黒曜の墓標にて
ハクセン出身の少年、タムシは、白い髪を風に揺らせながら、戦艦〈黒曜〉の甲板に立っていた。灰色の瞳は何も映さず、ただ静謐な無表情を湛えている。体つきは華奢で、風に舞う長髪が黒鉄の装飾に絡まるたび、彼は無言でそれを払い落とした。
「お帰りなさいませ、死の淵より」
冷たく、礼を尽くした声が船体の奥底から響く。黒曜の声だ。その響きは氷の刃のように鋭く、どこかに深い怨嗟を含んでいるかのようだった。船体そのものが意思を持つかのように、黒鉄の表面からは微かな血の臭いが立ち上る。剥げた塗装は真白に変色し、見る者の精神をじわじわと蝕んでいく。
タムシは小さく頷くと、甲板の端へ歩を進めた。彼の任務は〈黒曜〉の“世話”だ。玄武の命を受け、この禍々しい移動要塞を維持し続けること。だが黒曜は、ほんの些細な失敗さえも許さない。
「タムシ様。昨日、黒鉄の装飾に埃が付着しておりました。処刑対象です」
黒曜の声が低く唸り、船体から黒い霧がにじみ出る。その霧はタムシの足元を這い、心を締め上げるように絡みついた。絶望の結界――黒曜の試練が、無言のうちに発動する。
だがタムシは動じなかった。灰色の瞳で霧を見下ろし、ただ一言、冷静に返した。
「埃は風が運んだ。僕の落ち度じゃない」
心は微動だにせず、感情の波も見せない。
黒曜は一瞬、沈黙した。やがて霧を引き収める。
「……了解いたしました。次は風を処刑いたしましょう」
その言葉に、タムシの唇がわずかに上がった。笑ったのか、ただの癖なのか。黒曜には判別できない。
(風を処刑するって……笑える)
タムシは懐から布を取り出し、黒鉄の表面を磨き始めた。剥げた白を覆うように、血の装飾を整える。黒曜は満足げに船体を微かに震わせた。
「タムシ様の手入れは完璧でございます。玄武様のご期待に沿う存在――」
「うるさい。黙ってて」
タムシは短く遮り、手を止めずに作業を続けた。
黒曜の自爆機構を点検し、黒血増幅器の稼働を確認する。敵と道連れに散るその機構は、黒曜にとっての誇りであり、タムシにとってはただの「仕事」だった。
やがて夜は更け、星々が黒鉄の装甲に映り込む。タムシは甲板に腰を下ろし、白い髪を指で梳いた。
「黒曜。君は希望を葬る墓標らしいね」
「はい。希望は私の敵でございます」
「僕には関係ない。僕はただ、世話をするだけ」 (希望を葬るって変なの……)
「それで十分でございます、タムシ様。貴方の不動心こそが、私の支え」
風が吹き抜け、黒い霧がさざめく。タムシは立ち上がり、最後に呟いた。
「剥げないでね。崩壊したら面倒だから」
「お気遣い、痛み入ります」
こうして、死の淵を漂う戦艦と、その世話をする少年の奇妙な日々は続いていく。
希望を葬る黒城の墓標にて、ただ静かに――。
ハクセン出身の少年、タムシは、白い髪を風に揺らせながら、戦艦〈黒曜〉の甲板に立っていた。灰色の瞳は何も映さず、ただ静謐な無表情を湛えている。体つきは華奢で、風に舞う長髪が黒鉄の装飾に絡まるたび、彼は無言でそれを払い落とした。
「お帰りなさいませ、死の淵より」
冷たく、礼を尽くした声が船体の奥底から響く。黒曜の声だ。その響きは氷の刃のように鋭く、どこかに深い怨嗟を含んでいるかのようだった。船体そのものが意思を持つかのように、黒鉄の表面からは微かな血の臭いが立ち上る。剥げた塗装は真白に変色し、見る者の精神をじわじわと蝕んでいく。
タムシは小さく頷くと、甲板の端へ歩を進めた。彼の任務は〈黒曜〉の“世話”だ。玄武の命を受け、この禍々しい移動要塞を維持し続けること。だが黒曜は、ほんの些細な失敗さえも許さない。
「タムシ様。昨日、黒鉄の装飾に埃が付着しておりました。処刑対象です」
黒曜の声が低く唸り、船体から黒い霧がにじみ出る。その霧はタムシの足元を這い、心を締め上げるように絡みついた。絶望の結界――黒曜の試練が、無言のうちに発動する。
だがタムシは動じなかった。灰色の瞳で霧を見下ろし、ただ一言、冷静に返した。
「埃は風が運んだ。僕の落ち度じゃない」
心は微動だにせず、感情の波も見せない。
黒曜は一瞬、沈黙した。やがて霧を引き収める。
「……了解いたしました。次は風を処刑いたしましょう」
その言葉に、タムシの唇がわずかに上がった。笑ったのか、ただの癖なのか。黒曜には判別できない。
(風を処刑するって……笑える)
タムシは懐から布を取り出し、黒鉄の表面を磨き始めた。剥げた白を覆うように、血の装飾を整える。黒曜は満足げに船体を微かに震わせた。
「タムシ様の手入れは完璧でございます。玄武様のご期待に沿う存在――」
「うるさい。黙ってて」
タムシは短く遮り、手を止めずに作業を続けた。
黒曜の自爆機構を点検し、黒血増幅器の稼働を確認する。敵と道連れに散るその機構は、黒曜にとっての誇りであり、タムシにとってはただの「仕事」だった。
やがて夜は更け、星々が黒鉄の装甲に映り込む。タムシは甲板に腰を下ろし、白い髪を指で梳いた。
「黒曜。君は希望を葬る墓標らしいね」
「はい。希望は私の敵でございます」
「僕には関係ない。僕はただ、世話をするだけ」 (希望を葬るって変なの……)
「それで十分でございます、タムシ様。貴方の不動心こそが、私の支え」
風が吹き抜け、黒い霧がさざめく。タムシは立ち上がり、最後に呟いた。
「剥げないでね。崩壊したら面倒だから」
「お気遣い、痛み入ります」
こうして、死の淵を漂う戦艦と、その世話をする少年の奇妙な日々は続いていく。
希望を葬る黒城の墓標にて、ただ静かに――。



