〇龍宮のとある一室・夾
モノローグ『龍宮』『海の奥深く、それは人間には到底辿り着くことのできない場所にある』『そして、そこに住む龍神は僕だけではない』『青龍、赤龍、黒龍、白龍、金龍』『それぞれ役割が違うのだが、白龍である僕の主な役目は天帝に仕えること。そして、人間界の天候を操ることだ』
とある部屋の一室で龍神会議なる雑談会が行われる。
和室にて、それぞれが脇息に肘をついてなんとも気だるそうにそれは執り行われている。
赤龍「何故、人間の願いは私利私欲にまみれているのか」
黒龍「うむ、三千年前の方が随分と欲がなかったような気がするな」
青龍「まぁまぁ、それでも年に一度こうやって我らの願いも聞き入れてもらっているわけですし」
青龍が巻物に描かれた欲しい物リストを机の上に広げた。
金龍はそれを見て、夾に言った。
金龍「白龍も、ようやっと色恋に目覚めたか」
夾「ははは、気が付いたら僕の願いの欄に天帝様が書いておりまして……」
苦笑で返す夾。
モノローグ『基本的に龍神に恋愛は必要ない』『人間のように子が産めるわけでもないし、神なので死ぬこともない』『それでも龍神が伴侶を探すのは、娯楽の一種』『ただ、人間を伴侶にすることは、まずない』『だって、人間の寿命は短い。長くて百年、けれど龍神からしたらたったの百年』『人間の感覚でいえば三日くらいかもしれない』『その短い人生を龍神に捧げるのはどれだけ酷か』『故に他の龍神は天上界の者と伴侶になっている』
青龍「人間を伴侶にするなど、天帝様の思い付きにも困ったものですね」
金龍「まぁ、良いではないか。一度願いを書いたものは取り消せん。白龍も仕事ばかりしておらんと遊べ遊べ」
はははと笑う金龍に皆がうんうんと頷いて同調する。
夾(僕も半分はそう思ったんだ。色恋に興味はなかったけれど、お願いしてしまったのならしょうがないと)
夾「けれど、既に僕は花嫁になる女性に嫌われているようでして……」
皆が一斉に「は?」と顔をこちらに向けた。夾は一瞬たじろいだ。
夾「そんなに驚かれなくても。先日誕生日だと聞いて……でも、人間の寿命は短いでしょう。だから、祝う回数も減るので一回でも多く祝ってあげようかと神崎を訪れたのです。そこで、『大っ嫌い』と叫ばれまして」
夾(龍神は他より容姿は秀でているから、人間としてなら好かれるか試してみたけど、逢瀬の誘いも微妙な反応だったなぁ。妹の方はチョロかったけど、見た目の問題ではないらしい)
赤龍「人間の分際で龍神を拒むなど、言語道断。日本中の火山を爆発させて沈めてしまおうか」
青龍「いや、川を氾濫させて沈めた方が早いですよ」
夾「ちょ、やめて下さい。僕がこの間、雨を降らせすぎたせいかもしれませんし」
夾(ただ、嫌われていると思うと興味が湧くのは何故なのか。貪欲な人間など、さほど興味はなかったはずなのに)
黒龍「まぁ、人間を伴侶にすることは決定事項なのだ。こちらにきてから躾てやれば良い」
夾「ははは、そうですね」
ひとまず笑ってその場を過ごす夾。
夾(とはいえ、別に伴侶にするからと言って、愛を育む必要もない。伊織には何不自由ない生活を送らせてあげることで許してもらおう)
