恋人同士がすること――。


 俺は何度も繰り返しそれを検索した。今の俺のスマホの検索履歴なんて、恥ずかしくて誰かに見せられたもんじゃない。
「恋人ってこんなことするんだなぁ」
 俺はベッドに寝ころび、天井を見上げる。


 今日の今日まで、俺は狼君がそんなことを考えていたなんて思いもしなかった。
 ただ俺は、狼君の傍にいられるだけで十分幸せだし、楽しかったから。


 恋人同士がすること……。


「よし、まず手を繋いでみよう!」
 俺は自分の手を空にかざして見つめる。今日俺の頭を撫でてくれた狼君の手は、俺と比べ物にならないくらい大きかった。
 何も大きいのは、手だけじゃない。足のサイズも、身長も……。俺に勝てる要素なんて一つもない。


 幼稚園でお散歩に出かけたのときのことを思い出す。年長さんと年少さんが手を繋いで歩くんだけれど、そのときのペアが偶然狼君だった。その時の狼君の手は、紅葉の葉っぱみたいに小さくて、とても柔らかかった。


 それなのに――。


 どんどん大人へと成長していく狼君に、俺は完全に置いてきぼりにされてしまっている。


 狼君がいなかったら、きっと恋愛にすら興味を持たなかっただろうし、スマホのこんな検索履歴にはならなかっただろう。
 俺はかなり奥手な性格で、フォークダンスで女子と手を繋ぐだけでも、恥ずかしくて口から心臓が出そうになってしまったくらいだ。


「俺、狼君と手を繋ぐことなんてできるかな」


 ふと、今日狼君に抱き締められた感覚を思い出す。
 狼君の腕はしなやかに筋肉がついていて、胸板も厚かった。
 今まで誰かと抱き合ったことなんてなかった俺は、たったそれだけで胸がいっぱいになるくらいの感動を覚えた。


「会いたいな……」
 こんなところでポツリと呟いたところで、俺の声は狼君に届くはずなんてない。
 思い切って電話をかけてみようかと思い立ち、スマホを握り締めたものの……。俺は大きく息を吐いてからスマホをベッドの上に投げ捨てた。
「さっき別れたばっかりなのに、電話なんてしたら迷惑だよね」
 胸が締め付けられたかのように痛んだから、俺は枕に顔を埋める。


「恋人って難しいなぁ」
 ここで初めて俺は恋愛の経験値の低さを感じる。今までしてきたRPGゲームの経験値なんて、みんなに自慢できるほど高いくせに……。
「声が聞きたい」
 大きく寝返りを打って、ベッドに無造作に投げ捨てられたスマホを遠めに眺めた。


(どうしたらいいんだろう……)


 もう一度スマホに手を伸ばそうとした時、スマホが突然ブルブルッと揺れ始める。その小さな振動は、ベッドに敷かれたシーツを静かに揺らしている。
「電話……? まさか……」
 俺はスマホを勢いよく掴み、画面を確認する。その画面には狼君の名前が。
 嬉しさが込み上げてきた俺は、「もしもし、狼君!」と勢いよく画面をタップしようとした手を止めた。


「待てよ。これじゃあ、いかにも電話を待っていたって思われちゃうかも……」 
 これではまるで人参を与えられた兎が、慌てて齧り付くのと同じじゃないか? そう思うと、このまま電話に出てはいけないと本能が警笛を鳴らした。


「よ、よし。さりげなく出よう。『あ、電話だ? 誰?』みたいな感じで。でもちょっと待てよ、今忙しかったのに……っていう雰囲気のほうが、大人な感じがしていいのかな? 『今勉強中だったんだよね』みたいな感じで。でも、それは失礼かな……。えぇ、どうしよう……!?」
 俺は頭の中で色々なシチュエーションを思い描く。ここは、年上の受験生らしくスマートに電話対応をしてみたい。この「待ってました‼」という思いだけは悟られたくない。


「でも、どうしたらいいんだろう」
 普段、友達ともあまり電話したことのない俺からしてみたら、狼君から電話が来たということは、シャーロックホームズもびっくりするほどの大事件だ。
 俺が途方に暮れていると、スマホが静かになってしまう。
(あ、切れちゃった……)
 慌ててスマホを手に取ってみたけれど、画面は真っ暗になってしまっていた。


「俺がすぐに出なかったからだ」
 俺はスマホを抱き締めたまま肩を落とす。


 自分はなんて意気地なしなんだろう……。そう考えると、情けなくて涙で目の前が滲んだ。あんなに狼君の声が聞きたくて、その望みが叶ったのに。
 俺は臆病者だから、電話に出ることもできなかった。
「狼君……」
 涙が滲んできたから、慌てて手の甲でそれを拭う。後悔してももう遅い。


 諦めて、もう寝てしまおうとしたとき、手の中のスマホがもう一度小さく震え出す。そして画面には狼君の――。
 俺は今度こそ勢いよくスマホの通話ボタンをタップした。


「もしもし、狼君?」
「もしもし? こんな夜中にごめん。どうしても風兎君の声が聞きたくて……」
「ううん、嬉しい。俺も、俺も狼君の声が聞きたかったから」
 かっこいい年上を演じたかったのに、狼君の声を聴いた瞬間、張り詰めていたものがプツンと音をたてて切れたような気がした。


「狼君の声が、聞きたかった。だって、一人だと寂しいんだもん」
 情けないことに、涙で声が揺れている。どんなにごまかしても、泣いていることはきっとバレてしまっているはずだ。


「泣くほど俺の声が聞きたかったの?」
「うん」
「なにそれ? めっちゃ可愛いね」
 スマホ越しに聞こえる、狼君の優しい声。
「俺も、風兎君の声が聞きたかった」
 優しい狼君の声に、自然と口角が上がってしまった。


 その夜俺たちは、日付が変わるまで色々な話をした。
 明日また学校で会えるのに、離れている数時間さえ寂しく感じられて……。


「おやすみ、風兎君。また明日ね」
「うん、また明日ね」
 そう言って電話を切ったけれど、俺は嬉しくてスマホをギュッと抱き締める。


「おやすみ、だって……。マジかぁ。超幸せ!」


 『おやすみ』という言葉が、まるで魔法の呪文のように感じられる。
「狼君との電話、楽しかったなぁ」
 電話を切った後も、胸の高鳴りは鎮まることなんてない。
 

 こんなに興奮してしまった俺は、今夜はきっと眠れないだろう――。