沈んだ夕光が、水上の白い足場を薄く染めていた。金属と水の匂いが、まだ冷たく夜に馴染まぬ空を包む。
汐見澄海は足元の波紋を見つめながら、アディシェスの歩調に合わせて進んでいた。

「この場所、音が透き通って聞こえるね」

澄海の声は、水面を撫でるように柔らかい。
銀光に包まれたアディシェスは、短く頷き、足場の縁に立った。

「恐怖も怒りも、ここでは形を持たない。沈黙が優位に立つ場所だ」

「それは、君にとって“理想的”?」

少し間をおいて、アディシェスは白い仮面に指を添える。
「理想ではない。――ただ、壊れにくい」

言葉の奥に沈む重さを感じながら、澄海は白い浮橋に反射する自分の影を見る。
水が緩やかに揺れ、彼の影を二つに分けていく。

「僕はね、アディシェス。壊れてしまうからこそ、美しいと思うんだ。命も感情も、言葉も、壊れる前に沸き立つ。その瞬間を、僕は見ていたい」

アディシェスの瞳が、その瞬間だけ、わずかに揺らいだ。
銀の制服が風に鳴り、水の上の静景に律動を刻む。

「それは、秩序の外側にある価値だ。だけど――君の言葉が、時に恐怖をやわらげる理由が分かる気がする」

澄海は微笑み、彼の横に立つ。二人の影が重なり、白い板の上に一瞬だけ一つの色を作った。

「あなたの沈黙は、きっと世界を守るためのもの。
僕の沈黙は、世界を感じるためのもの。同じ“静けさ”でも、少しだけ温度が違うね」

アディシェスは目を閉じ、ひとつ息を吐く。白い息が、ゆるやかに水面に落ちて消えた。
「それでも、どちらも“滞る”ことを恐れぬ沈黙だ。――悪くない共通点だ」

足場の下で、夜が青く揺れ始める。
澄海はその色を指先でなぞった。

「ねぇ、もし世界がまた沸き滞ったら――あなたはまた、『立つ』んだろう?」

アディシェスは一拍おいて答える。
「その時は、君の声で静めてくれ」

白の中に淡く溶けゆく二人の影。
風が止み、水音だけが、世界の終わりにも似たリズムを刻んでいた。