夾だが、布団をはいで伊織の浴衣姿を見て我に返る。
夾「これ、僕が着替えさせたら、色々とまずいんじゃ……」
小龍「大丈夫ですよ。もうじき伴侶になるお方ですから」
夾「そうだけど」
夾(これが、伊織ではなく全くの別人なら、すんなり着替えさせられると思う。けど……。いや、これが伊織でなければ、そもそも看病なんてしていないんだけど)
迷っていると、小龍が伊織の腰ひもに手を伸ばした。
小龍「では、僭越ながらわたくしが」
夾「待て」
小龍「夾様?」
夾「僕がやる」
夾(何故だろう。他の者に伊織に触れて欲しくない。ましてや裸を見せるなんて)
夾「小龍、後ろを向いていろ」
小龍は穏やかな表情で後ろを向いた。
〇再び伊織の夢の中。
花畑に伊織と夾の二人きり。二人は対面している。
夾「伊織、迎えに来たよ」
優しく微笑む夾。
モノローグ『ずっと待っていた』『こんな無能の私にも、いつか王子様が現れて、この現実から救ってくれるんじゃないかと』『でも、多分これは夢――――』『私が作り上げた都合の良い夢』
伊織「夾さんは、あの……私のこと必要ですか?」
夾「……?」
きょとんとする夾だが、次の瞬間ニコリと笑って頷いた。
夾「この世に、必要のない人間はいないよ」
伊織「夾さん……」
夾「だから、おいで」
伊織「で、でも……この世界は、龍神様に愛されなかった人間はいらない子で、排除されなきゃいけなくて」
モノローグ『夢だから、こんなに憶病にならなくても良いのに』『それでも、夢だからこそ聞ける』『だって、都合の良い返事が返ってくるはずだから』
夾「伊織は、誰よりも龍神に愛されているよ」
夾の姿が一変。煌びやかな着物姿に変わった。
そして、広げられた腕の中に伊織は飛び込んだ。
伊織「龍神様が、夾さんだったら良いのに――――」
〇現実に戻る・神崎神社の上空・夜明け前
夾と小龍は上空から、部屋の窓の向こうで眠る伊織を見つめる。※二人とも龍の姿。
夾「あれでもう大丈夫なの?」
小龍「今、私達にできることは、これくらいかと。あとは、ゆっくり休んで、水分と栄養をしっかりとれば大丈夫です」
夾「水分と栄養ね」
夾(あとで、差し入れしよう)
小龍「伊織様にお会いになる口実が出来て良かったですね」
夾「違ッ、そういうんじゃ」※動揺しながら
小龍「そんなに慌ててどうしたのです?」
しれっとした態度の小龍にムッとする夾だが、「小龍」と静かに呼べば、凜とした空気に変わった。
夾「あの痣、どう思う?」
小龍「少なくとも、最近のものだけではないのは確かですね」
夾「やはり、探る必要があるか」
モノローグ『龍神だからといって、万能ではない』『天帝様なら別だが、言われないと分からない』『こんなにも全てを見透かす力が欲しいと思ったのは、初めてかもしれない――――』
◯学校・教室・三・四時限目・伊織
モノローグ『今は、文化祭シーズン』『クラスの出し物の看板作り中――』
机と椅子が後ろに追いやられる中、クラスメイトらは前半分で作業をしている。
マスクをした伊織も、コンコンとせき込みながらペンキを片手に木に色塗りをしている。
モノローグ『どうやら、桜に水をかけられたことで風邪を引いてしまったようだ』
伊織(でも、なんでだろ。不思議なほど体が軽い。もう治りかけみたいな。それに私、いつ寝巻を着替えたんだろ)
咳をする伊織を嫌悪の目で見ながら距離を取る生徒がチラホラ。
伊織(まぁ、こんな風邪引いた無能の女に近付きたくないよね。私だって休みたいけど――)
〇回想中
朝方、伊織が咳込みながら部屋を出れば、父と出会った。
父「なんだ。風邪引いたのか?」
伊織「はい」
父「熱は?」
伊織(心配してくれてるのかな。熱はないけど、ちょっとくらい良いよね)
伊織「微熱があります。頭も痛くって……これから上がるのかも」
父「そうか」
淡い期待を持ったのが間違いだった。次の瞬間、父に言われた。
父「朝食を作る前には、マスクをして、しっかりと消毒するように」
伊織「……はい」
父「それから、学校を休むなら拝殿の方だけでなく本殿の方の掃除も頼む。それが終わったら――――」
伊織「いえ、薬を飲んで学校に行ってきます」
父「そうか」
〇現実に戻る
伊織(家にいたらこき使われるだけなので、学校に来たのだ。でも、これが最後の文化祭なんだよね……)
気だるそうにするクラスメイトや、いきいきと張り切っているクラスメイトを目に焼き付けるように全体を見渡す伊織。
モノローグ『今までは、行事が嫌いでしょうがなかった』『毎回休む理由を考えていた』『けれど、これが最後だと思うと、何だか切なくなってくる』
——ドンッ!