〇神崎神社の上空・十六時頃・夾
神崎神社の上空で、龍の姿になった夾は巫女姿で働く伊織を眺めている。※姿は消しているので、人間には見えない。
夾(良く働くなぁ。妹の桜は遊び呆けているのに……)
伊織を眺めていると、ポワンと僕よりも小さな小龍が現れた。
小龍「夾様、献上される前にお相手をするのは御法度ですよ」
夾「分かっている。神崎が繁栄しておるか偵察しに来ただけだ」
小龍「へぇ」
モノローグ『この疑いの目で見てくる小龍は、僕に仕え、僕の仕事の補佐をしている龍である』
小龍「まぁ、夾様は仕事一筋。他に目を向けることは良いことですけどね」
夾「うるさいなぁ、帰ってよ」
そう言って、伊織の方に再び目を向ける。
モノローグ『ここに来たのは、神崎の人間であるにも関わらず、彼女が我々龍神を嫌う理由を探るため』『妹の桜は、異能が扱えることを喜び、感謝はされど、嫌ってはいなさそうだった』『そして、彼女の曇った表情』『それが忘れられないのだ』
伊織は神職に後を任せ、境内の奥の方にある自宅に戻る。
夾「僕、ちょっと行ってくる」
小龍「夾様、偵察しに来ただけでは?」
夾「うん。偵察してくる」
そう言って、夾は草陰に降り立ち、人間の姿に形を変えた。※服装は、ラフな現代人風。
小龍「何を偵察なさるのやら」※呆れたような呟きは、夾には届いていない。
〇台所・伊織
夕飯の準備をする伊織。
モノローグ『不毛な扱いを受けてもなお、料理を作らされていることが悔しい』『けれど、逃げ出すことも、ましてや拒むことも出来ない自分に嫌気がさす』
大根を切りながら、ふと思った。
伊織(私がいなくなったら、誰がごはん作るんだろう。お弟子さん達かな)
モノローグ『母は、料理が大の苦手』『亡き祖母に習ってはいたようだが、私が無能だと分かってからは、私に押し付けるようになった』『桜も料理はしない』
伊織(ま、私が心配することでもないか)
伊織は切った大根を鍋に入れた。
そんな時だった。換気のために少し開けておいた小窓の方から小さく声がした。
夾「伊織」
伊織「え?」
顔を上げれば夾がいた。
伊織「きゃッ!」
夾「しー」
夾は、唇の前に人差し指を立てた。
伊織「夾……さん?」
夾「今、一人?」
伊織「そうですけど。どうしてここに?」
夾「この間、伊織が神社に来いって言ってたじゃん」
伊織は、カフェでの出来事を思い出す。
〇回想中(第二話)
伊織「あの、私……神崎神社の伊織なんです」
寂しげにモンブランをパクリと食べる伊織に、夾はキョトンとした顔で聞いてきた。
夾「それは、神社でデートしようってこと? 俗に言う、おうちデート的な?」
〇現実に戻る
伊織「も、もしかして、おうちデ、デ、デートってやつですか!?」※困惑しながら。
夾「そう、それ」
伊織「でも、夾さんは、桜と付き合ってるんですよね?」
伊織(桜が、あの後自慢気に『夾さんと付き合うことになったんだよね』って言ってたけど)※桜の回想絵
夾「は? ないない。僕はこう見えて一途だからさ、金龍みたいに伴侶を複数人連れたりはしないよ」
伊織(きんりゅう? 人の名前かな? てか、伴侶って古ッ! やっぱ神社かお寺の人かな?)
