何もかも失った。言葉通り何もかも。今夜寝泊まりする家ですら怪しいところだ。
勢いのまま飛び出してきたせいで、服は紺色のブラウスにベージュのパンツスーツとちゃんとした格好なのに、足元はつっかけばきのスリッパだ。
「どうしよ」
夕焼け空を見上げた里奈(りな)は他人事のように呟く。
幸いなことにスマホは持ち出していたので、とりあえず今夜の宿を探そうと思ってトークアプリを立ち上げた。
トーク履歴の一番上は彼氏──元彼氏で、底から三十軒近く会社の公式SNSから送られてくる宣伝が続く。元カレ以外で残っている1番最近のトーク履歴といえば、八か月前の自分の誕生日に母親から送られてきた「誕生日おめでとう」というメッセージだった。
友人付き合いは彼が嫌がるからやめたんだった。休みの日は彼だけのために毎週二日とも空けていた。けれども気が付けば家で彼の帰りを待つ日々が増えていき、最近は月曜日の朝に帰ってくる彼をおかえりと迎える日々が続いていた。
思い返せば親友と呼べる友達もいない。友達とよべる相手は何人か思いついたけれど、急に今から泊まっていい?と言えるような仲でもない。なんなら向こうは友達とすら思っていないかもしれない、というくらいだ。
「お腹すいたな」
クリームシチューが食べたい。今日は早めに仕事が終わったから、クリームシチューを作る予定でスーパーに立ち寄り家に帰った。本来なら今頃泣きながら玉ねぎと格闘していたはずなのに、どうしてこんな場所で途方に暮れているんだろう。
彼が好きなクリームシチューを作る予定だったのに。
また彼のことを考えている自分に気が付き俯いた。この三年、彼だけのために生きてきたようなものだった。急に生活の中心だった彼を失い──この場合は彼から捨てられ、の方が正しいのかもしれないけれど──自分が次に何をすればいいのかが分からなくなっていた。