二両しかない田舎の単線電車は、走行速度も都会のそれよりずっとゆっくりな気がする。無人駅で一時間待った後、のんびり走る電車に三十分ほど揺られて、俺たちはようやく隣町の駅に辿り着いた。
「いや〜、電車なんか久しぶりに乗ったわ〜」
「最寄り駅のダイヤが一日三本とか、不便すぎますからね。廃線になってないのが不思議なくらいです」
「なぁ、蒼太は都会の電車って乗ったことある? 俺こないだ家族旅行で乗ったんだけど、駅とか広すぎてマジヤバかったんだけど。ここみたいに線路が一本しかない単線じゃないから、あっちこっちに乗り場があってどの電車に乗ったらいいのかわけ分かんなくてさ」
 何の気なしにそう言ったつもりが、振り返って見上げた蒼太の顔は怒っているみたいに険しく、俺は一瞬ギクッとした。
(やべっ、さすがに高二にもなって電車の乗り方も分かんないって、呆れるを通り越して軽蔑の対象くらいの低レベルさだったかな?)
「や、や〜、でも俺ほとんど町から出たことって無かったからさ〜」
「……え? すみません。なんの話ですか?」
 はっと気がついて驚いたように俺を見た蒼太の目は、笑ってはいないものの怒っている感じではなく、俺は何となく内心ほっとしていた。
「あ〜、いいよ。何でもない。超くだらない話してただけだから」
「どれくらいくだらないのか逆に気になるんですけど」
「いいって! これ以上俺の尊厳を貶めたくないし」
「そんな低レベルの話ですか?」
 蒼太はまだ気になる様子だったが、俺はへらっと笑ってごまかしてから先に立って歩き出した。
 駅の周辺に畑や田んぼしかないうちの町と違って、隣町の駅周辺にはポツポツとだが一応商業施設が存在した。家族旅行で行った都会の駅とは比べものにならなかったが、自分の町からほとんど出たことのない俺にとっては軽くテーマパークを訪れたような感覚だ。
「よーし、何食べに行く? 何でも奢ってやるよ。選択肢そこまであるわけじゃないけど」
「別に何でもいいですよ」
「何でもいい、は無し! 何でもいいって言うやつに限って実は何でも良くないから」
「女子とのデートじゃあるまいし、そんなこと気にする必要あります?」
「デッ!?」
 ギクッとして思わず振り返ると、蒼太も怪訝そうな表情で俺のことを見返してきた。
「……何ですか?」
「べっ、べべべ、別にデートとか、そんなつもりじゃないし〜?」
「先輩、なに動揺してんですか?」
(そうだよ、なんで動揺なんかしちゃってんだよ俺! 今まで彼女なんかいたことないし、ツレと遊ぶときも基本大勢のことが多いから、誰かと二人で遊んだり食事したりってことが初めてで、それでちょっとこれってデートみたいじゃね? って重ねて考えちゃっただけで……)
 ちょっと俺だけ特別? みたいな可愛いこと言われたから、そういう意味で気になっちゃって……なんてことはないはず。いや、断じてないと言い切りたい!
「ほ、ほらほら、別にデートじゃないんだから、気にせず何でもリクエストしろよ。ニンニク山盛りキムチラーメンとかでもいいぜ!」
「……じゃあ、いい加減お腹空いたんで、注文してすぐに出てくるファストフードで」
「よっしゃ! じゃあハンバーガー食べに行こうぜ!」
 ハンバーガーのファストフード店は駅から徒歩で十分くらいの場所にあった。
「デカバーガーセットとチキンとアップルパイ下さい! あ、ドリンクはコーラで」
「どんな欲張りセットですか」
「お前も好きなだけ頼んでいいぞ。タッパあるし、食べ盛りだろ?」
「……普通のバーガーセットで」
「遠慮すんなって! スランチなんだからスナックもなんか頼めよ」
「いりません! てか店員さんの前で変な造語使うの恥ずかしいんでやめてもらえますか?」
「お客様、セットドリンクはどうされますか?」
「あ、ホットコーヒーで」
 蒼太の希望通り、すぐに出てきたファストフードのトレイを抱えて、俺たちは店の奥の窓際の席に向かい合って腰掛けた。
「……なんか本当に奢ってもらってしまって、すみませんでした」
「本当にってなんだよ! 俺が奢るって言ったんだから、男に二言は無い!」
 柄にもなく恐縮した様子の蒼太の顔の前で手を振りながら、俺は名前の通りにデカいバーガーに大口を開けてがぶりとかぶりついた。
「あっ、そういえばこういう大きく口を開けて食べるものってデート向きじゃないんだってな。でもこれはデートじゃないからいいよな?」
「なんかさっきからやたらデートじゃないこと強調してません?」
「だ、だってデートじゃないんだもの」
「それなら別にあえて強調しなくても良くないですか?」
 そこで蒼太は、自分の小ぶりなハンバーガーをかじろうと小さく開けていた口元をふっと緩めた。
「そうやってデートじゃないって連呼されると逆に気になります。なんか意識されてるのかなって」
(あ……)
 ほんのちょっと口角が上がっただけだったけど、でも初めてだった気がする。蒼太が笑うところを見たのは。
「べ、別に意識なんかしてないっ! そもそも男同士だしっ!」
 そう言いながらも言葉に反してじわじわと頰に熱が上がってくるのを抑えきれず、俺はデカバーガーで顔を隠しながらふいっと顔を逸らして窓の方を見た。
