正直、最初から気に喰わなかった。
 あの女――藤堂美咲(とうどうみさき)とかいうおばさんが召喚された時から。
 こっちは十七だぞ? 
 夢の異世界転生、魔法、勇者パーティー。
 テンション上がらない方がおかしい。
 なのに、あの人だけは最初から冷めた目をしてた。
 「浮かれるな」「周囲を見ろ」「命令がなくても考えて動け」――うるせぇんだよ。
 こっちは戦士枠で選ばれてんだ。
 戦うのが仕事なのに、何をいちいち文句つけてくるんだって話だ。

 最初の訓練の時もそうだった。
 魔法の加護を得たばかりで、理奈と一緒に魔物人形を斬り倒した時、兵士たちが拍手してくれた。
 気持ちよかったんだよな。
 あの瞬間、自分が本当に【勇者】になった気がした。

 でも、その後ろで美咲(ババア)が言ったんだ。

 ――「力を誇示するほど、人は弱くなる。見せびらかすのは、恐怖の裏返しだよ」

 は? 何それ。
 せっかく盛り上がってた空気を一瞬で台無しにしやがって。
 しかも、あの落ち着いた声。まるで教師みたいに説教するような喋り方。
 俺たちが戦ってんのに、遠くの隅っこから腕組んで見てるだけ。
 自分は剣も魔法も使えねぇくせに。
 あれがどんなに鼻についたか、あの人には分からなかっただろうな。
 理奈も言ってた。
 「おばさんって、現実的すぎてさ、夢がないよね」って。
 その通りだ。
 せっかく神の加護をもらって、新しい世界でやり直せるチャンスだってのに、
 あの人だけはずっと【現実】を引きずってた。
 戦争だの、犠牲だの、命がどうとか。
 聞くたびにイラついた。

 俺たちは英雄になるんだ。
 神に選ばれたんだ。
 なのに、なんで“死ぬ覚悟”の話なんてする必要がある?

 そんなこと考えたら、前に進めねぇだろ。

   ▽

 ある日の訓練で、俺は模擬戦を指揮する立場に任命された。
 やっと俺の力を王も認めたんだと思って、嬉しかった。
 魔法陣を背にして、兵士たちに指示を出す。
 理奈と茜が後方で支援、俺が前に出て斬り込む――完璧な布陣。

 ……のはずだった。

 美咲が、また口を出してきたんだ。

 「突撃はやめろ。陣形を維持しろ」
 「補給線が切れたら動けなくなる」

 その言葉に、俺は思わず舌打ちした。
 補給線?
 魔法のある世界で?
 何言ってんだこの人。
 それに、兵士たちが見てる前でそんな風に言われたら、俺の立場がない。
 だから、わざと無視して突っ込んだ。
 結果、結界を壊しちゃったけど……別に、本気で人を傷つけたわけじゃない。
 あれは事故だ。
 それなのに、あの人は迷いもせずに兵士の傷口を押さえてた。
 血だらけになりながら。
 誰よりも早く、静かに、迷いなく。

 ――その手が、やけに震えて見えたのを覚えてる。

 けど俺は、その姿を見て、逆に腹が立った。
 『何カッコつけてんだよ』って。
 だって、あの人はもう勇者隊の一員じゃない。
 戦えないし、何の加護も持ってない。
 それなのに、自分だけ冷静ぶって分かってる人間の顔をして。
 ああいうの、嫌いなんだよ。
 何もできないくせに、正しさだけ持ってる奴。

 結局、模擬戦は失敗。
 兵士が一人怪我して、俺たちは全員呼び出された。
 王の命令で、美咲は士気を下げた罪で隊を外された。

 その報せを聞いた時――心のどこかで、ほっとした。

 これでやっと、あの重い空気から解放される。
 俺たちが本来の『勇者チーム』に戻れる。
 そんな風に思ってた。

   ▽

 翌朝、廊下で彼女を見かけた。
 荷物をまとめて、無表情で歩いてた。
 兵士も誰も、声をかけなかった。
 その背中を見た時、俺は――なぜか胸の奥がざわついた。
 でも、それが何の感情なのかは分からない。

「よかったな、ババア。これで足手まといがいなくなる」

 自分でも驚くほど、あっさり口から出た言葉だった。
 あの人は立ち止まり、振り向いた。
 あの、静かな目。
 何を言われても動じない、あの目。

「……あんたたちの【戦場】がどんな場所か、すぐわかるよ」

 ただ、それだけ言って。
 その声が、妙に静かで、妙に冷たくて。
 まるで、俺の未来をもう知ってるみたいだった。

 何か言い返そうと思ったけど、喉が動かなかった。
 そのまま舌打ちして背を向けた。

 せいせいしたはずなのに。
 背中に残ったあの声が、なぜか離れなかった。