氷川丸の記録

灰色の大理石(隙間が無い構造)の部屋。
午前九時三十分。
アディシェスは銀糸の防護服を纏い、白髪を几帳面に分けながら観察台の前に立っていた。光沢の中に冷気が宿り、白色の虹彩がわずかに笑う。腰のリサージュ・カッターが、静かに金属音を忍ばせる。

今日は休みのはずだった。
だが彼にとって「休み」とは、観察対象の管理時間を指す言葉にすぎない。

「パライタ。配置」

声の響きに応じて、少年が扉の陰から這うように現れる。観察台の端に座ると、青緑色の髪がわずかに揺れ、海色の瞳が怯えを湛えた。首輪は外され、代わりに銀製のセンサーが喉に貼りついている。

アディシェスは歩み寄ると、冷たい指でその顎を軽く掴んだ。
「恐怖値……基準内」

震える少年を観察台の横に移動させると、自らは向かいに座る。

「摂取」

トレイの上には、計算された栄養剤。
蛋白質二十グラム、炭水化物三十五グラム、ビタミン・ミネラル完全補給。
アディシェスはスプーンを手に取り、少年の唇へと運んだ。

「咀嚼十二回……観察」

少年は唇を震わせながら受け入れ、必死に飲み込む。
センサーの灯がわずかに点滅し、数値が記録されていく。

「摂取時間八分四十七秒。標準」

食後、彼は少年を洗浄室へ導いた。

「洗浄」

蛇口を捻り、三十七・五度の滅菌水を張る。
「脱衣」

少年は震える手で衣服を脱ぎ落とす。アディシェスは防護服の袖を捲り、背後に立った。

「僕が実行」

無機質な声とともに、滅菌石鹸を掌に取り、正確な手つきで少年の背を洗う。
「肩甲骨……首筋」
冷たく、それでいて機械的な指が肌をなぞる。

「髪」

滅菌シャンプーを取って、青緑の髪を丁寧に泡立てた。
「汚染率……〇・〇二パーセント」

洗浄を終えると、滅菌タオルで水気を拭い、残留率九九・九パーセントの乾燥を確認。

「着衣」

白の無地シャツと灰色のパンツを取り出し、順に着せる。
ボタンを一つずつ留め終えると、短く息を吐いた。

「観察対象……維持」

実験室に戻り、少年を再び観察台に座らせる。
アディシェスはタブレットを開き、無表情のままデータを入力した。

「恐怖値……上昇傾向」

少年の呼吸が詰まる。アディシェスは淡く笑み、その頬に指先を滑らせた。

「良好。……君は、僕の最高資料だ」

午後は静謐に凍結していた。
実験室の無機質な光のなか、響くのは少年の浅い息と金属の微かな鳴動だけ。

「……休み。非生産的」

アディシェスはタブレットを閉じ、少年の隣に座る。
白い髪が青緑に触れることはない。

灰色の大理石の部屋の静寂の中、
二人の影は並行に凍り、恐怖という名の解析がゆっくりと深まっていった。