荒涼たる銀の研究所に、ヴィットリオ=ヴェネトは静かに立っていた。
彼は屈強な白人の男で、短く刈り込まれた白髪が冷たい光を放ち、その白い瞳には氷のような理性が宿っている。
「白銀の化学者」の異名を持つ彼は、物質の限界を越えようとする狂気的な実験に没頭していた。
今日の被験体は、一人の男――ケムダー。
白髪と白い瞳を持ち、どこかヴィットリオに似た風貌の男だったが、その瞳に宿る光は、飢えた獣そのものだった。右腕には銀鉄の籠手を装着し、常に何かを噛み砕くように歯を鳴らしている。彼の名は「貪欲の化身・銀警官」
所有という概念を己の腹に喰らう存在であった。
ヴィットリオは薄く笑いながら、拘束台の上の男を見下ろす。
「君の能力――『所有強奪(オーナーシフト)』他者の持つ権利を奪い、自分のものにする。土地、物、生命、権威……すべてか。実に興味深い。君は、理想的な素材だ」
鎖で拘束されたケムダーは、血走った眼でヴィットリオを睨みつけた。
「すべてを……僕のものに。満足なんて、ない。君も、僕のものになる」
その声は低く、獣の唸りと化していた。籠手の紋章「底なしの袋(Endless Pouch)」が微かに脈動し、吸収の衝動を示す。しかし、ヴィットリオは微動だにしなかった。白銀のラボコートを翻し、手術台に歩み寄る。
計画は恐ろしく単純だった。
ケムダーの能力を機械に移植し、吸収の原理を拡張する。すなわち「欲望を制御できる怪物」を創り出すこと。
ケムダーの右腕から籠手が取り外され、解体される。銀鉄の表面に刻まれた紋章を解析しながら、ヴィットリオは静かに呟く。
「これを核に据えよう。君の体は筐体となり、欲望はエネルギーになる」
麻酔針が刺され、ケムダーの意識が遠のく。
ヴィットリオの手が滑らかに動き、メスが肉を裂いた。白銀の合金製の回路が筋線維の隙間に埋め込まれていく。神経と接続されたそれは、やがて全身に拡がり、「所有強奪」の能力を極限まで拡張する仕組みとなった。
その構造は、星や海とすら等価に吸収可能な力を秘めていた。
ケムダーが呻く。
「……君、何を……」
だが、白銀の化学者はただ穏やかに告げた。
「君の欲望を、僕の理論で昇華させる。君はもう人間ではない――《吸引機械》だ」
数時間後、手術室には異形の影があった。
白銀の装甲に覆われた身体。籠手は巨大な吸引口と化し、体内は無限の貯蔵空間へと変貌していた。
ヴィットリオはその姿に満足げに頷く。貪欲が、遂に機械へと昇華した瞬間だった。
スイッチが入れられた瞬間、ケムダーの瞳が光った。
「すべてを……僕のものに……」
合成音が低く響く。
ヴィットリオは彼を砂漠へと移送し、試運転を開始した。
吸引口が開き、砂を巻き上げ、岩を呑み、ついには山をも取り込む。吸収されたものはすべて「所有権」を奪われ、ケムダーの内部に転化されていった。
ヴィットリオは歓喜に震えた。
「見事だ! 次は海だ」
海岸へ移動したケムダーが吸引を開始する。濁流のような渦が巻き起こり、海そのものが所有概念ごと奪われていく。やがて壮大な光の奔流へと昇華され、ケムダーの出力が爆発的に膨張した。
「次は、星だ」
ヴィットリオはロケットを用いて、ケムダーを宇宙へと射出する。
軌道上で、ケムダーは小惑星を呑み、恒星のプラズマを吸い込み、銀河規模の光を纏う巨体へと変貌した。
「満足など、ない……」
虚空の中に、機械の声が響く。
だが、その瞬間――自我の崩壊が始まった。
欲望の増殖は止まらず、自己境界が薄れていく。ヴィットリオは地上から冷静に指令を送った。
「制御装置、起動」
強制制御により膨張は止まり、ケムダーは再び道具へと戻った。
改造の成功に酔ったヴィットリオは、技術を応用した。
「掃除機」はケムダー技術の縮小版として生まれ、単なるゴミだけでなく「所有の残滓」までも吸収した。捨てられた物から所有者の念を剥がし取り、再利用を容易にする――奇妙な家庭用具。
さらに彼は「権利剥奪機」を開発する。
これは財産、市民権、生命権すら吸い上げる恐ろしい装置だった。
そしてそれは企業と国家を魅了し、ヴィットリオは「世界の所有を管理する科学者」として君臨した。
だが、時折装置の奥から声が漏れた。
「すべてを……僕のものに……」
ヴィットリオは知っていた。ケムダーの欲望が再び暴走する日が来ることを――だが、それすらも彼にとっては観察の一部にすぎなかった。
ヴィットリオは銀の光に照らされるケムダーを見つめ、独り言のように呟く。
「君のおかげで、新しい時代が始まる。欲望は無限だ……満足など、ない」
互いの白い瞳が交差した。
銀鉄と白銀の光が溶け合い、世界は静かに染まりゆく。
その奥で、崩壊の予感が静かに笑っていた。
貪欲の果てにあるもの――それは、すべてを喰らい尽くす闇そのものだった。