クラスメイトの女子が、伊織の手元に置いてあるペンキをわざと蹴った。看板が、見境なく真っ赤に染まっていく。そして、伊織の制服にもペンキがべっとりと付いた。
女子A「ごっめーん。大丈夫?」
わざとらしく謝ってくる女子を見上げた。
マスク越しに無表情で見上げたからか、女子は一瞬怯んだ様子を見せる。
女子A「な、何よ。無能のくせに。色塗りもまともに出来ないの?」
女子B「仕方ないよ。どうせ生贄になる運命なんだしさ」
女子C「龍神様のお怒りだけは買わないでよね。無能」
キャッキャと笑い合う女子らを他所に、一人の男子生徒、高松幸次が声をかけてきた。※髪は茶色でピアスもつけて、いかにも不良なやんちゃ系男子。
高松「大丈夫か? 制服までいってんじゃん」
伊織「だ、大丈夫」
女子A「そうよ。どうせもうすぐ着なくなるんだしさ、そのままで良いんじゃない?」
女子B「そうよそうよ。地味な無能ちゃんが華やかになって良いって」
女子C「てか、無能に優しくするなんて頭おかしいんじゃない? 生贄にされるからって、同情してんの?」
伊織も、悔しさよりも何故か女子Cの意見に共感してしまう。そして、伊織は高松が怖い。
伊織「わ、私に構わなくて良いよ」※怯えた様子で
高松「知ってるか? ペンキって、乾く前の方がとれやすいらしいぜ」
伊織「そ、そうなんだ」
高松「体操服持ってる?」
伊織「今日は体育ないから」
高松「じゃあ、俺のを」
高松が言いかけたところに、可愛らしい控えめタイプのクラスの女子、椎名アンナも割って入ってきた。
アンナ「わ、私の貸したげる」
アンナが体操服を目の前に差し出してきた。
女子A「何よ何よ。これじゃあ、私たちが悪者みたいじゃない!」
女子B「ねー、無能のくせにさ」
怒る彼女らは、作業の途中だというのに教室から出て行った。
高松「さ、俺らも行こうぜ」
伊織「へ? どこに?」
高松は、ニカッと白い歯を出して笑った。
〇学校の上空・同時刻
夾は龍の姿で学校の上を浮上中。※姿は消して。
夾(もう、どうしてあんなに熱があったのに学校行ってんの!? せっかく龍宮の食糧庫から飲み物と食べ物持ってきたのに)
そして、伊織の教室の中を覗けば、トラブルを目撃。
伊織のすぐ横にあるペンキを嘲笑を浮かべる女子が蹴ったところだった。
それから、伊織が何か言われているが、窓が閉まっているから外からでは聞こえない。
夾(くそ、中の声が聞こえない。でも、もしかして、あの痣って……)
怪訝な顔で覗いていると、高松が伊織に向かって爽やかな笑顔を向けていた。しかも、高松が伊織の腕を掴んで立たせている。
胸の辺りがモヤッとする夾。
夾(徹夜で看病したせいかな……)
モヤッとする胸を押さえながら、夾は伊織の後ろ姿を眺めた——。



