『大浄化戦争史研究 ― 純白秩序局と虹の連合の二六年戦争 ―』
著:オルディス・レイン(宗秩史学者)
刊:アーグレイ歴史学院出版局、蒼歴2023年版
第一章 思想的背景と戦争前夜(1760–1788)
18世紀末、既存の宗教秩序と科学技術の勃興が交錯する中で、「色」の概念は単なる視覚的多様性を超え、思想的抵抗の象徴へと変質していた。純白秩序局(The Bureau of Pure Order)は、白=純粋、他色=穢れという教義のもと、世界規模の価値体系を維持していたが、その普遍性は急速に綻び始めていた。
社会思想史家イェル=ハンは『純白信仰の限界』(第Ⅲ節)で指摘するように、「白の理想」は秩序維持には有用であったが、個と差異を無視する点で、18世紀的啓蒙の潮流と本質的に矛盾していた。
1770年代、複数の異端派が地下で活動を再開し、「虹の連合(Coalition of Colors)」として結集する。彼らは多色の調和を「自由の自然構造」と位置づけ、局の浄化政策に対して思想的・軍事的に対抗した。特に赤を象徴する「クリムゾン・プロフェット」および青の異能者「サファイアの魔女」に関する記録は、現存する異端文書中に頻出する。
直接的な開戦理由は、1789年に発生した「虹の冒涜事件」である。連合の構成員が局最大の聖域「白の大聖堂」を襲撃し、白十字の紋章を虹色に塗り替えた。局記録第XV巻には、この事件が「神律への反逆」として即日、全面戦争宣言に繋がった旨が明記されている。
第二章 戦争初期の混乱(1789–1795)
開戦当初、局軍の対応は極めて遅滞した。教義上の硬直により「多色異能」を認知的に過小評価していたためである。虹の連合軍は地方都市を中心に勢力を拡大し、各地の浄化施設を破壊。初期の敗北は局内の指導層に衝撃を与え、内部瓦解の兆候が現れた。
一方で、この時期に出現した人物として、後に「無言の監視者(The Silent Observer)」と記録される存在が挙げられる。後世の文献では、ピサンザプラ家の祖先と推定され、情報収集・戦況観察を担っていたと考えられている。
転換期は1793年、若き司令官「銀将軍(General Argent)」の登場とともに訪れる。彼は戦略学と神学理論を融合し、「絶対聖域」― 異能封殺領域 ― の術式を確立。従来の「純白の秩序」を制限付きから完全領域型に進化させ、局軍の再組織を指揮した。
第三章 局の反攻と均衡期(1796–1805)
銀将軍の主導により、局は初めて統一的指揮系統を確立した。局史料「戦略手稿A-92」によると、1796年以降の作戦立案では、「領域展開」「心理浄化」「儀典戦術」の三原則が運用されている。
1798年、「白光の戦い」において局は連合の拠点「彩色の谷」を制圧。銀将軍の〈絶対聖域〉の発動により、周囲十里にわたる地形が白化現象を起こした。現地出土の遺骸分析によれば、戦死者の皮膚組織から虹色素の完全消失が確認されており、これは当時の浄化効果を裏付ける物理的証拠とされている。
続く「七色の包囲戦(1802–1805)」では、都市クロマティスが三年にわたり封鎖され、連合側の内部衝突が記録されている。「観察記録F-12」において無言の監視者が残した注録には、「敵もまた秩序を欲す」との一節があり、対立の内面化を象徴する史料として近年注目されている。
第四章 最終戦と終結(1806–1815)
戦争後期、連合は「虹の塔」に籠城し、最後の抵抗を試みた。局軍は総力戦を発動、「最終浄化戦(Final Purge)」と呼ばれる連続攻撃を展開した。1810年、銀将軍はセラヴィエル長剣を掲げ、クリムゾン・プロフェットを討滅。
現存する〈戦場残片資料〉によれば、この際、将軍が一瞬彼の紅を見つめ沈黙したと記されている。後世の分析では、これを「穢れへの羨望」― 後年シェリダー家にまで継承される精神的遺伝 ― の端緒と解釈する説もある。
1815年、「白の盟約(Pactum Albus)」が締結。連合は解体され、局は国際的な異端検閲権を正式に掌握した。これ以降、純白秩序局は宗教機構から行政的超国家組織へと進化し、その監察制度の中心に銀警官(後にシェリダー型に至る原形)が設置される。
