番組収録はあっという間に終わってしまった。いつも観ていた番組の裏で、カメラ割りや進行をどれだけ工夫しているのかが分かって圧倒された。みんな一生懸命で楽しそうで、出演者だけじゃなくスタッフも含めて全員がキラキラして見えた。僕もあそこに混ざってみたい、そんな気持ちが芽生えた気がする。
「見学して、デビューしたいって気持ちは湧いてきた?」
「……すみません、正直まだわからないです」
だけど、自分があの場所でスポットライトに照らされる姿が想像できない。僕は絶対に裏方の方が向いているし、厳しい競争社会の中でやっていける自信もない。曖昧に答えを濁せば、田島さんは僕がそう答えると分かっていたのか、柔らかな笑みを零した。
「うん、そうだと思った。まあ、返事は急いでないし、僕宛でも名刺の連絡先でもいいから何かあったら連絡ちょうだい」
「はい」
意思を尊重してくれて、ありがたい。僕が応募したわけではないけど、オーディション番組に出演しておいてデビューする気がないなんてどういうことだと責められてもおかしくなかったと思う。
「収録も終わったし、下まで送るよ」
「田島さん、すみません、ちょっと急ぎなんですけど……」
スタジオを出ようとしたところで、田島さんが深刻そうな表情をしたスタッフに声をかけられた。さすが売れっ子プロデューサー。抱えてる番組はひとつじゃないだろうし、相談したいことが山ほどあるのかもしれない。ただでさえ貴重な時間を割いてもらったのだ、ひとりで帰れるからと僕は見送りを断った。
「ごめんね、下の受付で名札を返却できるから」
「とんでもないです。今日はありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をした後、スタジオを出てエレベーターホールまでの廊下を歩きながら考える。芸能界でデビュー。それは、神さまの住む世界に足を踏み入れるということ。駄目だ。僕には向いていない。そう思うのに、律と一緒に歌うチャンスがあるかもしれないなんて、淡い期待を抱いてしまう。
これは叶えられない夢だから。最初から諦めている夢だからいいんだ。唇を噛み締めて次々に湧いてくる邪念を払っていれば、タイミング良くエレベーターが到着した。
数人先客がいるけれど、僕ひとりなら乗れるだろう。そう判断して中にいる人の確認もせず、すみませんと俯いてエレベーターに乗り込んだ。それが間違いだったなんて知らず、僕は呑気に階の書かれた数字を見上げていた。
程なくして、エレベーターが一階に到着する。開ボタンを押しながら、僕は他の人が先に降りていくのを見送る。あとひとりいるけど、降りないのかな。一向に降りる気配のないその人に確認しようと顔を上げた瞬間、僕の顔からさぁっと血の気が失せる。
「ッ!」
「待って」
まさか同じエレベーターに乗っていたなんて、そんなことが起こり得るなんて思ってもいなかったから油断した。だけど、ここはテレビ局。言わば彼のテリトリー。僕の存在の方が異分子だ。何も言わずに慌てて立ち去ろうとしたけれど、手を掴まれてしまえば逃げられない。一番会いたくて、二度と会いたくなかった律だったから。
一階でエレベーターを待っている人が誰もいなくてよかった。いかにも訳ありですといった姿の律を、他人の目に晒すわけにはいかない。
「紡と話がしたいんだ」
「……わかりました」
いつまでも開ボタンを押したままではいられない。僕の勝手で、ここで働いている人たちに迷惑をかけられない。渋々了承すれば、律はほっと胸を撫で下ろした。こっち、と引っ張られるままに連れてこられたのは、非常階段。最上階まで続くそこは少し肌寒くて、音が反響しやすい。だけど、人目を避けたい僕たちにぴったりの場所だった。
「……」
「……」
