部屋は、燭台の灯りだけで照らされていた。壁際に並ぶ書棚には、鍵のかかった革表紙の本がぎっしり。空気には、インクと古い紙、そして微かな香の気配が混じる。アアタドンは、扉を背にして立っていた。白い髪が優美に流れ、白い瞳は笑みの形を保ちながら、シムズミを値踏みするように見つめている。
少年は、窓辺の椅子に座っていた。白い髪が肩に垂れ、灰色の瞳は外の闇を映すだけ。膝の上で指を絡め、不動のまま。
「さて、今日の取引は?」
アアタドンの声は、甘い蜜のように滑らかだった。彼はゆっくりと歩み寄り、シムズミの前に膝をついた。距離は、息がかかるほど近かった。
「痛みは? 記憶は? それとも、ただの空白か」
指先で少年の顎を優しく持ち上げた。触れ方は、まるで高価な陶器を扱うように慎重だった。だが、瞳の奥には冷たい計算が光っていた。
シムズミは答えない。ただ、灰色の瞳が、わずかに揺れた。
アアタドンは微笑んだ。完璧な、社交の仮面だ。
「いい子だ。沈黙は、最高の交渉材料だ」
彼は立ち上がり、懐から小さな銀のケースを取り出した。中身は、透明なカプセルが三つだった。光を受けて、妖しく輝いていた。
「これを飲めば、今日も『平穏』を買える」
カプセルを一つ、少年の掌に置いた。シムズミは、ゆっくりと手を動かし、それを口に含んだ。喉を鳴らす音が、静かな部屋に響いた。
アアタドンは、満足げに頷いた。
「欲望を制する者が国家を制す。……君の欲望は、忘れることだ」
彼はシムズミの髪を梳き始めた。白い髪は、指の間を滑るように流れていった。優雅で、まるで儀式のように。
「お前は、ここにいる限り、僕の『資産』だ。壊れるな。腐るな。価値を保て」
声は穏やかだったが、言葉の端々に棘があった。シムズミの肩が、わずかに震えた。だが、少年は動かなかった。ただ、灰色の瞳が、ゆっくりと閉じられていった。
アアタドンは、少年の額に軽く唇を寄せた。触れるか触れないかの、計算された距離。
「いい夢を見ろ。……僕の夢の中でな」
やがて、シムズミの体が椅子に沈み込むように力を抜いた。深い眠り。意識の奥で、何かがまた一つ、塗り替えられていった。
アアタドンは立ち上がり、部屋の隅に置かれたデスクに戻った。白い瞳を伏せ、静かに息を吐いた。
「……明日も、取引は続く」
彼は知っている。この均衡は、永遠には続かない。シムズミの心は、不動ではあるが、壊れてはいない。いつか、少年は目を覚まし、すべてを思い出すだろう。
そのとき、アアタドンはまた、笑みを浮かべて交渉する。ただ、少年を「所有」するために。
それが、彼にできる、唯一の所有だった。
少年は、窓辺の椅子に座っていた。白い髪が肩に垂れ、灰色の瞳は外の闇を映すだけ。膝の上で指を絡め、不動のまま。
「さて、今日の取引は?」
アアタドンの声は、甘い蜜のように滑らかだった。彼はゆっくりと歩み寄り、シムズミの前に膝をついた。距離は、息がかかるほど近かった。
「痛みは? 記憶は? それとも、ただの空白か」
指先で少年の顎を優しく持ち上げた。触れ方は、まるで高価な陶器を扱うように慎重だった。だが、瞳の奥には冷たい計算が光っていた。
シムズミは答えない。ただ、灰色の瞳が、わずかに揺れた。
アアタドンは微笑んだ。完璧な、社交の仮面だ。
「いい子だ。沈黙は、最高の交渉材料だ」
彼は立ち上がり、懐から小さな銀のケースを取り出した。中身は、透明なカプセルが三つだった。光を受けて、妖しく輝いていた。
「これを飲めば、今日も『平穏』を買える」
カプセルを一つ、少年の掌に置いた。シムズミは、ゆっくりと手を動かし、それを口に含んだ。喉を鳴らす音が、静かな部屋に響いた。
アアタドンは、満足げに頷いた。
「欲望を制する者が国家を制す。……君の欲望は、忘れることだ」
彼はシムズミの髪を梳き始めた。白い髪は、指の間を滑るように流れていった。優雅で、まるで儀式のように。
「お前は、ここにいる限り、僕の『資産』だ。壊れるな。腐るな。価値を保て」
声は穏やかだったが、言葉の端々に棘があった。シムズミの肩が、わずかに震えた。だが、少年は動かなかった。ただ、灰色の瞳が、ゆっくりと閉じられていった。
アアタドンは、少年の額に軽く唇を寄せた。触れるか触れないかの、計算された距離。
「いい夢を見ろ。……僕の夢の中でな」
やがて、シムズミの体が椅子に沈み込むように力を抜いた。深い眠り。意識の奥で、何かがまた一つ、塗り替えられていった。
アアタドンは立ち上がり、部屋の隅に置かれたデスクに戻った。白い瞳を伏せ、静かに息を吐いた。
「……明日も、取引は続く」
彼は知っている。この均衡は、永遠には続かない。シムズミの心は、不動ではあるが、壊れてはいない。いつか、少年は目を覚まし、すべてを思い出すだろう。
そのとき、アアタドンはまた、笑みを浮かべて交渉する。ただ、少年を「所有」するために。
それが、彼にできる、唯一の所有だった。



