黒城の地下牢は、湿った石の匂いと鉄の鎖が軋む音だけが響く場所だった。薄暗い松明の光が、壁に刻まれた古い呪文の残滓をぼんやりと照らしている。
タムシはその中心にいた。白い髪が肩に流れ、灰色の瞳は凍てついた湖のように静かだった。華奢な体にはどこか女性的な曲線が宿るが、その心はハクセンの教えの通り、いかなる嵐にも揺るがない。

「タムシ、食事だ」

低く響く声。岩鬼だった。黒の上級執行官、黒城の「不動の処刑者」。漆黒のツインテールが揺れ、血赤の義眼が薄明の中に妖しく光る。
黒いフリルズボンにリボンブラウス、ヒールパンプス。その奇抜な姿とは裏腹に、二の腕から下の赤黒い岩石模様が不気味に蠢いていた。手にしたトレイには、粗末なスープとパンが並ぶ。

タムシはゆっくりと顔を上げた。
「岩鬼、また君か。いつも同じ時間だね」
その声音は穏やかで、まるで旧友を迎えるかのようだった。岩鬼は言葉を返さず、トレイを置く。命令はひとつ ―― “タムシの世話をせよ”。それだけだ。

しかし、岩鬼の内部は静寂ではなかった。
タムシの華奢な体、幼体にも似た輪郭。その姿が、彼の脳内で爆ぜる火花のように殺意を誘う。
幼体を見ると殺意が湧く。それが岩鬼に刻まれた呪いだった。
失感情とコミュニケーションの欠損が彼を縛る中、この衝動だけは抑えきれない。拳が震え、岩石の紋がうねる。巨岩腕が発動しかけたその瞬間、タムシの静かな眼差しが彼を止めた。

「君、苦しそうだね」
タムシはスープを手に取り、柔らかく言う。
「僕のせい? それとも、黒城の命令が重すぎるの?」

岩鬼の唇がかすかに動く。
「……黙れ」
感情の欠片もないはずの声に、微かな苦悶が滲んでいた。背を壁に預け、トレイを睨む。家族や恋人を見ると戦闘不能になる――それもまた、彼の呪い。タムシは知っていた。ハクセンの民として、人の闇の形を読む術を持っていたのだ。

そのとき外で騒動が起きる。鉄鎖のコンビが敵を捕らえたらしい。処刑の時間。
岩鬼の目が赤光を放ち、破壊衝動が弾けるように走る。だが、タムシが立ち上がり、その腕に触れた。

「行かないで。君が壊れる」

岩鬼の体が凍りつく。触れられた瞬間、殺意と激しい吐き気がせめぎ合う。巨岩腕が半ば発動し、壁が砕け散った。石屑が舞う中、彼は膝をつく。
「……なぜ、世話を……する」
初めての問いだった。感情のない声に、かすかな亀裂が走る。

タムシは微笑んだ。その不動心が、岩鬼の闇を映す鏡となる。
「君も誰かの世話を必要としている。ハクセンではそう教わった。壊すためじゃなく、生かすために人はいるって」

岩鬼はゆっくりと立ち上がり、トレイを片付ける。処刑は後にする。
去っていく背中が、いつもよりほんの少しだけ揺れて見えた。
タムシの世話は、その日も続いていく。黒城の闇の底で、静かな絆の芽が確かに息づき始めていた。