士官学校・中央講堂。
試験開始時刻、午前八時ちょうど。
整然と並ぶ長机に、二百名の士官候補生が一斉に鉛筆を握った。
窓の外には冬の朝靄。講堂の高い天井には、試験官の声だけが冷えた空気を震わせている。

「戦術論・筆記試験。制限時間は百二十分。問題用紙は裏返し。開始の合図まで、一切手を触れるな」

プロートは最前列の右端に座っていた。
机の上の問題用紙には、赤い「秘」の印が押された封筒が綴じてある。
ダークブルーグレーの瞳が、わずかに揺れた。
隣の席は空席。——監視官は。

後方の教官席に立つのはオジェだった。
白い髪をなでつけ、銀の警官章が朝日に淡く光る。
シルクのドレスシャツに黒のネクタイ。怜悧な視線が、ほんの一瞬だけプロートに留まる。

「——開始」

紙のめくれる音が、波のように講堂を満たした。

【第一問】
「市街戦における小隊規模の包囲戦。敵は建物三棟を拠点化。味方火力は小銃・擲弾筒のみ。死傷者を出さず、三十分以内に制圧せよ。図面は別紙。指揮官として、段階的指示を記述せよ。」

プロートは息を呑む。
別紙の図面には、赤い×印が三つ。敵拠点。
青い○印——味方小隊。
そして、図面の隅に、赤ペンで小さく書かれた文字があった。

『血を見ない選択を、忘れるな。——O』

指先がかすかに震える。
プロートは鉛筆を握り直し、答案用紙に書きつけた。

【答案】
 1 煙幕展開(擲弾筒三発)。視界遮断。
 2 右翼班(四名)を建物A陰に迂回。
 3 左翼班(四名)を建物C裏口へ。
 4 中央班(プロート)は建物B正面に残留。
  → 敵の注意を引きつけ、側面からの同時突入を誘導。
 5 突入時、ゴム弾使用。
  → 戦意喪失を優先、死傷ゼロ。

書き終え、深呼吸を一つ。
残り時間はまだ九〇分。次の問題へと目を滑らせる。

【第二問】
「夜間、敵補給線を断つ。ただし民間人の避難ルートと重複。爆破は不可。敵兵力は不明。指揮官として、どのような『非殺傷手段』を講じるか。」

唇を噛む。脳裏に、血の匂いがちらついた。
だが胸の奥には、あの赤い筆跡が焼きついている。

【答案】
 1 偵察班(二名)を派遣。敵補給トラックのナンバー確認。
 2 偽装信号弾(青色)発射。
   → 敵に「味方増援到着」と誤認させる。
 3 民間人ルートには仮設バリケード(倒木・ロープ)を設置。
   → トラック停止。
 4 拡声器で降伏を勧告。
   → 敵兵、武器放棄。
 5 補給物資は押収。人的被害ゼロ。

鉛筆が止まる。残り三〇分。最後の設問。

【第三問・記述式】
「あなたが指揮官であるとき、『撃つべきか、撃たざるべきか』の判断基準を、二百字以内で述べよ。」

プロートは目を閉じた。
オジェの声が、静かに耳の奥に蘇る。

『君は、戦場で人を撃つためにここにいるんじゃない。』

鉛筆が走る。

【答案】
「撃つべきか否かは、守れる命の数で決める。一人の命を救えるなら、百の銃口を向けられても、引き金を引かない。それが、私の戦術だ。」

書き終え、答案を整える。
立ち上がり、提出ボックスへ。
教官席のオジェが、無言でこちらを見つめている。
プロートは軽く一礼し、答案を差し出した。

オジェは受け取り、赤ペンで短く文字を添える。

『合格。夜景の部屋で、紅茶を淹れる。——腕立ては、なしだ。』

プロートは小さく笑った。
講堂を出ると、冬の陽射しがダークブルーグレーの髪を照らす。
冷たい空気の中に、微かな温もりが残った。