(なんだよ、反則だろ。普段ちっとも笑わないくせに、こんな時に限って……)
「なんで意識してないのに目を逸らすんですか? 俺の目を見ながら言ってみて下さいよ。別に俺のことなんか意識してないって」
「なんであえてそんなこと……ん?」
 窓の外、ファストフード店のすぐ脇の歩道にいる制服姿の男子高校生が、目と口をまん丸に開けてこっちを凝視している。
「え……どちら様?」
「え?」
 軽く口角を上げたまま俺の視線の先を追って窓の外を見た蒼太も、外の人物と同じくらい驚愕した様子で目を見開いた。
「あ……」
「え、お前の知り合い?」
「えっと……」
 外の人物は、ツレらしき二人の男子生徒の肩をバシバシ叩いて俺たちの方に意識を向けさせようと必死になっていた。肩を叩かれて振り返った二人も興奮した様子でこちらを指差すと、だっと店の入り口に向かって駆け出した。
「あ、もしかして友達?」
「えと、友達っていうか、中学の頃の知り合いです」
「そこは友達って紹介するとこだろ〜!」
 最初に目が合った蒼太の中学時代の友人? が勢いよく俺たちの席の所まで駆けてきて、蒼太の肩をバシッと叩いた。
「久し振りじゃん! 元気にしてたか?」
「……うん、まあ」
 蒼太はチラッと友人を一瞥してから、バーガーセットのコーヒーの黒い水面に視線を落とした。
「敬語使ってるってことは、一緒にいるのって蒼太の学校の先輩?」
「あ、そうそう。こいつよりちっさいけど、一応俺二年の先輩です〜」
「やっぱりそうでしたか! 俺たちこいつと同中で塾でも一緒だったメンバーなんです」
 三人ともちょっと変わった色の同じ制服を身につけていた。俺がついつい珍しいブレザーをじっと見ていると、俺に話しかけてきた蒼太の友人は恥ずかしそうに苦笑いした。
「うちの制服ダサいでしょう? これ選んだ人間まじで頭おかしいとしか思えませんよね」
「そ、そんなことないけど」
「蒼太の先輩嘘つけないタイプですよね? 俺ら最初から諦めてるんで、気を遣ってもらわなくても全然大丈夫ですよ」
 苦笑いしながらダサいとけなしているにも関わらず、その制服を身につけている彼らはなぜだか誇り高く堂々としているように見えた。
(……あっ!)
 県内で一番偏差値の高い、学生寮のある高校。県内随一の進学校が、確か制服がダサいことで有名ではなかったか?
(そうだ、絶対それだ。心なしか顔つきも全員賢そうに見えてきた……)
「お前中学卒業してからちっとも連絡取れないから、みんな心配してたんだぞ」
「ああ、悪い」
 メガネをかけた品のある顔つきの蒼太が、賢い学校の制服を身につけた賢そうな連中と話している風景が妙にしっくりきて、不意に俺の胸の中になんだかよく分からない感情が生まれた。
(……ん? 何だこれ?)
 なんだかモヤッとするような、それでいてチクッとするような。蒼太を取り巻く世界から締め出されてしまったような、悔しいような寂しいような、そんな気持ち。
(そうだ。そもそもバカで何の努力もしてないような俺と、賢くていつもコツコツ努力してるようなこいつとじゃあ、住む世界が全然違って当然なんだよな)
 当たり前のことなのに、それを悔しいとか寂しいとか思ってしまうのは、一体どうしてなんだろう?
「……お前ら中学も塾も一緒だったのに、蒼太だけ志望校が違ったのかよ?」
 つい、口からそんな言葉が漏れてしまった。俺とこいつらじゃ全然レベルが違うのは分かってたけど、それでも蒼太は俺の高校の後輩であって、少しでも俺の方が近しい存在だとアピールしたかったから。
 俺の言葉を聞いた瞬間、三人の友人たちは気まずそうに顔を見合わせた。
(……あっ、しまった!)
 俺はアホだ! 思考が自己中心的で、ただただ自分の願望のことしか考えていなくて、蒼太のこと、周りの連中のことを全く思いやれていなかった。
 家が近かったからだなんて絶対嘘だ。こんなに努力家で賢い蒼太が、定員割れしているような俺の高校を第一志望にしていたわけがないじゃないか!
「……蒼太はまぁ、ちょっと色々あったんですよ」
 ガタンッと蒼太が勢いよく立ち上がったため、彼の友人はそれ以上先を説明することなく口を閉じた。
「……ごめん、俺行くわ」
「あっ、蒼太!」
 ばっとファストフード店を飛び出した蒼太の後を友人の一人が追おうとしたが、すかさず俺が腕を伸ばしてそれを遮った。
「俺が行くよ」
「あ、蒼太の先輩」
「ごめん、俺が考え無しだったわ。せっかく久々に会えたのに、悪いことしたな」
「いえ、こっちこそすみませんでした。あいつが連絡してこなかったのは俺たちに会いたくなかったからだったのに、店に入るべきじゃありませんでした。久々に地元に戻って懐かしい顔を見たもんだから、つい浮かれてしまって……」
「それは違うよ。大事な友達なんだからさ。落ち着いたら連絡するよう俺からあいつに言っておくから」
 心から彼らにそう伝えてから、俺はまだほとんど手をつけていなかったデカバーガーセットと蒼太の友人たちを残して、蒼太の後を追って店の中から飛び出して行った。