またもや引っ掛かりを覚える伊織だが、夾が桜と付き合っていなかったことに安堵する。
伊織(桜と付き合ってないんだ。良かった。って、何で私ホッとしてるんだろう)
夾「何作ってんの?」
伊織「大根のお味噌汁です」
夾「味見しても良い?」
伊織「構いませんけど……」
伊織が勝手口を開けて、辺りを見渡した。
夾「ああ、あの黒いスーツの二人なら、いないよ」
伊織「え?」
夾「なんか、用事あるって」
伊織「用事?」
夾(本当は裏で眠ってもらってるんだけどね。目障りだから)
夾「入って良い?」
伊織「え、ええ。ですが、まだお味噌を入れていないので、少々お待ち頂けますか?」
勝手口から中に入って来た夾に、伊織は丸椅子をすすめる。
そこへ座る夾は、興味深げに台所の中を眺めた。
伊織「夾さんは、お料理は?」
夾「うん。年に一回、元旦の日くらいかな」
モノローグ『龍神は基本食事は不要』『色恋同様に食事も娯楽の一種』
夾は食べる頻度を応えたのだが、伊織は作る頻度だと勘違い。
伊織「へぇ。そうなんですね」
伊織(元旦に作るなんて変わってるなぁ。おせち料理食べないのかな)
伊織「では、普段はどうしてるんですか?」
夾「普段は、仕事で忙しいから」
伊織は、ぐつぐつと煮立った鍋の火を切り、味噌を溶かし始める。
夾「良い香りだ」
自然と表情が穏やかになる夾。
伊織「しかし、それでは栄養が偏りそうですね」
夾「栄養なんて気にする必要ないからさ」
伊織「ダメですよ! 食物繊維にタンパク質、ミネラル、その他にもバランスよく摂取しないと」
説教じみたように言う伊織は、お椀に味噌汁を注ぎ、箸と共にそれを手渡す。
伊織「どうぞ。お熱いので、お気をつけ」
伊織の助言は遅かった。
夾「熱ッ!」
舌をべッと出す夾。
夾「火傷した」
伊織「ふふふ、すぐにお水準備致しますね」
夾「ごめん」
夾(僕、格好悪……)
味噌汁にフーフーと息を吹きかける夾は、改めて味噌汁に口をつけた。
夾「んんッ。美味」
伊織は、水の入ったコップをトンと机の上に置く。
伊織「ふふ、お口に合ったようで良かったです」
小さく笑った伊織の顔を見た夾は、トクンと胸が跳ねた。
伊織「どうかなさいましたか?」
夾「あ、いや……ちゃんと笑えるんだなって」
伊織「え?」
夾「今日ずっと表情暗かったからさ、笑えないのかと思って」
伊織「ずっと……?」
慌てる夾。
夾「この間、カフェで全然笑わなかったでしょ? 笑っても愛想笑いみたいな」
伊織「まぁ、あの時は……」
伊織(生贄にされるって聞いて間もなかったし。でも私、それより前から、ちゃんと笑ってなかったかも)
モノローグ『夾さんといると、無能の神崎伊織じゃなくなる』『ただの神崎伊織』『このままずっと一緒に――――』『けれど、それは叶わない』
伊織の目からは涙がこぼれ落ちた。
夾「伊織?」
伊織は涙を拭いながら無理に笑顔を作る。
伊織「あれ? 私、笑いたいのに。なんでかな。涙が止まんない」
拭っても拭っても止まらない涙を誤魔化すように、伊織は玉ねぎの皮をむき始めた。
伊織「玉ねぎって、涙出ますよね」
夾「伊織……どうして」
伊織「あー、しみるなぁ。あ、せっかくなので、お芋の煮っころがし持って帰ります? もうすぐ出来上がりますけど」
複雑な顔で応える夾。
夾「じゃあ、貰おうかな」
伊織「すぐに包みますね」
伊織がタッパーに詰め終わる頃には、何とか涙が止まったよう。
無理に笑う伊織は、風呂敷を固く結んで言った。
伊織「タッパーは、返さなくて大丈夫なので。それからあの……美味しいって言ってくれて、ありがとうございます。お世辞でも嬉しかったです」
夾「お世辞なんて言う訳ないじゃん」
伊織「え?」
夾「本心。伊織の手料理を毎日食べられる御家族は羨ましいよ」
伊織「でも、みんな……」
夾「美味しいって言ってくれないの?」
伊織は俯き加減に黙った。しかし、すぐに首を横にふる。
伊織「いえ、多分私がいけないんです。私が――――」
夾「無能だから?」
伊織「え」
固まる伊織。
伊織(今すぐに逃げ出したい。無能だってバレてた……。もしかして、今日はそれを嘲笑いに……?)