何を話せばいいのか、どうすればいいのか分からなくて下を向いてしまう。何万回何億回と見た律の顔を直視することなんて僕にはできない。
「……ごめんね。ずっと謝りたかったんだ」
沈黙を破ったのは、律だった。落ち着いた声で話しかけられるだけで、心臓が早鐘を打つ。
「がっかりさせたよね」
「……」
「ファンだって言ってくれたのにごめん。気持ちを利用して、抵抗できないのに無理矢理連れ去ってごめん」
恐る恐る顔を上げれば、泣きそうな顔をした律と目が合った。心の底から後悔しているのが伝わってくる。
「あんなことをしておいて、何言ってんだって思うかもしれない。でも……、嫌いに、ならないで」
律もそんな顔するんだ。人間味溢れる表情にふと笑みが微かに溢れた。僕が律を嫌う? だって、そんなのありえない。
「何されたって嫌いになれないよ」
僕の世界の常識。律は僕の全てだ。ずっと追いかけてきたんだ、今更嫌いになれるわけがないだろう。律になら何されたっていいけれど、僕みたいな何の取り柄もない穢れた人間が神さまの傍で呼吸をしていることが何よりも嫌なんだ。
だから律に対して怒ったことなんてないし、恨んでもいない。泣きそうになりながら謝る律に同情さえしてしまう。僕のことなんて、すぐに忘れてしまえばよかったのに。そうすれば、優しい律はきっと傷つかなかった。
「あの日のことは口外しません。だから安心して、僕のことは忘れて」
「紡は何もわかってない!」
淡々と述べる僕をキッと睨んだ律が声を荒らげる。その声が反響して、空間にヒビが入った。
「分かってる。お互いに全部忘れて、なかったことにしてしまえば元通りなんだよ」
「違う。忘れたくないから、紡を繋ぎとめたいから、必死なんだよ。どうでもよかったらここまでしない」
律に圧されて数歩後退りをすれば、背中に冷たいドアの感触。
「どうして律が僕なんかに、」
「好きだからに決まってんだろ」
「っ、」
バンッと叩かれたドアが悲鳴を上げるのと同時に、言葉にならない声が漏れた。何を言われたのか理解できなくて、日本語を全て忘れてしまったみたい。
境界線の中からいつも見ていた。誰にも言ったことのない、秘密の片思い。八年間ずっと好きだった人が僕のことを好きだと言う。最近信じられないことが起こりすぎていて、あまりにも現実味がない。今回こそ、どこかにカメラでも仕掛けられているんじゃないかと疑ってしまう。
だってこれまで一方的に想いを寄せていたのに、認知されて、終いには矢印がこっちに向いているってどういうこと? 僕なんかを好きになる律なんて、解釈違いも甚だしい。そう思うのに、心がきゅんとときめいてる。
「紡のことをもっと知りたい」
「…………」
「だから、忘れるなんて言わないで」
弱々しくそう呟いた律は、僕の肩に顔を埋めた。あんなに遠いと思っていた神さまが、すぐ傍にいる。呼吸をするのも忘れてしまって、指一本動かせない。心臓の音が律に聞こえているだろう。
「あのっ、僕は……」
必死に絞り出した声。ちゃんと話を聞こうと律が顔を上げる。近い。太陽を直接見てしまったときのような、あまりの眩しさに目が潰れそう。
「律とは、」
……付き合えません。
そう続けるつもりだったのに、うるうると涙で潤んだ瞳が訴えかけてくる。目は口ほどに物を言うとはこのことか。言おうとしていた言葉をぐっと飲み込んでしまう。
「……お友達からでお願いします」
結局、僕は律に弱いのだ。すべては神さまの仰せのままに。最初から僕に決定権なんてものは存在していなかった。最大限譲歩した『友達』という苦し紛れの提案に、律は嬉しそうにぱあっと笑って、やったーと周囲に花を飛ばす。
神さまと友達になってしまった、これからどうしよう。そう内心震える僕の耳を指先で擽った律が、表情を一変させてにやりと不敵に笑う。
「紡のこと、諦めたわけじゃないから」
