――墓苑を離れた後、街へ出てアルバイトを探した。
 やはり、私には弁償の道しか選べない。

 ネオンが滲む夜の街を歩く。
 時おり、車のライトが降り注ぎ、ざわめきをより賑やかせていた。

「やっぱり、バイト代で返すのが筋よね……」

 白い息を吐き、胸の奥のざわめきを押し込めながら、カフェを離れた。
 イヤホンを返せば、悩みは消えるだろう。

 ポケットに手を突っ込んだまま辺りを見回していると、背後から靴音が接近してきた。

「ねぇ、どこへ行くの?」

 男性に声をかけられ、振り返る。
 そこには二十代前半くらいの少し派手めな人が立っていた――ナンパ、か。
 無視して先を歩くが、彼はついてくる。

「ほんのちょっとだけでいいからさ、話そうよ。お願い!」

 反射的に手首を掴まれた。
 心臓が波打ち、息を呑んだ。
 怖い……。背筋が凍って足が動かない。
 人と関わりたくないから、アルバイトを避けてきたのに、こんな目に遭うなんて。

「嫌だって言ってんの!」

 きつい口調で言い、軽く睨みつけると、男性の隣に人が現れて手首を離した――敦生先輩だ。
 予想外の事態に、自然と目が見開く。

「こいつ、俺のツレだから、触んないでくれない?」

 敦生先輩はそういうと、男性は舌打ちして離れていった。
 私は敦生先輩から顔を背けた。

「どうして余計なことをするの? これ以上、借りを増やしたくないのに」

 素直にありがとう、とか――言えない。
 偽彼女の件で腹が立っていることもあって、敬語を忘れた。

「たまたま通りがかってね。それに、あんたが辛そうに見えたし」
「私のことなんて、関係ないでしょ」

 もう二度と傷つきたくないから、距離を置きたかった。
 歩くスピードを上げると、敦生先輩は背中から声を浴びせた。

「ねぇ、どうしてそんなに突っ張ってんの?」

 ピクンと指先が揺れる。
 その言葉が、心のかさぶたをめくり始めた。

「好きな人がいるって言ったでしょ。それに、あなたみたいな軽い人と関わりたくない」

 敦生先輩の顔を見たせいか、イヤホンのことを急に思い出した。
 カバンから自分のネックバンドイヤホンを取り出す。
 彼の元へ行き、手のひらに乗せると、白いイヤホンが街灯でキラリと反射した。

「バイト代を貯めたら必ずイヤホンを弁償する。その間、これを使っててくれない?」

 いますぐ弁償できないから、その間のつなぎにと思っていた。
 敦生先輩はじっと見つめたまま、指一つ動かない。

「……なに、それ」

 思わず背筋が伸び、手のひらが少し震えた。

「えっ」
「悪いけど、あれの代わりになるものなんてない」

 まっすぐに向けられた瞳に、私は目線を落とした。
 これが最大限できる配慮だったのに。

「それに、軽い人で片付けないでくれない? 俺の気持ちなんて、知らないくせに」
「そう思われたくないなら、違う方法にしてよ。適任者がいるでしょ」

 きつく返事をすると、敦生先輩は首を傾けた。

「……俺のこと、よく知ってるね」
「有名人だからね。毎月のように彼女変えてるって噂になってるし」

 そんな人の事情に巻き込まれたくないし、関わりたくない。
 そこまで心に余裕ない。

「俺は、あんたがいいから頼んでる」

 心臓が跳ね、見上げた。

「えっ」
「似てるんだ、あんたは俺に」

 街灯に照らされている瞳に、暗い影が宿っていた。
 ――2年前の私と同じように。
 車のクラクションが、気持ちに向かい風を送った。
 だけど、私には関係ない。

「似てるなんて、勘弁して。私はそんなに軽くない!」

 怒鳴りつけたあと、暗闇に向かって逃げた。
 白い息とともに、嫌な記憶を押し込めた。


 ――就寝前。
 ベッドに腰をかけて、写真立ての准平を見つめた。
 指先で写真を撫でていると、瞳に小さな雫が浮かび上がった。

 心の中で准平が生きてる限り、この気持ちは揺らがない。

 きっと、他の子なら偽彼女でも喜ぶだろう。
 でも、私には無理。
 偽彼女になれない理由を素直に言えば、諦めてくれるかな。

 深いため息をつき、彼の言葉を思い出す。
 似てる、と言ってきたあのときの目が、事情を抱えていそうな気がした。

 間接照明の灯りが、暗い表情に影を作った。