伊織の目に映る夾が、意地悪な笑いを浮かべているように見える。両親や桜、学校の人らのように、薄ら笑う姿に見えてきた。※錯覚。
夾「昨日、桜ちゃんが言ってたよ。『私と違って、お姉ちゃんは無能なんだよ』って」※桜の回想絵
伊織「…………」
夾「伊織は無能なんかじゃないのにね。伊織?」
顔を覗き込んでくる夾を見て、我に返る伊織は苦笑を浮かべる。
伊織「ははは、そうなんですよね。この家で、私だけ無能で」
夾「伊織、もしかして気付いてないの?」
伊織「えっと、何にでしょうか?」
夾(これは、自分の異能に気付いていない顔だ。言っても良いものか……でも、何で僕が知ってんのってことになるし……)
夾「何でもない。じゃ、これは頂いていくね」
夾は嬉しそうに芋の煮っころがしの入った風呂敷を手に取った。
夾「じゃ、また」
伊織「はい。また」
伊織(ん……? また?)
〇勝手口の裏
勝手口の裏で育てているシソの葉を摘む伊織。
伊織「ごめんね。せっかく大きく育ったのに」
シソ『ううん。うちの子はすぐに増えるから。適度に摘んでもらった方が育ちも良いし』
伊織「そう言ってくれると有難いよ。大事に食べるからね」
シソ『ありがとう』
モノローグ『私はいつも、草花や木とお話をしている』『人間は私を無能だと罵るけれど、彼らだけは私の話を聞いてくれるから』
伊織「でもさ、『また』って何だと思う?」
シソの隣に自然と生えたヨモギが応える。
ヨモギ『そりゃ、あれだろ。また会おうってことだろ?』
伊織「でも、私が無能って知ってるんだよ」
ヨモギ『また言ってるぜ。伊織は無能じゃないって言ってんじゃん』
伊織「だけど、ほら」
伊織が何もないところに手を翳す。そして、そこに力を込めて念じてみる。
――し~ん。
監視の二人が慌てた様子で戻ってくる姿が見え、妙に恥ずかしくなる伊織。
伊織「ほ、ほら。何も起こんないじゃん」
そう言って、伊織は台所に戻っていった――――。
モノローグ『龍宮』『海の奥深く、それは人間には到底辿り着くことのできない場所にある』『そして、そこに住む龍神は僕だけではない』『青龍、赤龍、黒龍、白龍、金龍』『それぞれ役割が違うのだが、白龍である僕の主な役目は天帝に仕えること。そして、人間界の天候を操ることだ』
とある部屋の一室で龍神会議なる雑談会が行われる。
和室にて、それぞれが脇息に肘をついてなんとも気だるそうにそれは執り行われている。
赤龍「何故、人間の願いは私利私欲にまみれているのか」
黒龍「うむ、三千年前の方が随分と欲がなかったような気がするな」
青龍「まぁまぁ、それでも年に一度こうやって我らの願いも聞き入れてもらっているわけですし」
青龍が巻物に描かれた欲しい物リストを机の上に広げた。
金龍はそれを見て、夾に言った。
金龍「白龍も、ようやっと色恋に目覚めたか」
夾「ははは、気が付いたら僕の願いの欄に天帝様が書いておりまして……」
苦笑で返す夾。
モノローグ『基本的に龍神に恋愛は必要ない』『人間のように子が産めるわけでもないし、神なので死ぬこともない』『それでも龍神が伴侶を探すのは、娯楽の一種』『ただ、人間を伴侶にすることは、まずない』『だって、人間の寿命は短い。長くて百年、けれど龍神からしたらたったの百年』『人間の感覚でいえば三日くらいかもしれない』『その短い人生を龍神に捧げるのはどれだけ酷か』『故に他の龍神は天上界の者と伴侶になっている』
青龍「人間を伴侶にするなど、天帝様の思い付きにも困ったものですね」
金龍「まぁ、良いではないか。一度願いを書いたものは取り消せん。白龍も仕事ばかりしておらんと遊べ遊べ」
はははと笑う金龍に皆がうんうんと頷いて同調する。
夾(僕も半分はそう思ったんだ。色恋に興味はなかったけれど、お願いしてしまったのならしょうがないと)
夾「けれど、既に僕は花嫁になる女性に嫌われているようでして……」
皆が一斉に「は?」と顔をこちらに向けた。夾は一瞬たじろいだ。
夾「そんなに驚かれなくても。先日誕生日だと聞いて……でも、人間の寿命は短いでしょう。だから、祝う回数も減るので一回でも多く祝ってあげようかと神崎を訪れたのです。そこで、『大っ嫌い』と叫ばれまして」