第五章 戦後影響と思想的遺産
大浄化戦争の終結は単なる軍事的勝利ではなく、世界的な文化転換の起点となった。
第一に、「色」は以後永く「恐怖」と同義になり、白は神聖視された。各地域の記念建築は白大理石を基調とし、宗教儀式から芸術様式に至るまで、白が絶対的価値として制度化された。
第二に、戦争が内部に残した思想的傷痕である。連合の理念――混沌における自由――は否定された表面の背後で、地下的思想運動として生き続けた。局内部でも「穢れの自認」を恐れた官僚層が出現し、その結果、戦後の硬直と崩壊の萌芽が形成されたのである。
象徴的に位置づけられるのが、シェリダーとピサンザプラ両系統の継承である。
シェリダーの「排絶の信仰」は、銀将軍の合理主義と戦時神経症の混合によって形成された戦後型純白思考の典型例であり、局の最末期まで冷徹な秩序意志を保持する。一方、ピサンザプラに見られる「沈黙の観察」は、戦争記録者=無言の監視者の倫理的延長であり、秩序を超えた〈観察そのものの信仰〉へと転化している。
この二つの系譜は、勝利の遺産と記録の呪いを象徴し続けている。白の勝利とは、すなわち「白き盲信」の始まりであった。
参考注記
Iel Han: The Limit of Pure Faith, 1782, 第Ⅲ節「絶対秩序と啓蒙理性の衝突」.
異端文書集『虹の記録』断章Ⅱ「赤と青の契約」.
局記録第X卷「最初期戦略報告書」.
無言観察録写本A「荒野の白筆」, 局史料室蔵.
戦略手稿A-92, 第2段「三原則法式」.
戦後検体分析III-5「白化現象報告」, 学術院自然哲学会誌, 1821.
観察記録F-12, 未分類写本, 白望文庫, 原文断章7行目より。
『銀将軍行録』第Ⅴ篇「決戦の記」, 手稿版.
Postbellum Cultural Aesthetics, 1827年版, 章題 “Whiteness as Order”.
著:オルディス・レイン(宗秩史学者)
刊:アーグレイ歴史学院出版局、蒼歴2023年版
第一章 思想的背景と戦争前夜(1760–1788)
18世紀末、既存の宗教秩序と科学技術の勃興が交錯する中で、「色」の概念は単なる視覚的多様性を超え、思想的抵抗の象徴へと変質していた。純白秩序局(The Bureau of Pure Order)は、白=純粋、他色=穢れという教義のもと、世界規模の価値体系を維持していたが、その普遍性は急速に綻び始めていた。
社会思想史家イェル=ハンは『純白信仰の限界』(第Ⅲ節)で指摘するように、「白の理想」は秩序維持には有用であったが、個と差異を無視する点で、18世紀的啓蒙の潮流と本質的に矛盾していた。
1770年代、複数の異端派が地下で活動を再開し、「虹の連合(Coalition of Colors)」として結集する。彼らは多色の調和を「自由の自然構造」と位置づけ、局の浄化政策に対して思想的・軍事的に対抗した。特に赤を象徴する「クリムゾン・プロフェット」および青の異能者「サファイアの魔女」に関する記録は、現存する異端文書中に頻出する。
直接的な開戦理由は、1789年に発生した「虹の冒涜事件」である。連合の構成員が局最大の聖域「白の大聖堂」を襲撃し、白十字の紋章を虹色に塗り替えた。局記録第XV巻には、この事件が「神律への反逆」として即日、全面戦争宣言に繋がった旨が明記されている。
第二章 戦争初期の混乱(1789–1795)
開戦当初、局軍の対応は極めて遅滞した。教義上の硬直により「多色異能」を認知的に過小評価していたためである。虹の連合軍は地方都市を中心に勢力を拡大し、各地の浄化施設を破壊。初期の敗北は局内の指導層に衝撃を与え、内部瓦解の兆候が現れた。
一方で、この時期に出現した人物として、後に「無言の監視者(The Silent Observer)」と記録される存在が挙げられる。後世の文献では、ピサンザプラ家の祖先と推定され、情報収集・戦況観察を担っていたと考えられている。