「……え?」
「これからよろしくね」
あ、僕、間違えたかも。パチンとウインクを飛ばす律に赤面しながら、僕は自分の言ったことを既に後悔していた。
「見学して、デビューしたいって気持ちは湧いてきた?」
「……すみません、正直まだわからないです」
だけど、自分があの場所でスポットライトに照らされる姿が想像できない。僕は絶対に裏方の方が向いているし、厳しい競争社会の中でやっていける自信もない。曖昧に答えを濁せば、田島さんは僕がそう答えると分かっていたのか、柔らかな笑みを零した。
「うん、そうだと思った。まあ、返事は急いでないし、僕宛でも名刺の連絡先でもいいから何かあったら連絡ちょうだい」
「はい」
意思を尊重してくれて、ありがたい。僕が応募したわけではないけど、オーディション番組に出演しておいてデビューする気がないなんてどういうことだと責められてもおかしくなかったと思う。
「収録も終わったし、下まで送るよ」
「田島さん、すみません、ちょっと急ぎなんですけど……」
スタジオを出ようとしたところで、田島さんが深刻そうな表情をしたスタッフに声をかけられた。さすが売れっ子プロデューサー。抱えてる番組はひとつじゃないだろうし、相談したいことが山ほどあるのかもしれない。ただでさえ貴重な時間を割いてもらったのだ、ひとりで帰れるからと僕は見送りを断った。
「ごめんね、下の受付で名札を返却できるから」
「とんでもないです。今日はありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をした後、スタジオを出てエレベーターホールまでの廊下を歩きながら考える。芸能界でデビュー。それは、神さまの住む世界に足を踏み入れるということ。駄目だ。僕には向いていない。そう思うのに、律と一緒に歌うチャンスがあるかもしれないなんて、淡い期待を抱いてしまう。
これは叶えられない夢だから。最初から諦めている夢だからいいんだ。唇を噛み締めて次々に湧いてくる邪念を払っていれば、タイミング良くエレベーターが到着した。
数人先客がいるけれど、僕ひとりなら乗れるだろう。そう判断して中にいる人の確認もせず、すみませんと俯いてエレベーターに乗り込んだ。それが間違いだったなんて知らず、僕は呑気に階の書かれた数字を見上げていた。
程なくして、エレベーターが一階に到着する。開ボタンを押しながら、僕は他の人が先に降りていくのを見送る。あとひとりいるけど、降りないのかな。一向に降りる気配のないその人に確認しようと顔を上げた瞬間、僕の顔からさぁっと血の気が失せる。
「ッ!」
「待って」
まさか同じエレベーターに乗っていたなんて、そんなことが起こり得るなんて思ってもいなかったから油断した。だけど、ここはテレビ局。言わば彼のテリトリー。僕の存在の方が異分子だ。何も言わずに慌てて立ち去ろうとしたけれど、手を掴まれてしまえば逃げられない。一番会いたくて、二度と会いたくなかった律だったから。
一階でエレベーターを待っている人が誰もいなくてよかった。いかにも訳ありですといった姿の律を、他人の目に晒すわけにはいかない。
「紡と話がしたいんだ」
「……わかりました」
いつまでも開ボタンを押したままではいられない。僕の勝手で、ここで働いている人たちに迷惑をかけられない。渋々了承すれば、律はほっと胸を撫で下ろした。こっち、と引っ張られるままに連れてこられたのは、非常階段。最上階まで続くそこは少し肌寒くて、音が反響しやすい。だけど、人目を避けたい僕たちにぴったりの場所だった。
「……」
「……」
何を話せばいいのか、どうすればいいのか分からなくて下を向いてしまう。何万回何億回と見た律の顔を直視することなんて僕にはできない。
「……ごめんね。ずっと謝りたかったんだ」