夾(龍神は他より容姿は秀でているから、人間としてなら好かれるか試してみたけど、逢瀬の誘いも微妙な反応だったなぁ。妹の方はチョロかったけど、見た目の問題ではないらしい)
赤龍「人間の分際で龍神を拒むなど、言語道断。日本中の火山を爆発させて沈めてしまおうか」
青龍「いや、川を氾濫させて沈めた方が早いですよ」
夾「ちょ、やめて下さい。僕がこの間、雨を降らせすぎたせいかもしれませんし」
夾(ただ、嫌われていると思うと興味が湧くのは何故なのか。貪欲な人間など、さほど興味はなかったはずなのに)
黒龍「まぁ、人間を伴侶にすることは決定事項なのだ。こちらにきてから躾てやれば良い」
夾「ははは、そうですね」
ひとまず笑ってその場を過ごす夾。
夾(とはいえ、別に伴侶にするからと言って、愛を育む必要もない。伊織には何不自由ない生活を送らせてあげることで許してもらおう)
〇神崎神社の上空・十六時頃・夾
神崎神社の上空で、龍の姿になった夾は巫女姿で働く伊織を眺めている。※姿は消しているので、人間には見えない。
夾(良く働くなぁ。妹の桜は遊び呆けているのに……)
伊織を眺めていると、ポワンと僕よりも小さな小龍が現れた。
小龍「夾様、献上される前にお相手をするのは御法度ですよ」
夾「分かっている。神崎が繁栄しておるか偵察しに来ただけだ」
小龍「へぇ」
モノローグ『この疑いの目で見てくる小龍は、僕に仕え、僕の仕事の補佐をしている龍である』
小龍「まぁ、夾様は仕事一筋。他に目を向けることは良いことですけどね」
夾「うるさいなぁ、帰ってよ」
そう言って、伊織の方に再び目を向ける。
モノローグ『ここに来たのは、神崎の人間であるにも関わらず、彼女が我々龍神を嫌う理由を探るため』『妹の桜は、異能が扱えることを喜び、感謝はされど、嫌ってはいなさそうだった』『そして、彼女の曇った表情』『それが忘れられないのだ』
伊織は神職に後を任せ、境内の奥の方にある自宅に戻る。
夾「僕、ちょっと行ってくる」
小龍「夾様、偵察しに来ただけでは?」
夾「うん。偵察してくる」
そう言って、夾は草陰に降り立ち、人間の姿に形を変えた。※服装は、ラフな現代人風。
小龍「何を偵察なさるのやら」※呆れたような呟きは、夾には届いていない。
〇台所・伊織
夕飯の準備をする伊織。
モノローグ『不毛な扱いを受けてもなお、料理を作らされていることが悔しい』『けれど、逃げ出すことも、ましてや拒むことも出来ない自分に嫌気がさす』
大根を切りながら、ふと思った。
伊織(私がいなくなったら、誰がごはん作るんだろう。お弟子さん達かな)
モノローグ『母は、料理が大の苦手』『亡き祖母に習ってはいたようだが、私が無能だと分かってからは、私に押し付けるようになった』『桜も料理はしない』
伊織(ま、私が心配することでもないか)
伊織は切った大根を鍋に入れた。
そんな時だった。換気のために少し開けておいた小窓の方から小さく声がした。
夾「伊織」
伊織「え?」
顔を上げれば夾がいた。
伊織「きゃッ!」
夾「しー」
夾は、唇の前に人差し指を立てた。
伊織「夾……さん?」
夾「今、一人?」
伊織「そうですけど。どうしてここに?」
夾「この間、伊織が神社に来いって言ってたじゃん」
伊織は、カフェでの出来事を思い出す。
〇回想中(第二話)
伊織「あの、私……神崎神社の伊織なんです」
寂しげにモンブランをパクリと食べる伊織に、夾はキョトンとした顔で聞いてきた。
夾「それは、神社でデートしようってこと? 俗に言う、おうちデート的な?」
〇現実に戻る
伊織「も、もしかして、おうちデ、デ、デートってやつですか!?」※困惑しながら。
夾「そう、それ」
伊織「でも、夾さんは、桜と付き合ってるんですよね?」
伊織(桜が、あの後自慢気に『夾さんと付き合うことになったんだよね』って言ってたけど)※桜の回想絵
夾「は? ないない。僕はこう見えて一途だからさ、金龍みたいに伴侶を複数人連れたりはしないよ」
伊織(きんりゅう? 人の名前かな? てか、伴侶って古ッ! やっぱ神社かお寺の人かな?)
