超高層マンションの最上階。雲を突くような高さから街を見下ろすリビングルームに、夜景が巨大なガラス窓いっぱいに広がっていた。ネオンの光が白い大理石の床に反射し、まるで別の星空が足もとに揺らめいているようだった。
オジェはシルクのドレスシャツの袖を肘まで捲り上げ、無言のまま紅茶を淹れていた。白い髪が蛍光灯の下で銀のように光を帯び、感情を映さない白色の瞳が、カップの蒸気を淡く捉える。胸ポケットの銀の警官章が、わずかに光を弾いた。
「プロート、起きてるか」
低く響く声。返事の代わりに、奥の書斎で紙をめくる音が止まった。
「……はい、今」
士官学校の制服の上からカーディガンを着たプロートが、書斎から現れる。ダークブルーグレーの髪は寝癖で跳ね、同じ色の瞳は疲れを隠せていない。手には分厚い小説の原稿用紙。父の命令で士官学校に入ったものの、心はいつも別の場所にあった。
オジェは黙ってコーヒーカップを差し出す。受け取った瞬間、指先が触れ合い、わずかな温もりが伝わる。
「また徹夜か」
「……原稿が、進まなくて」
プロートは両手でカップを包み、窓際のソファに腰を下ろした。眼下に広がる街の灯りは、彼の描く物語よりも遥かに残酷で、そして美しかった。
オジェは隣に座らず、立ったままプロートのそばに寄り添う。白い手が、そっと肩に置かれた。
「士官学校の試験は?」
「……明後日です。でも、戦術論なんて……」
「嫌いだろう」
思いがけない言葉に、プロートは顔を上げる。オジェの声は淡々としていたが、どこか深い理解が滲んでいた。
「僕は知っている。君が血を見たくないことも、喧嘩を嫌うことも。ただ、時代は選ばせてくれない」
白い指が、静かにプロートの髪を梳く。その手つきは、壊れ物を扱うようだった。
「だから、ここにいる」
プロートはカップをテーブルに置き、震える指でオジェのシャツの裾を掴む。シルクの冷たい感触が、心の奥まで染みる。
「オジェさん……僕、こんなところで小説を書いていていいんですか? 父親は、士官になって家を継げって……」
「僕が許す」
オジェの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。怜悧な顔に、氷が溶けて光が滲む。
「ここは僕の城だ。君の夢も、ここに置いて」
プロートは目を伏せる。窓の外では遠くでサイレンが鳴り、夜の街を引き裂く。銀の警官と士官候補生。血と硝煙の時代に、二人はただ夜景を見下ろす高層階で、ひそやかに呼吸を重ねた。
「コーヒー、冷めるぞ」
「……はい」
苦いけれど、温かい。その一口に、わずかな安堵が滲む。
オジェは無言で立ち上がり、書斎へ向かった。プロートの原稿を手に取り、赤ペンを走らせる。教官としての厳しさと、恋人としての優しさ。そのどちらも、同じ白い指先から静かに零れていった。
高層階の静寂の中で、ペンの音だけが、ふたりの時間を刻み続けていた。
オジェはシルクのドレスシャツの袖を肘まで捲り上げ、無言のまま紅茶を淹れていた。白い髪が蛍光灯の下で銀のように光を帯び、感情を映さない白色の瞳が、カップの蒸気を淡く捉える。胸ポケットの銀の警官章が、わずかに光を弾いた。
「プロート、起きてるか」
低く響く声。返事の代わりに、奥の書斎で紙をめくる音が止まった。
「……はい、今」
士官学校の制服の上からカーディガンを着たプロートが、書斎から現れる。ダークブルーグレーの髪は寝癖で跳ね、同じ色の瞳は疲れを隠せていない。手には分厚い小説の原稿用紙。父の命令で士官学校に入ったものの、心はいつも別の場所にあった。
オジェは黙ってコーヒーカップを差し出す。受け取った瞬間、指先が触れ合い、わずかな温もりが伝わる。
「また徹夜か」
「……原稿が、進まなくて」
プロートは両手でカップを包み、窓際のソファに腰を下ろした。眼下に広がる街の灯りは、彼の描く物語よりも遥かに残酷で、そして美しかった。
オジェは隣に座らず、立ったままプロートのそばに寄り添う。白い手が、そっと肩に置かれた。
「士官学校の試験は?」
「……明後日です。でも、戦術論なんて……」
「嫌いだろう」
思いがけない言葉に、プロートは顔を上げる。オジェの声は淡々としていたが、どこか深い理解が滲んでいた。
「僕は知っている。君が血を見たくないことも、喧嘩を嫌うことも。ただ、時代は選ばせてくれない」
白い指が、静かにプロートの髪を梳く。その手つきは、壊れ物を扱うようだった。
「だから、ここにいる」
プロートはカップをテーブルに置き、震える指でオジェのシャツの裾を掴む。シルクの冷たい感触が、心の奥まで染みる。
「オジェさん……僕、こんなところで小説を書いていていいんですか? 父親は、士官になって家を継げって……」
「僕が許す」
オジェの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。怜悧な顔に、氷が溶けて光が滲む。
「ここは僕の城だ。君の夢も、ここに置いて」
プロートは目を伏せる。窓の外では遠くでサイレンが鳴り、夜の街を引き裂く。銀の警官と士官候補生。血と硝煙の時代に、二人はただ夜景を見下ろす高層階で、ひそやかに呼吸を重ねた。
「コーヒー、冷めるぞ」
「……はい」
苦いけれど、温かい。その一口に、わずかな安堵が滲む。
オジェは無言で立ち上がり、書斎へ向かった。プロートの原稿を手に取り、赤ペンを走らせる。教官としての厳しさと、恋人としての優しさ。そのどちらも、同じ白い指先から静かに零れていった。
高層階の静寂の中で、ペンの音だけが、ふたりの時間を刻み続けていた。