転換期は1793年、若き司令官「銀将軍(General Argent)」の登場とともに訪れる。彼は戦略学と神学理論を融合し、「絶対聖域」― 異能封殺領域 ― の術式を確立。従来の「純白の秩序」を制限付きから完全領域型に進化させ、局軍の再組織を指揮した。
第三章 局の反攻と均衡期(1796–1805)
銀将軍の主導により、局は初めて統一的指揮系統を確立した。局史料「戦略手稿A-92」によると、1796年以降の作戦立案では、「領域展開」「心理浄化」「儀典戦術」の三原則が運用されている。
1798年、「白光の戦い」において局は連合の拠点「彩色の谷」を制圧。銀将軍の〈絶対聖域〉の発動により、周囲十里にわたる地形が白化現象を起こした。現地出土の遺骸分析によれば、戦死者の皮膚組織から虹色素の完全消失が確認されており、これは当時の浄化効果を裏付ける物理的証拠とされている。
続く「七色の包囲戦(1802–1805)」では、都市クロマティスが三年にわたり封鎖され、連合側の内部衝突が記録されている。「観察記録F-12」において無言の監視者が残した注録には、「敵もまた秩序を欲す」との一節があり、対立の内面化を象徴する史料として近年注目されている。
第四章 最終戦と終結(1806–1815)
戦争後期、連合は「虹の塔」に籠城し、最後の抵抗を試みた。局軍は総力戦を発動、「最終浄化戦(Final Purge)」と呼ばれる連続攻撃を展開した。1810年、銀将軍はセラヴィエル長剣を掲げ、クリムゾン・プロフェットを討滅。
現存する〈戦場残片資料〉によれば、この際、将軍が一瞬彼の紅を見つめ沈黙したと記されている。後世の分析では、これを「穢れへの羨望」― 後年シェリダー家にまで継承される精神的遺伝 ― の端緒と解釈する説もある。
1815年、「白の盟約(Pactum Albus)」が締結。連合は解体され、局は国際的な異端検閲権を正式に掌握した。これ以降、純白秩序局は宗教機構から行政的超国家組織へと進化し、その監察制度の中心に銀警官(後にシェリダー型に至る原形)が設置される。
第五章 戦後影響と思想的遺産
大浄化戦争の終結は単なる軍事的勝利ではなく、世界的な文化転換の起点となった。
第一に、「色」は以後永く「恐怖」と同義になり、白は神聖視された。各地域の記念建築は白大理石を基調とし、宗教儀式から芸術様式に至るまで、白が絶対的価値として制度化された。
第二に、戦争が内部に残した思想的傷痕である。連合の理念――混沌における自由――は否定された表面の背後で、地下的思想運動として生き続けた。局内部でも「穢れの自認」を恐れた官僚層が出現し、その結果、戦後の硬直と崩壊の萌芽が形成されたのである。
象徴的に位置づけられるのが、シェリダーとピサンザプラ両系統の継承である。
シェリダーの「排絶の信仰」は、銀将軍の合理主義と戦時神経症の混合によって形成された戦後型純白思考の典型例であり、局の最末期まで冷徹な秩序意志を保持する。一方、ピサンザプラに見られる「沈黙の観察」は、戦争記録者=無言の監視者の倫理的延長であり、秩序を超えた〈観察そのものの信仰〉へと転化している。
この二つの系譜は、勝利の遺産と記録の呪いを象徴し続けている。白の勝利とは、すなわち「白き盲信」の始まりであった。
参考注記
Iel Han: The Limit of Pure Faith, 1782, 第Ⅲ節「絶対秩序と啓蒙理性の衝突」.
異端文書集『虹の記録』断章Ⅱ「赤と青の契約」.
局記録第X卷「最初期戦略報告書」.
無言観察録写本A「荒野の白筆」, 局史料室蔵.
戦略手稿A-92, 第2段「三原則法式」.
戦後検体分析III-5「白化現象報告」, 学術院自然哲学会誌, 1821.
観察記録F-12, 未分類写本, 白望文庫, 原文断章7行目より。
『銀将軍行録』第Ⅴ篇「決戦の記」, 手稿版.
Postbellum Cultural Aesthetics, 1827年版, 章題 “Whiteness as Order”.