彼は屈強な白人の男で、短く刈り込まれた白髪が冷たい光を放ち、その白い瞳には氷のような理性が宿っている。
「白銀の化学者」の異名を持つ彼は、物質の限界を越えようとする狂気的な実験に没頭していた。
今日の被験体は、一人の男――ケムダー。
白髪と白い瞳を持ち、どこかヴィットリオに似た風貌の男だったが、その瞳に宿る光は、飢えた獣そのものだった。右腕には銀鉄の籠手を装着し、常に何かを噛み砕くように歯を鳴らしている。彼の名は「貪欲の化身・銀警官」
所有という概念を己の腹に喰らう存在であった。
ヴィットリオは薄く笑いながら、拘束台の上の男を見下ろす。
「君の能力――『所有強奪(オーナーシフト)』他者の持つ権利を奪い、自分のものにする。土地、物、生命、権威……すべてか。実に興味深い。君は、理想的な素材だ」
鎖で拘束されたケムダーは、血走った眼でヴィットリオを睨みつけた。
「すべてを……僕のものに。満足なんて、ない。君も、僕のものになる」
その声は低く、獣の唸りと化していた。籠手の紋章「底なしの袋(Endless Pouch)」が微かに脈動し、吸収の衝動を示す。しかし、ヴィットリオは微動だにしなかった。白銀のラボコートを翻し、手術台に歩み寄る。
計画は恐ろしく単純だった。
ケムダーの能力を機械に移植し、吸収の原理を拡張する。すなわち「欲望を制御できる怪物」を創り出すこと。
ケムダーの右腕から籠手が取り外され、解体される。銀鉄の表面に刻まれた紋章を解析しながら、ヴィットリオは静かに呟く。
「これを核に据えよう。君の体は筐体となり、欲望はエネルギーになる」
麻酔針が刺され、ケムダーの意識が遠のく。
ヴィットリオの手が滑らかに動き、メスが肉を裂いた。白銀の合金製の回路が筋線維の隙間に埋め込まれていく。神経と接続されたそれは、やがて全身に拡がり、「所有強奪」の能力を極限まで拡張する仕組みとなった。
その構造は、星や海とすら等価に吸収可能な力を秘めていた。
ケムダーが呻く。
「……君、何を……」
だが、白銀の化学者はただ穏やかに告げた。
「君の欲望を、僕の理論で昇華させる。君はもう人間ではない――《吸引機械》だ」
数時間後、手術室には異形の影があった。
白銀の装甲に覆われた身体。籠手は巨大な吸引口と化し、体内は無限の貯蔵空間へと変貌していた。
ヴィットリオはその姿に満足げに頷く。貪欲が、遂に機械へと昇華した瞬間だった。
スイッチが入れられた瞬間、ケムダーの瞳が光った。
「すべてを……僕のものに……」
合成音が低く響く。
ヴィットリオは彼を砂漠へと移送し、試運転を開始した。
吸引口が開き、砂を巻き上げ、岩を呑み、ついには山をも取り込む。吸収されたものはすべて「所有権」を奪われ、ケムダーの内部に転化されていった。
ヴィットリオは歓喜に震えた。
「見事だ! 次は海だ」
海岸へ移動したケムダーが吸引を開始する。濁流のような渦が巻き起こり、海そのものが所有概念ごと奪われていく。やがて壮大な光の奔流へと昇華され、ケムダーの出力が爆発的に膨張した。
「次は、星だ」
ヴィットリオはロケットを用いて、ケムダーを宇宙へと射出する。
軌道上で、ケムダーは小惑星を呑み、恒星のプラズマを吸い込み、銀河規模の光を纏う巨体へと変貌した。
「満足など、ない……」
虚空の中に、機械の声が響く。
だが、その瞬間――自我の崩壊が始まった。
欲望の増殖は止まらず、自己境界が薄れていく。ヴィットリオは地上から冷静に指令を送った。
「制御装置、起動」
強制制御により膨張は止まり、ケムダーは再び道具へと戻った。
改造の成功に酔ったヴィットリオは、技術を応用した。
「掃除機」はケムダー技術の縮小版として生まれ、単なるゴミだけでなく「所有の残滓」までも吸収した。捨てられた物から所有者の念を剥がし取り、再利用を容易にする――奇妙な家庭用具。
さらに彼は「権利剥奪機」を開発する。
これは財産、市民権、生命権すら吸い上げる恐ろしい装置だった。
そしてそれは企業と国家を魅了し、ヴィットリオは「世界の所有を管理する科学者」として君臨した。
だが、時折装置の奥から声が漏れた。
「すべてを……僕のものに……」
ヴィットリオは知っていた。ケムダーの欲望が再び暴走する日が来ることを――だが、それすらも彼にとっては観察の一部にすぎなかった。
ヴィットリオは銀の光に照らされるケムダーを見つめ、独り言のように呟く。
「君のおかげで、新しい時代が始まる。欲望は無限だ……満足など、ない」
互いの白い瞳が交差した。
銀鉄と白銀の光が溶け合い、世界は静かに染まりゆく。
その奥で、崩壊の予感が静かに笑っていた。
貪欲の果てにあるもの――それは、すべてを喰らい尽くす闇そのものだった。



