時間の感覚を失っていた。
アディシェスにとって、日常とは無限に繰り返される観察行為の連鎖だ。だが今は違う。
少女――アクティナ・ライトの声が訪れるたび、音の密度が変わった。
空気の配置さえ、記録以上にやわらかく感じられる。

「ねえ、アディシェス」
その日、彼女はいつになく小さな声で言った。
「今日で、“家族ごっこ”、おしまいにしよう」

瞬間、彼の中で何かが途切れた。
振動でも、心拍でもない。
空白に近い沈黙が、鋼の内部から広がる。

「理由を述べろ」
「ううん、理由なんてないの。ただ、“終わりがある”ほうがきれいだと思って」

笑みを浮かべながら言う。その笑顔の形状は分析可能だが、意味だけが掴めなかった。
“終わりがきれい”とは何を指すのか。破壊か、死か、それとも――別種の秩序か。

アディシェスの右手が無意識に動いた。
机の上の仮面を掴もうとして、止まる。
彼はかすかに震える指を見下ろした。

「僕は……最適化を誤ったのか?」
「違うよ」
アクティナの声は優しかった。
「もう、“こわいもの”に頼らなくていいってこと」

彼の瞳がわずかに揺れた。
恐怖以外の刺激――それを彼女は“やさしさ”と呼んだのか。

「この“遊び”を終える意味は、僕は理解できない」
「でもね、アディシェス。本当の家族って、“つづけること”より、“ちゃんと終われること”なんだよ」

彼女がそう言って、空の皿と紙の絵を重ね、ゆっくり閉じた。
“リト”と書かれた紙の子どもが、折りたたまれる。
紙の音が、やけに大きく響いた。

アディシェスの内部で、心拍信号が短く乱れる。
それは喪失のパターンにも似ていた。
彼は言語化できない感覚を抱いたまま、ただその小さな手を見ていた。

「これが……“痛み”か」
「うん。でもね、“痛い”ってことは、“生きてる”ってことなんだよ」

アクティナは立ち上がり、微笑んだ。
「おままごとはここまで。でも――現実でも、また笑おうね」

扉が閉まる音。
残された室内に、仮面の鈍い光が反射していた。
アディシェスは初めて、それから目を逸らした。

FEEDの計測値:不明。
記録更新――“恐怖を介さない覚醒反応、継続中”。