沈黙を破ったのは、律だった。落ち着いた声で話しかけられるだけで、心臓が早鐘を打つ。
「がっかりさせたよね」
「……」
「ファンだって言ってくれたのにごめん。気持ちを利用して、抵抗できないのに無理矢理連れ去ってごめん」
恐る恐る顔を上げれば、泣きそうな顔をした律と目が合った。心の底から後悔しているのが伝わってくる。
「あんなことをしておいて、何言ってんだって思うかもしれない。でも……、嫌いに、ならないで」
律もそんな顔するんだ。人間味溢れる表情にふと笑みが微かに溢れた。僕が律を嫌う? だって、そんなのありえない。
「何されたって嫌いになれないよ」
僕の世界の常識。律は僕の全てだ。ずっと追いかけてきたんだ、今更嫌いになれるわけがないだろう。律になら何されたっていいけれど、僕みたいな何の取り柄もない穢れた人間が神さまの傍で呼吸をしていることが何よりも嫌なんだ。
だから律に対して怒ったことなんてないし、恨んでもいない。泣きそうになりながら謝る律に同情さえしてしまう。僕のことなんて、すぐに忘れてしまえばよかったのに。そうすれば、優しい律はきっと傷つかなかった。
「あの日のことは口外しません。だから安心して、僕のことは忘れて」
「紡は何もわかってない!」
淡々と述べる僕をキッと睨んだ律が声を荒らげる。その声が反響して、空間にヒビが入った。
「分かってる。お互いに全部忘れて、なかったことにしてしまえば元通りなんだよ」
「違う。忘れたくないから、紡を繋ぎとめたいから、必死なんだよ。どうでもよかったらここまでしない」
律に圧されて数歩後退りをすれば、背中に冷たいドアの感触。
「どうして律が僕なんかに、」
「好きだからに決まってんだろ」
「っ、」
バンッと叩かれたドアが悲鳴を上げるのと同時に、言葉にならない声が漏れた。何を言われたのか理解できなくて、日本語を全て忘れてしまったみたい。
境界線の中からいつも見ていた。誰にも言ったことのない、秘密の片思い。八年間ずっと好きだった人が僕のことを好きだと言う。最近信じられないことが起こりすぎていて、あまりにも現実味がない。今回こそ、どこかにカメラでも仕掛けられているんじゃないかと疑ってしまう。
だってこれまで一方的に想いを寄せていたのに、認知されて、終いには矢印がこっちに向いているってどういうこと? 僕なんかを好きになる律なんて、解釈違いも甚だしい。そう思うのに、心がきゅんとときめいてる。
「紡のことをもっと知りたい」
「…………」
「だから、忘れるなんて言わないで」
弱々しくそう呟いた律は、僕の肩に顔を埋めた。あんなに遠いと思っていた神さまが、すぐ傍にいる。呼吸をするのも忘れてしまって、指一本動かせない。心臓の音が律に聞こえているだろう。
「あのっ、僕は……」
必死に絞り出した声。ちゃんと話を聞こうと律が顔を上げる。近い。太陽を直接見てしまったときのような、あまりの眩しさに目が潰れそう。
「律とは、」
……付き合えません。
そう続けるつもりだったのに、うるうると涙で潤んだ瞳が訴えかけてくる。目は口ほどに物を言うとはこのことか。言おうとしていた言葉をぐっと飲み込んでしまう。
「……お友達からでお願いします」
結局、僕は律に弱いのだ。すべては神さまの仰せのままに。最初から僕に決定権なんてものは存在していなかった。最大限譲歩した『友達』という苦し紛れの提案に、律は嬉しそうにぱあっと笑って、やったーと周囲に花を飛ばす。
神さまと友達になってしまった、これからどうしよう。そう内心震える僕の耳を指先で擽った律が、表情を一変させてにやりと不敵に笑う。
「紡のこと、諦めたわけじゃないから」
「……え?」
「これからよろしくね」
あ、僕、間違えたかも。パチンとウインクを飛ばす律に赤面しながら、僕は自分の言ったことを既に後悔していた。



