――翌日の放課後。淡い夕日が、昇降口の窓を朱く染めていた。
 私は賑わいに包まれている三年生の昇降口へ足を運び、敦生先輩を呼び止めた。
 二人でグラウンドの傍にあるベンチに腰を落とす。
 風が砂をさらうたび、グラウンドが波打つように見えた。

 私は、好きな人を事故で失ったこと、そして約束が怖くなったことも伝えた。
 ここまで話せば、少しはわかってもらえると思っていた。

「……だから、偽彼女は無理なんです」

 スカートの上で、そっと拳を握りしめた。
 沈黙が続き、もう諦めてくれるだろうと思っていた――ところが。

「実は俺、信じていた人に裏切られていたんだ。なにも知らないで浮かれていた自分が、バカだなと思うくらい」

 予想外のカミングアウトだった。
 私の目線は吸い寄せられる。

「えっ」
「ごめん。……気持ちを試させてもらった。人を信じるのが怖くて」

 遠くを見つめている彼の瞳は、過去の傷を撫でているかのよう。
 でも、もしかしたら嘘かもしれない――。

「ひどい……。私、本気で心配してたのに」

 勢いよく立ち上がった瞬間、彼に手首を掴まれた。
 振り返ると、真剣な眼差しが突き刺さる。

「こっちこそ、本気で悩んでる。あんたは俺が言ったことを考えてくれたし、偽彼女になれない理由も伝えに来た」
「だって、それは……」
「そういうところを含めて頼みたい。……ようやく、変われそうな気がしたから」

 心の奥が、砂嵐に巻き込まれてしまったようにざらついた。

 なによ、それ。
 自分が試されていたなんて、気づかなかった。
 こっちは真剣に悩んで、過去をさらけ出したというのに。

 ――だけど、彼が嘘をついているような目には見えなかった。

「無理。偽物でも先輩の彼女になったら、准平を裏切ることになる。准平は、これからも私を好きでいてくれるから」

 彼から手を離し、マフラーの端を握る。
 どんな事情があっても、私は変わらない――准平のことを想い続けている限り。

「彼女が欲しいわけじゃない。信じられる人が傍にいてほしいだけ」
「……みんなにそう言ってるんじゃないの?」

 心臓がバクバクと波打ち始めた。
 疑いの眼差しで聞くと、彼はスマホを出して電話帳を開き、私に向けた。

「そう思うなら、消していいよ」
「えっ! ……でも、消したら困る番号だっていっぱいあるんじゃ」

 スマホに反射した太陽の光で、彼の表情が一瞬柔らかく見えた。
 その瞬間、胸の奥の氷が少しずつ溶け始めた気がした。

「べつに。……たぶん今は、あんたくらいしか信じられそうにないし」

 呼吸が浅くなるほど、胸がぎゅっとしめつけられた。
 本心で言ってるかわからないし、正直こんな提案自体、バカバカしい。
 好きでもない人に偽彼女を頼むなんて、やっぱりおかしい。

 でも、その眼差しがあまりにもまっすぐで、嘘をついているようには見えなかった。
 その話がもし本当なら、断ったことを後悔するような気がする。
 同時に、イヤホンを壊した罪悪感も、心の奥で静かに疼いていた。

 考えれば、たったの1ヶ月間。それくらいなら、我慢できるのではないか。
 この試練さえ乗り越えれば、イヤホンの件を許してくれるのだから。

「じゃあ、1ヶ月間だけなら……」

 目線を斜めに落として、呟いた。
 この期間が早く終わることを願いながら。

「本当に、いいの?」

 木々のざわめきと共に、少し明るい声が届く。
 目を合わせると、彼はふっと微笑んだ。

 准平の笑顔が胸の奥に焼き付いてる限り、私は裏切らない。
 偽彼女といっても、あくまで弁償のひとつに過ぎないし。
 スカートの膝元を握り、こくんと頷いた。

「でも、私には忘れられない人がいる。……1ヶ月後には、赤の他人になってもらうからね」

 こうして、私と敦生先輩は、期間限定の偽恋人になった。
 この短い時間が、彼と私を少しずつ変える始まりになることも、まだ知らずに――。