またもや引っ掛かりを覚える伊織だが、夾が桜と付き合っていなかったことに安堵する。
伊織(桜と付き合ってないんだ。良かった。って、何で私ホッとしてるんだろう)
夾「何作ってんの?」
伊織「大根のお味噌汁です」
夾「味見しても良い?」
伊織「構いませんけど……」
伊織が勝手口を開けて、辺りを見渡した。
夾「ああ、あの黒いスーツの二人なら、いないよ」
伊織「え?」
夾「なんか、用事あるって」
伊織「用事?」
夾(本当は裏で眠ってもらってるんだけどね。目障りだから)
夾「入って良い?」
伊織「え、ええ。ですが、まだお味噌を入れていないので、少々お待ち頂けますか?」
勝手口から中に入って来た夾に、伊織は丸椅子をすすめる。
そこへ座る夾は、興味深げに台所の中を眺めた。
伊織「夾さんは、お料理は?」
夾「うん。年に一回、元旦の日くらいかな」
モノローグ『龍神は基本食事は不要』『色恋同様に食事も娯楽の一種』
夾は食べる頻度を応えたのだが、伊織は作る頻度だと勘違い。
伊織「へぇ。そうなんですね」
伊織(元旦に作るなんて変わってるなぁ。おせち料理食べないのかな)
伊織「では、普段はどうしてるんですか?」
夾「普段は、仕事で忙しいから」
伊織は、ぐつぐつと煮立った鍋の火を切り、味噌を溶かし始める。
夾「良い香りだ」
自然と表情が穏やかになる夾。
伊織「しかし、それでは栄養が偏りそうですね」
夾「栄養なんて気にする必要ないからさ」
伊織「ダメですよ! 食物繊維にタンパク質、ミネラル、その他にもバランスよく摂取しないと」
説教じみたように言う伊織は、お椀に味噌汁を注ぎ、箸と共にそれを手渡す。
伊織「どうぞ。お熱いので、お気をつけ」
伊織の助言は遅かった。
夾「熱ッ!」
舌をべッと出す夾。
夾「火傷した」
伊織「ふふふ、すぐにお水準備致しますね」
夾「ごめん」
夾(僕、格好悪……)
味噌汁にフーフーと息を吹きかける夾は、改めて味噌汁に口をつけた。
夾「んんッ。美味」
伊織は、水の入ったコップをトンと机の上に置く。
伊織「ふふ、お口に合ったようで良かったです」
小さく笑った伊織の顔を見た夾は、トクンと胸が跳ねた。
伊織「どうかなさいましたか?」
夾「あ、いや……ちゃんと笑えるんだなって」
伊織「え?」
夾「今日ずっと表情暗かったからさ、笑えないのかと思って」
伊織「ずっと……?」
慌てる夾。
夾「この間、カフェで全然笑わなかったでしょ? 笑っても愛想笑いみたいな」
伊織「まぁ、あの時は……」
伊織(生贄にされるって聞いて間もなかったし。でも私、それより前から、ちゃんと笑ってなかったかも)
モノローグ『夾さんといると、無能の神崎伊織じゃなくなる』『ただの神崎伊織』『このままずっと一緒に――――』『けれど、それは叶わない』
伊織の目からは涙がこぼれ落ちた。
夾「伊織?」
伊織は涙を拭いながら無理に笑顔を作る。
伊織「あれ? 私、笑いたいのに。なんでかな。涙が止まんない」
拭っても拭っても止まらない涙を誤魔化すように、伊織は玉ねぎの皮をむき始めた。
伊織「玉ねぎって、涙出ますよね」
夾「伊織……どうして」
伊織「あー、しみるなぁ。あ、せっかくなので、お芋の煮っころがし持って帰ります? もうすぐ出来上がりますけど」
複雑な顔で応える夾。
夾「じゃあ、貰おうかな」
伊織「すぐに包みますね」
伊織がタッパーに詰め終わる頃には、何とか涙が止まったよう。
無理に笑う伊織は、風呂敷を固く結んで言った。
伊織「タッパーは、返さなくて大丈夫なので。それからあの……美味しいって言ってくれて、ありがとうございます。お世辞でも嬉しかったです」
夾「お世辞なんて言う訳ないじゃん」
伊織「え?」
夾「本心。伊織の手料理を毎日食べられる御家族は羨ましいよ」
伊織「でも、みんな……」
夾「美味しいって言ってくれないの?」
伊織は俯き加減に黙った。しかし、すぐに首を横にふる。
伊織「いえ、多分私がいけないんです。私が――――」
夾「無能だから?」
伊織「え」
固まる伊織。
伊織(今すぐに逃げ出したい。無能だってバレてた……。もしかして、今日はそれを嘲笑いに……?)
伊織の目に映る夾が、意地悪な笑いを浮かべているように見える。両親や桜、学校の人らのように、薄ら笑う姿に見えてきた。※錯覚。
夾「昨日、桜ちゃんが言ってたよ。『私と違って、お姉ちゃんは無能なんだよ』って」※桜の回想絵
伊織「…………」
夾「伊織は無能なんかじゃないのにね。伊織?」
顔を覗き込んでくる夾を見て、我に返る伊織は苦笑を浮かべる。
伊織「ははは、そうなんですよね。この家で、私だけ無能で」
夾「伊織、もしかして気付いてないの?」
伊織「えっと、何にでしょうか?」
夾(これは、自分の異能に気付いていない顔だ。言っても良いものか……でも、何で僕が知ってんのってことになるし……)
夾「何でもない。じゃ、これは頂いていくね」
夾は嬉しそうに芋の煮っころがしの入った風呂敷を手に取った。
夾「じゃ、また」
伊織「はい。また」
伊織(ん……? また?)
〇勝手口の裏
勝手口の裏で育てているシソの葉を摘む伊織。
伊織「ごめんね。せっかく大きく育ったのに」
シソ『ううん。うちの子はすぐに増えるから。適度に摘んでもらった方が育ちも良いし』
伊織「そう言ってくれると有難いよ。大事に食べるからね」
シソ『ありがとう』
モノローグ『私はいつも、草花や木とお話をしている』『人間は私を無能だと罵るけれど、彼らだけは私の話を聞いてくれるから』
伊織「でもさ、『また』って何だと思う?」
シソの隣に自然と生えたヨモギが応える。
ヨモギ『そりゃ、あれだろ。また会おうってことだろ?』
伊織「でも、私が無能って知ってるんだよ」
ヨモギ『また言ってるぜ。伊織は無能じゃないって言ってんじゃん』
伊織「だけど、ほら」
伊織が何もないところに手を翳す。そして、そこに力を込めて念じてみる。
――し~ん。
監視の二人が慌てた様子で戻ってくる姿が見え、妙に恥ずかしくなる伊織。
伊織「ほ、ほら。何も起こんないじゃん」
そう言って、伊織は台所に戻っていった――――。



